てのひらにひとひらの花

#17 暴動

 食料品の大半は、首都のルベール商会から月に何度か送られてくるか、ガルニエ通りの商店から配達をしてもらうか、時々ミカが買いに行くかだったが、たびたび街道を行く荷馬車が襲われ、ルベール商会だけでなく、商店主たちに納入する業者もエリンにたどり着けない事が増えていた。
 そうなると、エリン近郊の農家からの供給に頼るしかないが、去年の凶作のせいで、食糧事情がひどく悪化していた。
 治安が悪くなっているのは重々承知しているが、どうしてもガルニエ通りまで調達に来なければならないものはある。野菜や果物、肉や魚などの日持ちのしないものは元々、商店街で調達していたが、今はそれ以外でも不足したものは買いに来なければならない。
「小麦や砂糖、保存が利くジャム類、塩漬けのお肉は、首都の旦那様がいつも多く送って下さるのでまだまだ備蓄がありますが、野菜や果物、乳製品や玉子が欲しいです」
 ガルニエ通りへ向かう貸馬車の中で、ミカはメモを見つめながらエルネストにそう伝える。今日はエルネストもメリルの店に用事があって、一緒に屋敷を出ていた。
「今は野菜がだいぶ高騰しているそうだな。これだけ値上がって品薄だと、そろそろ金では買えなくなるかもしれない」
 エルネストは窓の外を流れる景色を眺めながら、何か考えているようだった。
「お金で買えないって、じゃあ何で買うんですか? どうやって?」
 金銭以外に何があるというのか、ミカは全く思いつかなかった。他に想像できるものがない。
「ミカ、茶葉や香辛料、蜂蜜の備蓄はどれくらいある?」
 唐突に尋ねられ、面食らいながらもミカはメモをめくる。
「お茶の葉は、そうですね、半年分くらいは。胡椒も切り詰めれば半年、蜂蜜はもうそれほど残ってないです」
 ミカは律儀に在庫を記録していた。買い出しに行く時は大抵、持ち歩いている。
「供給が追いつかなくなれば、金の代わりに嗜好品や高級品で交換をするようになる。金なんかいくらあっても腹は膨れないからな。最後は農場主や店主と、貴重な嗜好品で交換するしかなくなる」
 供給が追いつかなければ、食べ物は奪い合いになる。そうなった時、確かに金なんかでは売ってもらえないかもしれない。何はなくとも食べる物だ。そして、富裕層の間で需要がある高価な嗜好品の価値が高まるのも納得できる。
「今年の秋までに蕎麦や雑穀で食いつないで、秋に収穫が見込めれば多少はマシかな。輸入に頼ろうにも、こうも荷馬車が襲われているなら、奪われた食料が闇取引にまわされてしまうだろうな」
 どこで闇取引されるのだろう。ミカは真剣に考える。万が一にもエルネストに不自由な思いをさせてはならない。闇市に行くのはミカの仕事だ。何が何でも食糧を確保しなければならない。
 真剣に思い詰めているミカに気付いたのか、エルネストは俯くミカの栗色の髪にぽん、と撫でる。
「屋敷を取り仕切る采配は、俺の仕事だ。ミカはそんな心配をしなくていい。首都からの仕送りが途絶えても、資産も食料も当分困らないから、そんな思い詰めなくても大丈夫だ。本当にミカは心配性だな」
 そう言われてしまうと、心配ばかりしている自分が恥ずかしくなってしまう。ミカはかーっと頬を染めながら、口籠もる。
「す、すみません……。つい考え込んでしまって」
「仕事熱心なのはいい事だ。ほら、もう着くから降りる支度をしておけ」
「はいっ」
 貸馬車はいつものようにガルニエ通りに入り、メリルの雑貨店の前に停車する。ミカは素早く下車し、手を差し伸べてエルネストの下車を手伝う。
「俺の買い物の間は、いつものように露店周りでもしてくるといい」
「はい。ありがとうございます、エルネスト様」
 これもまたいつものように、エルネストだけをメリルの店に置いて、ミカはガルニエ通りの散策に向かう。
 特に欲しいものはないが、エルネストの『買い物』が終わるまで、時間を潰さなければならない。ミカは露店を眺めながら通りを歩く。
「ミカ! 寄っていきなさいよ!」
 いつもの花屋の店主が、ミカを見つけるなり、大声を上げて手招いた。この人だけは、ミカにも親しく接してくれていた。
「こんにちは、最近はちょっと暑くなってきましたね」
「本当ね。そろそろ雨も降って欲しいんだけど、最近はさっぱりね」
 花屋の露店は様変わりしていた。花は片隅にほんの少しで、ちしゃや玉ちしゃ、小カブなどの速成でできる野菜ばかりだ。しかも小ぶりであまり立派ではない。雨が降らないせいか。
 ミカの戸惑う視線に気付いたのか、花屋の店主は大げさにため息をついて見せた。
「花じゃあお腹は膨れないからねえ。市からのお達しもあって、すぐ育つ青菜やちっちゃいカブばっかり作ってるよ。花と違って、こっちは食べられる葉っぱだからね」
 店主は明るく言っているが、思えばこの華やかだったガルニエ通りも、いつものような活気が感じられなかった。
 食べ物を扱う屋台の数はぐっと減った。材料の調達がままならないのだろう。
「じゃあ、せっかくだから玉ちしゃと小カブをもらっていこうかな。いくらですか?」
「いつもミカには買ってもらってるからね。他の客より安くしてあげるけど、内緒だよ」
 店主はミカの買い物籠に野菜を詰め、それから小さなブーケも入れてくれた。
「ブーケはおまけだよ。こんなご時世じゃ、花なんか見向きもされないよ。けど、ミカ。あんたは花が大好きな子だから、大事に飾ってくれるもんね」
 買い物籠を受け取りながら、ミカは笑顔を見せた。
「ありがとうございます。いつもおまけをしてもらってて……」
 ミカが話し終える前に、真昼の商店街に怒号が湧き上がった。この通りではない。いくつか向こうの通りから、人の叫び声や怒鳴り声が聞こえる。
「やだ、カルリト通りかしら、一体何の騒ぎが」
 遠くで銃声が響く。路地から何人もの人間が、ガルニエ通りになだれ込んできた。
「カルリトの雑穀商の倉庫が襲われたぞ!」
「ダビドの店だ! あいつ、売り惜しんでたから」
 暴徒と化した人々が次々とガルニエ通りに駆け込んで来る。手に麻袋を抱えているが、あれは奪った雑穀の袋かもしれない。カルリト通りはこの商店街から少し離れた中級以下の市民が多く住む通りだ。住人の数はガルニエ通りより遥かに多い。それが略奪を始めたなら、大変な事件だ。
 ガルニエ通りの警備をしていた警備兵達が一斉にカルリト通りに向かっていくが、ガルニエ通りに逃げ込んでくる人間の波に押し戻されている。
「ミカ、逃げた方がいいわ! なんだか大変な騒ぎになって」
 あっけにとられていたミカも、我に返る。なによりエルネストを無事に屋敷まで連れ帰らねばならない。
「お姉さんも、速く逃げた方が」
「荷物をまとめたら、すぐ行くわ!」
 ミカがなだれ込む人並みを振り返り、走り出そうとした時だった。
 視界の端を、華奢な影が横切った。灰色のフードから零れ落ちたのは、見覚えのある金色の巻き毛だった。
 フードを深く被り、男物の服を纏い、少年のようだった。風のように通りを駆けて行ったあの横顔は、見覚えがあった。
 どうしてカルリト通りから、エレナが?
 少年のような格好だったが、あれは間違いなくエレナだ。
「ミカ、ミカ! どうしたの、早く逃げなきゃ!」
 荷物を抱えた花屋の店主の声で、ミカはやっと引き戻された。
「は、はい! お姉さんも、気をつけて!」
 ミカはメリルの店目指して、真っ直ぐに駆けて行く。
 あれはエレナではないのか? 何故、あんな格好で? いや、今はそんな事を考えている場合ではない。一刻も早くエルネストの許へ行かなければ。
「ミカ!」
 ミカがメリルの店に辿りつくより早く、エルネストは店の前で待たせていた貸馬車に乗り込み、ミカを連れ戻しに向かっていた。馬車の窓から叫ばれて、ミカは振り仰ぐ。
「すみません、エルネスト様! ご無事ですか!」
「大丈夫だ。早く乗れ、ミカ。商店街から離れるぞ」
 開け放たれた扉からミカが馬車に飛び乗ると同時に、馬車は走り出した。
「エルネスト様、カルリト通りの雑穀商の倉庫が襲われたようです」
「ああ、メリルの店の使用人がちょうど買い物に出ていて、飛んで帰ってきた。もうのんきに買い物なんかしてる事態じゃないのかもしれないな」
「あの、エルネストさ……」
 ミカは言いかけて、慌てて口を塞ぐ。今見掛けたエレナの事をエルネストに言ってしまうところだった。
「なんだ、ミカ」
「いえ、なんでもないです。エルネスト様がご無事で、よかった」
 慌てて取り繕う。
 エレナの事はうかつに話してはいけないかもしれない。今回の事件も、エレナの隠したい秘密に関係があるのは間違いない。
「買い物は慎重に行こう。これからは俺も同行する。この分じゃ、些細な買い物でも物盗りにあったっておかしくない」
 エルネストは懐の銃を取り出し、確認を始めた。そうだ。この馬車だって襲われないとは言い切れない。
 ミカやエルネストが考えているよりも、庶民の生活は逼迫しているのだと、今、思い知らされていた。
 エルネストの屋敷があるあの住宅地は警備兵が多くいる地域だが、それでも安全だとはもう言えない。隣家が王立軍の中佐の屋敷だとはいえ、油断はできない。
 ミカは言い知れない不安を感じていた。
 エレナの事も、この暴動も、これからこの街が、国が、どうなっていくのか、まるで未来が見えなかった。



2021/03/20 up

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