てのひらにひとひらの花

#18 取り引きとりんご草

 カルリト通りの暴動から数日が経ったが、騒ぎはそれ以上広がらず、無事鎮圧されたようだった。
 そういう情報を持ってきてくれるのは通いのメイドであるアンナだが、アンナにばかり頼ってはいられない。
 ミカは治安の悪化から、早朝の散歩を取りやめていたが、代わりに警備兵がよく巡回する日中に散歩に出るようになった。いや、散歩ではなく、情報収集だった。顔見知りの警備兵から、最近の街の様子や警備の情報を聞くことができる。
 エルネストは足の問題でそう歩き回れないし、元々大の人嫌いでもある。そもそも見るからに身なりのいい人間は強盗に狙われやすい。ミカのように奴隷の革バングルをつけた者の方が、狙われにくい。そして、エルネストを守るのはミカの仕事でもある。
 建前は、散歩だ。エルネストに余計な心配をかけたくない。
 エルネストもミカの目的が散歩ではない事に、薄々気付いているようだったが、特に口にはしなかった。ただ、何度も気をつける事、様子がおかしいときはすぐに引き返す事を言いつけられていた。
 今日も午前中の仕事を終え、昼食まで時間があったので、後のことをアンナに頼み、エルネストに散歩に行くことを伝えてから家を出たが、まるで当然のように、この住宅街は落ち着いていた。
 すれ違う警備兵も、少々ピリピリしているようだが、それほどは警戒をしていないようだった。顔見知りの警備兵に会い、挨拶をしたが、いつもと別段変わりはなかった。
 何も起きないなら、その方がいい。
 ミカはいつものように大きな屋敷の前を通り抜け、散歩の時は必ず通る赤い屋根の、小さな家を目指して歩き続ける。
 この辺りで、男に襲われているエレナに出会った事を思い出す。
 この間のカルリト通りの暴動で見掛けたのは、間違いなくエレナだったと思う。一瞬だったが、見間違いではなかったはずだ。
 一体、エレナは何を隠し、何をしているのか。
 エレナが無茶な事をしていないか、ミカは心配になっていた。
 かといって、エレナに今、出会ったとして、どう声をかけたらいいのか、まるで何も見なかったかのように声をかけられるのか。
 そう思い悩みながらいつものように小さな家の前に差し掛かり、ミカは驚いて立ち止まる。
 赤い屋根の家の庭で、エレナがせっせと草を刈っていた。
「エレナ!?」
 驚きのあまり、声をかけてしまった。さっきまでの躊躇なんて、消し飛んでいた。
「あら、ミカ。こんにちは。今日は暑くなりそうね」
 エレナは草むらから立ち上がり、笑顔でミカに手を振った。履き古したズボンにシャツと、まるで男の子のような格好で、頭には日よけにスカーフを巻いていた。
「どうしてここに? この家に、何故」
「ああ、ここはロンメル中佐のひいおばあさまのおうちなの。昔、この住宅街にお屋敷を構えた時に、ひいおばあさまが、気兼ねせずにのんびり暮らしたいって。それで今のお屋敷とは別に、この小さな家を建てたんですって」
 エレナは再びしゃがみこみ、草刈りの続きを始める。とても慣れた手つきで、綺麗に刈り込んでいく。ミカが立っている敷地の外にまで、香草の爽やかな香りが漂ってきていた。
「誰かが空気の入れ換えや庭の手入れをしないと、おうちが死んでしまうものね。ロンメル中佐のお父様はこのおうちを処分したがっていたけど、中佐はここを売らずに、いつかこの家で暮らしたいって仰ってたわ」
 辺り一面に、りんご草の爽やかで甘い香りが満ちていく。そこでやっとミカは我に返った。
「あ、あの、エレナ。今刈ってるその草、もし捨ててしまうなら、分けて欲しいんだけれど……」
 エレナは今刈っていた一束を掴んで立ち上がり、ミカへ差し出す。
「これ? 雑草じゃないの?」
「ぼくらロサ族は、それをりんご草って呼んでるんだ。りんごみたいないい匂いがするから」
「うん、雑草にしては、いい匂いだなって思ってたわ」
 エレナも刈った束に顔を近づけ、頷く。
「葉っぱも花も、とても役に立つんだよ。お茶やチンキにするんだけど、不眠や風邪の引き始めや、婦人病にも効くんだ。エルネスト様が不眠気味だから、前からそのりんご草が欲しくて」
 思わずまくし立ててしまう。
「エルネスト様に、お茶を作って差し上げたいんだ」
 エレナは今刈ったりんご草を手早くまとめ、束にすると、ミカに歩み寄った。
「ミカは、ご主人様が大好きなのね」
 誰かにそんな風に言われたのは、初めてだった。思わずミカは首筋まで赤くなり、俯いてしまう。どう返したらいいのか、分からなかった。
「どうして恥ずかしがるの、ちっともおかしくないわ。いいことよ。大好きな人のために働けるなんて、素敵なことだわ。幸せなことだわ」
 そう続けられて、ミカはますます顔も身体も熱くなってしまう。
「私もそうよ。中佐が大好きだわ。中佐のお側にいられるなら、どんな事だってするし、中佐を守れるなら、自分の命だっていらないわ」
 ミカもそう思っている。
 エルネストの力になれるなら、なんだってできる。エルネストを守れるなら、自分の命だって差し出せる。
「ミカにはたくさんお世話になってるし、どうせその辺に積んで、枯らしてしまうものだもの。ミカにあげる。……他にも欲しい草がある?」
「あ、ありがとう、エレナ!」
 エレナからりんご草の束を受け取りながら、ミカは真っ赤なままの顔を上げる。
「いいのかな? そんなにもらってしまって」
「誰もいないし、ほったらかしの庭で伸び放題だったでしょ。勝手に持っていっちゃえばよかったのに」
「だめだよ、それは泥棒だよ。黙って人のものを持っていったら、いけないんだ」
 ミカの生真面目な返答に、エレナは声を上げて笑う。
「ミカのそういうところ、素敵だわ。だからミカを信じられるのね」
 エレナは庭を振り返り、少々思案気に首を傾げる。
「ここ、ひとりで片付けると何日もかかっちゃうのよね。もしミカが空いた時間にでも手伝ってくれるなら、好きな草を好きなだけ、持っていっていいわ。中佐はどうせ庭の植物なんかに興味ないし、私だって知らなかったらただの枯れ草にして、処分しちゃうところだったわ」
「本当に!? じゃあ、エルネスト様に許可をもらってくるよ!」
「あ、あと、お茶とチンキの作り方も教えてちょうだい。この前のキンセンカのお薬、とてもよく効いたわ! ありがとう!」
「ぼくこそ、ありがとう、エレナ!」



 すっかりりんご草と薬草園の魅力で、ミカはエレナに対する疑問や心配を忘れかけていた。
 いざエルネストに許可をもらうところで、ようやくそれを思い出しすくらいだった。思い出したものの、薬草をもらえる取り引きの誘惑には抗えなかった。
「ああ、いつか言っていた家は、ロンメル家のものだったのか」
 書庫で本を探していたエルネストは、飛び込んできたミカのために、作業を中断してくれた。
「さっきちょうど、ロンメル中佐のところのエレナが庭の手入れをしていて。空き時間に手伝うなら、薬草を分けてくれると言っているんです。どうしても、薬草が欲しくて」
 エルネストも、ミカが大事にしている裏庭の花壇をよく知っている。ミカがあの花壇に植えたいのは、本当は薬草だという事も知っている。
 暫くの沈黙があった。エルネストの表情は、明るいとは言い難かった。
「……以前から、欲しがっていたな」
「あ、あの、お屋敷の仕事はちゃんとします。いつもの散歩の空き時間だけでもいいんです。数日でいいので、許してもらえませんか?」
 エルネストは椅子から立ち上がり、再び書棚に向かった。
「ああ、構わない。行ってくるといい」
「あ、ありがとうございます……! 今日もりんご草を分けてもらってきたんです。今夜の寝る前のお茶は、りんご草で作ります!」
 ミカは大喜びで書庫を飛び出し、裏庭に向かう。もらった根付きのりんご草を、花壇に植えるためだ。
 早速、大事なりんご草を花壇に植え替えながら、ミカはエレナが言っていた事を思い返す。
『ミカは、ご主人様が大好きなのね』
 小さい頃は何も考えずに、気持ちのままにエルネストにそう告げられた。
 今では重すぎて口にできない言葉だった。
 あの頃のように、大好きです、と何度でも口にできたなら、と思う事はあった。
『中佐のお側にいられるなら、どんな事だってするし、中佐を守れるなら、自分の命だっていらないわ』
 エレナは胸をはってそう言っていた。
 ミカだって同じだ。エルネストのためなら、なんでもできる。どんな事でも耐えられる。耐えてみせる。
 エレナが何をしているのか、やろうとしているのか、ミカには分からない。
 けれど彼女があんな風に胸をはって、誇りを持って中佐への思いを語れるなら、彼女を信じようと思えた。
 彼女が悪いことをするとは、思えなかった。
 エレナの力になれなくても、秘密は守れる。
 彼女がいつか自分から語ってくれるまで、ミカは何も言わず、見守ろう。
 無事に植え替えたりんご草にじょうろで水を与えながら、ミカは考える。
 ミカはエルネストの事ばかり考えていたのに、気付いていなかった。エルネストが、このことを快く思っていないと、まるで気付けなかった。


2021/03/22 up

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