竜の棲み処 君が僕の永遠(とわ)なる希望

#10 とても幼くあどけなく

 ユーニとクーが籠いっぱいに森のお土産を詰めて屋敷に戻ってきた時には、もう山吹も謎の作業員達も作業を終えて撤収した後だった。
 あの見るも無惨だった廃屋が、見違えるくらいに綺麗に補修されている。外観も内装もだ。あんなボロボロだった壁も、穴が空いたり剥がれたり傾いでいた床も、壊れて閉まらないどころか枠しか残っていなかった鎧戸も窓も完全に補修され、ユーニが見た事もないくらい、豪華で繊細な細工を施されている。壁紙も床板も真新しくピカピカで、眩しいくらいだ。
 改装工事を始めてまだ五日程度だ。それも何か理由があるのか、一日中作業する事はない。半日程度で引き揚げてしまっていたのに、魔法のようにあばら屋を豪邸に変貌させたダーダネルス百貨店の手腕に、ユーニは驚きのあまり言葉も出てこない。
 クアスにしてみれば、竜の理想の巣である『豪華で綺麗で財宝が詰まった巣』からはまだまだほど遠いが、貧しい村出身のユーニにとっては、それでも壮麗な豪邸に見える。うっかり汚したり傷を付けたりしてしまわないか、とても心配だ。
 あまりの変わりぶりに、玄関ホールに突っ立ったまま床から天井まで呆然と見上げていると、ちょうど居間からクアスが出て来た。
「ああ、おかえり、ユーニ。ユーニの部屋も直してもらったから。それから家具も新しいのと入れ替えた。好みも聞かずに勝手にやったけど、文句は聞かないからな」
「え、あ、そんな、文句なんて言うはずがないです!」
「帰って来たところに悪いけど、お茶淹れてよ。ずっと山吹さんと工事や家具の入れ替えの話をしてて、喉渇いたしゆっくりしたい」
「はい!」
 慌てて籠を抱えて厨房に駆け込んで、再び驚いた。
 掃除は行き届いていたものの、壁は煤け、ひびだらけだった。その厨房も、真新しい壁と石張りの床に変えられていた。
 ユーニが出掛けた時から半日も経っていない。いつの間にこんな、魔法のように新築同様に変えられているのか。キッチンストーブや食器棚、食品棚はクアスが引っ越した時に新調したのでそのままだが、これは驚きだ。
 驚きながらもユーニは手早くキッチンストーブにやかんをかけ、お茶の準備を始める。茶器をトレイに並べながら、ユーニはふと思い返す。
『好みも聞かずに勝手にやったけど、文句は聞かないからな』
 クアスはそう言っていたが、ユーニは今まで文句なんて言ったつもりはなかった。ただ、クアスが与えてくれるあまりに綺麗で高価そうな服やご馳走に、気後れしてしまっていた。それでもじもじしたり、戸惑ったりしていたが、それはクアスに対して、とても失礼な態度だったのかもしれない。
 ララに飴を渡した時に、ララはとても喜んで受け取ってくれた。それがユーニもとても嬉しかったのだ。思い返せば、クアスはユーニの為にあれこれしてくれていたのに、ユーニのそんな態度は喜んでいないように思われても仕方がないかもしれない。
 「ユーニ、ここでお茶飲むから居間に用意しないでいいよ。準備面倒だろうし」
 ひょっこり厨房に現れたクアスは、ユーニの肩の上にとまっていたクーを掌に乗せ、厨房の小さなテーブルに着く。
 「これで工事も終わったし、山吹さんも呼ばない限り現れないから、暫くは静かに過ごせる」
 用意していたティーカップに茶を注ぐユーニの目の前に、クアスは小さな小鳥の置物を置く。この掌に載るくらいの可愛らしい置物が何で出来ているのかユーニには分からないが、見るからに高価そうだ。
「これは昨日までの給金。給金は働いた分支払うと言った通りだ。この小鳥は象牙と小さい貴石で出来てる。この国の通貨で払ってもいいけど、うちに住み込んでいるなら、小遣いを使うとしても山吹さんから何か買うくらいだろうから、これでいい。ダーダネルス百貨店と取引するなら、人間の貨幣なんかより貴金属類で支払った方が断然喜ばれるし高く取引してもらえる」
 尖った耳と尻尾が生えた山吹を見れば、ダーダネルス百貨店が人ならざるものの店なのは分かる。そうなると人間の貨幣なんか価値がないのも当然だ。
 この貴石の小鳥が、ユーニの給金として妥当かどうかなんて、ユーニには分からない。分かる事は、とても高価そうだという事くらいだ。そして、これはクアスがユーニの働きを評価してくれたものだ。喜んで受け取ってくれたララを思い出しながら、ユーニは頷く。
「ありがとうございます。とっても可愛い小鳥なので、必要になるまで、飾っておく事にします。……クー、友達が出来たよ。すごく可愛い子だよ」
 クアスの掌で丸くなって座っていたクーの目の前に貴石の小鳥を置くと、クーはぽてぽてと掌から降りて、小鳥に寄り添い、くぅくぅと鳴いて挨拶をしているようだった。クーと同じくらいの大きさだけれど、ころころぽってりしたクーに比べると、すっきりスマートな小鳥だ。
「目が赤い石なんですね。コケモモみたいに真っ赤でとっても綺麗だ。ありがとうございます、もっともっと役に立てるよう頑張りますね!」
 もじもじしたり自分を卑下したりせず、素直にクアスの厚意を受け取ったのは、これが初めてだったのではないだろうか。そのユーニの返答に満足したのか、クアスはゆっくり頷く。そのクアスと目が合った。
 クアスはカップを置きながら、ユーニを真っ直ぐ見つめ、笑みを見せる。
 深い森のみどりの目を細めて笑うクアスは、この世ならざる美しさだ。
 クアスがユーニ笑って見せた事なんて、今までなかった。大抵は面倒くさそうな、気怠げな。そんな笑顔をクアスが見せたのは、これが初めてだった。
 時に冷たくも見える整った綺麗な顔なのに、その笑みはとても幼くあどけなく、まるで子供のように無邪気に見える。
 ユーニは何故か泣きたいくらいに、切なくなった。笑ってくれた事が嬉しいなんて、そんな単純な気持ちではなかった。とても嬉しくて、胸がぎゅっと締め付けられるようで、そしてほんの少し、悲しくも思える、今まで感じた事のない気持ちだった。
 息を詰めたまま、そのクアスの笑みを見つめるしかなかった。言葉なんて、何も出てこなかった。



 この豪華に綺麗に改装された屋敷を維持するのは、ユーニとほうきウサギの大事な仕事だ。
 何しろこの屋敷は広い。大昔に領主の館として使われていたくらいだ、規模はそれなりに大きい。使っている部屋の清掃は当然だが、使われていない部屋もしっかり空気を入れ換え、適度に掃除をし、管理しなければならない。
 それから、茨の森で集めた木切れや野生の果物、作っておいた煮柳も加工しなければならない。料理だってもっともっと練習しなくては。やらなければならない事はたくさんだ。
 ユーニがこのクアスの巣にやって来てから一ヶ月が過ぎていたが、クーにしっかり本を読んで貰いながら練習を積んだ結果、基本のパンを焼けるようになり、パンにドライフルーツや木の実を混ぜて焼いたりする事が出来るようになった。簡単なサラダや、シンプルな味付けで肉や魚を焼けるようにもなった。
 本に書いてある通りに量り、手順を守ればそれほど難しくないものは作れる。
「ものすごく順調じゃないか。あとはお茶請けのお菓子だな。午後のお茶には甘い物が絶対欲しい。出来ればこってり豪華なやつ」
 いつも面倒くさそうというか気怠げというかつんとすましているというか、そんななんともとっつきにくい雰囲気を醸し出しているクアスだが、慣れてみればこれは斜に構えてるわけでも無愛想なわけでもなかった。
 ちょっぴり素直じゃないというか、不器用というか。そしてなんだかほんのり、子供のようなわがままというか。一緒に暮らすうちにユーニもだんだん分かってきた。
 意外な事にクアスは甘いもの好きなようで、とにかくお菓子に期待している。なんとかユーニも簡単な混ぜて捏ねて焼くだけのクッキーや小さなケーキなら作れるようになったが、最初にクアスにもらった料理本の最後の方に載っていた挿絵の、シロップ煮の果物やクリームがたっぷりの見るからにおいしそうでキラキラ豪華なケーキにはたどり着けていなかった。
「が、頑張ります……!」
 クアスが食べたいというなら頑張りたいし、本当の事を言うと、ユーニも食べてみたかった。こんな綺麗でおいしそうなものを、食べた事なんて当然ないし見た事もない。頑張って作れるようになって、いつも一緒に飲む午後のお茶に是非とも添えたい。
 こんな素敵なお菓子を一緒に食べられて、クアスに喜んで貰えると思うと、是が非でも成功させたいところだ。
「こんなに作れるようになるなんて、思ってなかった。まあ掃除洗濯だけでもと思ってたら、本当に言われた通り練習してるし。……真面目だよなユーニは」
 ユーニにしてみれば命を助けて貰った上にここに置いてもらえて、給金まで頂いているのだ。それこそクアスの望む全ての仕事をこなしてこそ恩に報いるとまで思っている。
 それに、何よりもクアスが喜んでくれるのが、本当に嬉しかった。
 あまり笑顔を見せないクアスが時折見せてくれる、とても嬉しそうな、屈託ない笑みは、ユーニにとって何よりのご褒美かもしれない。
「拾った時はガリガリに痩せこけてるし、顔色も悪いしで、もしかしたらこのまま弱って死んでしまうかと思ってた。なのにあんな枯れ木みたいな身体でものすごく働いて……」
 そこまでクアスが言いかけた時、突然、何かの鳴き声が響き渡った。屋敷中に響き渡り、ビリビリと空気が振動する激しさだ。
「な、何が……!」
 この声は聞き覚えがある。初めてクアスに出会った時だ。
 荒れ狂う風の渦から現れた翠玉の鱗を持つ風の竜の、空を引き裂くような咆哮。あの竜の美しくも恐ろしい鳴き声だった。



2017/11/05 up

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