騎士の贖罪

#03 将軍の慈悲

 爆ぜる火の粉が街の至る所に降り注いでいた。
 城下街にはなだらかな坂と石畳の階段が張り巡らされた裏道がある。その狭い路地裏の坂と階段を駆け上るリュシオンにも火の粉は降りかかるが、熱さなんて気にしていられなかった。一刻も早く王宮へ向かわなければならなかった。
 漆黒の夜空を、燃え上がる炎が焦がす。城下町のあちこちから火の手が上がり、王宮からも煙が立ち上っていた。
 絵を描く為に野営していたリュシオンの手元にあった武器は、細身の剣一本だけだった。まさかこんな事になるなんて、思いもしなかった。どんな時でも騎士ならば武器だけは肌身は出さず持つべきだったと、後悔せずにいられなかった。
 月もない暗闇の中、次々と燃え広がる炎と舞い上がる火の粉は、逃げ惑う人々を赤々と照らし出していた。
 城壁の外へと向かって悲鳴を上げながら逃げ惑う人波に逆らいながら、リュシオンは王宮を目指して走り続ける。
 城下に燃え広がる炎は、煌々と王城を照らす。
 両親は王家の人々を守る為に王城へ向かっただろう。リュシオンの一族は王家と深い血の繋がりがある『盾の一族』だ。父だけではない。母も王子や王女達の教育係を務めていた。彼らを守りたいと願う気持ちは義務だけではない。
 ただの火災ではないのはよく分かっている。これは奇襲だ。こんな深夜に、こんなにあちこちから火の手が上がるのはカルナスの奇襲以外考えられない。
 嫌な予感がしていた。
 剣を握りしめながら、リュシオンは赤々と照らされる王城を見上げる。
 城の塔から垂れ下がる幾つもの人影が浮かび上がっていた。
 後ろ手に縛られ首を括られて吊される、幾つもの人影だ。
 遠目でも分かる。大人達の影に紛れ小さな人影まで、吊され晒されていた。あの小さな人影は王子や王女だ。あんな小さな子供までこんな惨い殺され方をするのかと、リュシオンは言葉もなかった。呆然と見上げるしかなかった。
 城内には恐らく、忍び込んだカルナスの兵士達がひしめいている。その中をかいくぐり、彼らを助けられるだろうか。
 リュシオンは幾つもの死体を見上げながら、考える。
 もう死んでいるのは分かっている。それでも助けたかった。こんな惨い姿で晒されているなんて、耐えられなかった。
 見上げるリュシオンの視界に、見覚えのある服が飛び込む。
 濃紺に白い花模様を織り込んだ、華やかな生地だ。その色鮮やかな服は、今朝、リュシオンを笑顔で見送った母が着ていたものだ。その鮮やかなドレスからそう離れていないところに、見慣れた父の背中があった。どんな遠目でも見間違えるはずがなかった。
 これは夢だ。
 リュシオンは剣を鞘から解き放ち、駆け出す。泣き叫びたかった。気が狂いそうだった。こんな惨い現実を受け入れられなかった。
 こんな残酷な事が、こんな惨い事が、現実であるはずがない。
 これは夢だ。全て夢だ。そうだと思いたかった。



「おはようございます、リュシオン様。今日もいい天気ですよ!」
 黒髪に浅黒い肌をした少女は閉ざされていたカーテンを開いて、リュシオンに笑顔で呼びかける。
「今日の朝ご飯は、とれたて卵のオムレツとお庭で採れた野生林檎クラブアップルですよ。庭師のおじさんがすごく上手に育てているから、びっくりするくらい甘い野生林檎クラブアップルなんですよ」
 この少女はジーナといい、この家の女中見習いだ。リュシオンより少し年下くらいで、珍しい肌色をしているが、カルナスは巨大な植民地を持つ。元々はカルナスの国民ではなく、どこかの少数民族だったのかもしれない。
 ジーナは不思議なほど自然に、まるでリュシオンが暮らしていたクレティアの屋敷のメイドのように、リュシオンに仕える。ここがカルナス帝国の将軍の屋敷だというのを忘れてしまいそうになるくらいに、当たり前のようにかしずかれていて、リュシオンは困惑せずにいられなかった。
「……おはよう、ジーナ」
 いつもジーナに接する時、戸惑いを覚えるが、ジーナは全く気付かないのか気にしないのか、にこにこ人懐こい笑顔を見せる。
「今日は起き上がれそうですか? クラーツ様が、ずいぶん具合がよくなったから、できるだけベッドから出て、動いて、テーブルで食事を取るようにした方がいいって言ってました」
 促されるままにベッドを降りてテーブルにつくと、ジーナはてきぱきと朝食の給仕を始めた。
「食後にクラーツ様が診察にくるそうです。ちゃんとお薬飲んでるかって、私、毎日聞かれるんですよ。リュシオン様はちゃあんと飲んでますって言ってるのに、毎日絶対確認されるんです」
 ジーナのおしゃべりを聞きながら、リュシオンは黙々と朝食を取る。
 敵国の将軍に飼われ、どんな辱めを受けるのかと身構えていたが、ここに来て一ヶ月の間、その『飼い主』であるレクセンテール将軍に一度も会った事がなかった。
 それどころか手厚く手当を受け、身の回りの世話をする女中をつけられ、まるで客のような扱いを受けていて、困惑せずにいられなかった。不自由はない。きちんと怪我の治療も施され、こうして客のように扱われている。
 ただひとつ、囚われ人らしいのは『この部屋に軟禁されている』ところか。
 この部屋は広く、風呂も用意されていて調度品も贅沢な品々ばかりで、とても『捕虜の部屋』だとは思えない。季節の花が植えられた華やかな中庭まであった。ただし、中庭は驚くほど高い石の塀で囲まれ、隣の部屋の様子すら分からない。そして部屋には常に鍵がかけられ、この部屋以外には出られないようになっていた。
 もしかしたら部屋ではなく、離れのようなものかもしれない。中庭とこの部屋だけでは全く判断がつかなかった。
 この部屋に閉じ込められてから顔を合わせているのはこのジーナと、今話題に出た『クラーツ』だけだ。肝心の『飼い主』が現れる気配は全くなかった。
 おかげでゆっくり身体の傷を癒やす事ができた。あとは骨を砕かれた踝だ。今は足を引き摺りながら歩いている。元通りになるのかと不安はあった。
 利用できるものは利用しよう。そうリュシオンは思っていた。
 あの男に復讐をするには、健康な身体が要る。弱った身体で勝てるはずがない。
「何か必要なものはありますか、リュシオン様。欲しいものがあったら、言って下さい。グレイアス様にお願いできます。私、ちゃんと聞いてくるように言われてるんです。だから、何かあったらすぐ言って下さいね」
 ジーナはあまりに無邪気だ。何も知らされておらず、リュシオンがただの客人だと思っているのかもしれない。
「ありがとう。今は何も欲しいものがないんだ。いつも気を遣わせてしまって申し訳ないね」
 そう返事を返すと、ジーナはぱあっと笑顔になる。いつもろくに返事をしないリュシオンが口を開いたのが嬉しかったのかもしれない。ジーナのこの無邪気さと明るさに、リュシオンは和まずにいられなかった。
 小さく鍵の開く音が響いた。すぐにジーナは扉へと歩み寄る。
「クラーツ様がお見えになったようですよ。……おはようございます、クラーツ様。リュシオン様は今、お食事中です」
「ジーナ、診察をするから席を外してくれ。終わったら呼ぶから」
「はい。じゃあ、リュシオン様。またあとで食器を下げに来ますからね」
 ジーナと入れ替わりに入ってきたのは、明るい栗色の髪をした青年で、名をクラーツという。まだ年若く修行中だと言っていたが、身分は医者だ。それも宮廷に仕える医者だと、ジーナが言っていた。ジーナは女中部屋や色々な場所から噂話を仕入れてくる。
『リュシオン様の治療の為に、暫くグレイアス様にお仕えする事になったって言ってました。普段、王族やすごく身分の高い貴族の方しかみないお医者さんなんですよ。すごく若いけど、将来有望なんだってグレイアス様も仰ってました』
 それが本当なら、捕虜で将軍の『ペット』に対して考えられない破格の待遇だ。幾らリュシオンがクレティア王国の王位継承権を持っていても、単なる『奴隷』に過ぎない。
 その奴隷に客人のような扱いと、修行中の若手とはいえ宮廷医師をつける。腑に落ちない待遇でリュシオンは気味が悪く思えていたが、クラーツの言動は、リュシオンが捕虜なのだというのを強く思い出させる。それだけは、『それなりの』扱いをされていると感じられた。
「毎日うなされているとジーナが言っていた。薬が強すぎたかな。……ああ、踝も大分いいね。これなら薬を弱くしてもいいだろう」
 ベッドに投げ出されたリュシオンの踝を確認しながら、クラーツはメモを取る。律儀に経過を記録しているのか、いつもまめまめしくメモを取っていた。
「一応聞いておくけど、吐き気や目眩、頭痛はないか? 薬の影響がでるかもしれないから、面倒でも毎日答えてもらわないとね」
「特にない」
「今日から薬を替えるから、何か異常がでたらすぐジーナに伝えて」
 今日の分の薬をテーブルに並べ終えると、クラーツは再びメモを取る。
 そのメモを見たかったが、見た事もない異国の文字で記録されていて、リュシオンには読めなかった。毎日飲まされているこの薬が何の薬なのか知りたいが、尋ねてもクラーツは鼻で笑うだけだった。
 量が多い。
 痛み止めや化膿止めだとしても、数が多い。気になるが、特に身体に異変はなかったし、胃薬の類いかもしれない。思えばリュシオンは大病も大怪我も経験もなかったので、この薬の量が適正かどうかもリュシオンは判断が付かない。
 不安や不信感があっても飲み続けなければならなかった。傷を治さなければ何もできない。今はいいなりになるしかなかった。
 どうせ生きては帰れない。それでもあの男に復讐をする為に、その為だけに健康な身体が欲しかった。
「ここに来て一ヶ月か。傷も大分いいし、あとはその足首を動かす練習だ。……骨を繋ぐ為に固定していたから、筋肉も固まってしまってる。風呂に入った時にでもよく暖めて揉んでおくといい」
 メモを取り終え、クラーツは持ち込んだ薬や書類を片付け始める。まるで道具の修理をするかのように事務的な態度だ。
「君は恵まれていると自覚してるのかな。愛玩動物に破格の待遇をしているよ、レクセンテール将軍は」
 恵まれている。
 飼われている時点で少しも恵まれていない。望みもしない境遇に感謝なぞするはずがない。リュシオンは唇を噛みしめ、無言のままクラーツの話を聞くだけだ。
 珍しくクラーツは、治療以外の事を口にした。こんな『治療に関係ない話』をするのは初めての事だった。
「大抵の奴隷が使い捨てだっていうのに、手当してもらえてるんだ。将軍の慈悲に感謝したらいい。……ああそれとも、その身分かな。クレティアの継承権を持つ王子様だものね」
 クラーツは何を考えているのか分からない。これが厭味なのか本気なのか分からない不気味さがあった。心からそう思っているかのような口ぶりで、ますますそれが薄気味悪く思えていた。
 クラーツだけではない。グレイアス・レクセンテールもだ。何を考えているのか、全く分からない。本気でリュシオンを飼うつもりなのか、それとも何か本当は目的があるのか。何かを企んでいるのか。
 この扱いにも待遇にも、クラーツの言葉にも、未だ一度も姿を見せないグレイアスにも、戸惑うばかりだった。


201/04/13 up

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