騎士の贖罪

#17 あまりに弱く浅ましく

 リュシオンは蒸し暑い中庭の木陰で絵を描いていたが、諦めて銀筆を放り出し、足下を埋め尽くすシロツメクサの上に寝そべって、葉陰から空を見上げる。
 アンネットの為に描いている『撫でても消えない子犬の絵』はあまり捗っていないが、コツコツ描き進めていた。最も持ちがいい画材は銀筆か。厚い紙に描いておけば、子供が撫でたり抱きしめたりしても、そうそう破れはしないだろう。
 画板の上の絵をなぞりながら、これはアンネットを手懐けるのに必要な道具だと、自分に言い聞かせる。リュシオンの部屋は徹底して武器になりそうなものは置かれていないが、アンネットの部屋は分からない。もしかしたら何か役立つものがあるかもしれない。
『きっとよ。……また来てね』
 あまりに寂しげで悲しげで、グレイアスの娘だと分かっていても、やりきれなかった。火傷痕に覆われた動かない両足が、頭からどうしても離れなかった。
 柔らかなシロツメクサに埋もれながら、リュシオンは目を閉じる。あまりに時間がありすぎて、余計な事ばかり考えてしまう。
 かちり、と鍵の開く音が響いた。
 ジーナはついさっき、お使いの仕事があると部屋を出た。帰ってくるには早すぎる。これはグレイアスかもしれない。今は特にグレイアスに会いたくなかった。どうしてもアンネットが脳裏に浮かんでしまう。
 シロツメクサの草むらで、リュシオンは寝たふりをする。部屋に響く足音は、革靴の音だ。これは間違いなくグレイアスの足音だ。
 グレイアスは部屋の中で立ち止まって、また壁際に並べられている描きかけの絵を眺めているようだった。暫く佇んだ後、ポーチを歩く靴音が響く。
 寝たふりをしたところで、リュシオンを『使う』なら起こされるだろう。それでもリュシオンは眠り込んだふりを続けていた。
 草むらを踏み分ける足音と、人の気配が近付く。グレイアスは木陰のリュシオンの傍まで歩み寄り、投げ出されていた画板を拾い上げたようだった。
 画板に止められた紙をめくる微かな音が響く。
 アンネットの為の子犬の絵の他に、幾つかの動物の絵も描いて紛れ込ませていた。あの子犬をまた描いていても、そう怪しまれる事はないはずだと思いながらも、内心はどきどきしていた。
 ふいに大きな手が頬に触れた。思わずびくり、と震えてしまう。
「寝たふりをするなら、腹で呼吸をしろ。寝ている時の人間はそんな浅い呼吸をしない」
 最初から気付かれていたと思うと、自分の浅はかさにうんざりせずにいられない。リュシオンは渋々目を開けて、起き上がる。
 グレイアスはこの蒸し暑い日でもいつものように、火傷の痕を覆い隠すようにショールを巻いていた。思えばグレイアスに会うのは久しぶりだ。銀筆で切りつけて酒を流し込まれたあの夜以来、会わずに過ごしていた。
 グレイアスはリュシオンの傍らに座り込んで、まだ画板の絵を見ていた。その伏し目がちの横顔を眺めながら、リュシオンはぼんやりと考える。
 アンネットはグレイアスによく似ている。
 顔の造作はそれほど似ていない。黄金に赤銅が混ざったようなこの印象的な狼の瞳と濃い黒髪が、この父娘をよく似せて見せているのか。
 リュシオンの視線に気付いているのかいないのか、グレイアスは真剣に絵を眺めていた。紙を何度かめくり、子犬の絵に戻る。
 この子犬の絵は、やはりグレイアスも気にかかるのか。もしかしたらアンネットに欲しいとでも言いたいのかもしれない。言い出せるような事ではない。あまりにこの子犬はグレイアスとリュシオンにとって、因縁が深すぎる。
『おとうさまが、お土産にくれたのよ。優しいおにいさんが、アンネットにくれたって言ってた』
 アンネットの嬉しそうな声が耳元で蘇る。
 振り払うようにリュシオンは緩く首を振り、立ち上がった。
「……さっさと済ませてしまおう」
 そうグレイアスに告げると、グレイアスはようやく画板の絵から顔を上げた。
 そうだ。さっさと済ませてしまえばいい。
 さっさと済ませて、病気がちな娘のところに行ってやればいい。愛玩物に時間を割く必要はない。無駄な愛撫なんかいらない。この身体の中に押し入り精液を注ぎ込んで、出て行けばいい。
 リュシオンは画材を手早くまとめて抱え、足を引き摺りながらポーチへ向かう。今はこの不自由な足にも慣れて、引き摺りながらでも歩く速度はそう遅くはなかった。
 画材をポーチのテーブルに投げ出し、リュシオンは木陰のグレイアスを振り返る。
「道具のように扱えばいい。その為に僕を手に入れたんだろう」
 履いていた靴に手をかけ、足から引き抜く。真新しい絹の靴下を脱ぎ、ズボンのボタンを外し、下着ごと引き下ろして足から引き抜く。
 纏っていたシャツの袖口のボタンを外しながら寝台へと歩き、グレイアスを振り返る。
 画板を持ったまま、グレイアスはじっとリュシオンを凝視していた。何か言いたげにも見えた。何もかもどうでもいい、とでも言いたげにも見えた。
 グレイアスはポーチのテーブルに画板を置き、首を覆っていたショールを外して床へ投げ捨てた。
 本当に、よく似ている。
 寝台に座ったまま、目の前のグレイアスをリュシオンは見上げる。
 この無慈悲で野蛮な男は、何故こんなにも、寂しげで悲しげなアンネットとよく似た瞳をしているのか。



 最後にグレイアスに『使われた』のはいつだったか。随分前だったかもしれない。
 暫く『使われて』いなかったリュシオンの身体は、また硬く狭くなってしまっていた。
 ちゅく、と粘った音が響く。リュシオンはピローに埋もれるようにしがみつき、息を詰めて零れ落ちそうになる声を押さえ込んで耐える。
 例の塗り薬さえあれば、多少乱暴に犯されてもそれほどは傷つかない。早く済ませろ、とリュシオンが震える声で詰っても、グレイアスは無視して、丁寧に指と薬を馴染ませていた。
 硬くいかつい指が突き入れられてから、どれくらいの時間が経ったのか。中に入り込んだ指先はじりじりとリュシオンを追い詰める。
 リュシオンの願い通りに、そこ以外触れもしない。その代わり、そこを執拗に弄られて、リュシオンは唇を噛みしめて耐えていた。
「く、……う……」
 殺しきれない声が緩んだ唇から漏れ落ちる。グレイアスの指を迎え入れた両足の奥は、信じられないくらいに淫らに、粘った水音を立てていた。
 最初こそ圧迫感と痛みがあったが、慣れた身体はすぐに快楽を思い出した。薬を塗り込めるまでもなく、中に沈められた指で軽く撫でられただけで、下腹が熱くなっていた。
 リュシオンの中を探る指は、もどかしくなるくらいに優しく感じられた。身体はその指に喜び、きゅうきゅうと音がしそうなくらいに締め付け、淫らな音を立てて根元まで喰い締めているが、心は悲鳴をあげそうだった。どんなにこの男を拒絶しても、身体はこの男が与える快楽をよく知って、覚えている。惨めで情けないのに、口を開けば甘く媚びた声で、ねだってしまいそうだった。
 羞恥と快楽にあらがおうと固く閉じていた瞳を薄く開くと、覆い被さるグレイアスの顔がすぐ傍にあった。 唇に熱く乱れた吐息が触れる。
 身体がますます熱くなるように感じられた。リュシオンは逃れるように顔を背け身を捩り、力の入らない片手で押しのけようとあがく。
「も……っ……、いやなんだ、早く終わらせろ……! こ、こんなの、く、んんっ……!」
 拒絶の声も、甘く蕩けて響いていた。自分の身体の浅ましさと惨めさに、再び閉じた眦から涙が溢れ、伝い落ちた。
 グレイアスから逃れようと背けていた首筋に、唇が触れた。触れた、と思った瞬間に、きつく噛みつかれていた。鋭い痛みに、リュシオンは思わず小さく悲鳴を上げる。
 噛みつかれたのと同時に、硬く膨れ上がった肉の楔が突き入れられた。強引に奥まで突き入れ、最奥を抉られて、リュシオンのつま先が震え、空を切った。
 大きく無骨な手が、リュシオンの細い腰を押さえつける。乱暴に腰を押しつけられ突き上げられて、耐えきれずに緩んだ唇から、信じられないくらいに甘く蕩けた声が溢れ、零れ落ちた。
「やめ、あ、あぁああ……!」
 声だけではない。男に犯される快楽に慣れた身体は、残酷なくらいに正直だ。硬く膨れ上がった雄に擦られ、突き上げられる度に、繋がったそこから聞こえる粘膜の擦れる淫らな水音が、リュシオンの耳を打ち続けた。
 身体の奥深くを叩くように吐き出された体液の熱さに耐えきれずに、リュシオンは背をたわませて達した。
 溶け落ちそうなその感触に、吐息が震える。
 この男の娘に、自分がこの男にされた事と同じ事をしてやったなら、この男はどう思うだろう。
 小さく弱いあの娘を犯し殺したなら、この男をどんなに傷付けられるだろう。
 リュシオンを生かしておいた事を、死ぬほど後悔するだろう。怒りのままにリュシオンを殴り殺してくれるかもしれない。
 グレイアスの荒れて無骨な手が、リュシオンの薄く開いた瞳を覆い隠すように伸ばされた。その手に抗う事なく目を閉じながら、リュシオンは身体の中で再び熱を持ち始めた雄に、小さく吐息を洩らす。
 できたならよかった。
 アンネットの無邪気で弱々しい微笑みを思い返す。
 これが弱さなのか、優しさなのか、甘えなのか、もう分からない。
 この男を苦しめるなら、それが最良の方法だろう。それなのに、それすらためらい、実行できない。
 塔から吊された両親や、小さな王子、王女達のあまりに惨い姿を、未だ夢に見る。リュシオンを捕らえ笑い、撫で回す幾つもの男達の手を、下卑た笑い声を、忘れた事はない。
 自分を欺き、祖国を滅ぼさせた男にこんな風に組み敷かれ犯されても、それでも、そんな残酷な復讐をできそうになかった。
 それはリュシオンの弱さなのか、脆さなのか、正しい事なのか、正しくない事なのか、もうそれも分からない。
 無骨な手に覆われた瞳から、涙が溢れ出る。
 あまりに弱く浅ましく、惨めだった。それでも生き続けなければならない。許されない罪を償わなければならない。
 死んでしまいたかった。何もかも投げ出し逃げ出して、死んでしまえたなら。そう思わずにいられなかった。


2018/05/21 up

-- 電子書籍版配信中です --
騎士の贖罪(本編29話+番外編)※各電子書籍ストア
騎士の贖罪 異聞 恋着(後日譚)※Kindleのみ

clap.gif clapres.gif