竜の棲み処

#49 竜も番人も、業が深い

「……ものすごく、めちゃめちゃ、身体が痛いです……。なんていうか。……骨がミシミシいってる」
ルサカはレオーネの書斎の長椅子に死んだように横たわっていた。
「……だろうね」
 レオーネは本を開いたまま、ルサカの傍らに立って頷く。
「これが限界以上の魔力を消費した状態。ここまでいったら戦闘不能で、君の負けだ」
 ルサカはもう涙目だ。痛いなんてもんじゃない、痛いし苦しいし、死ぬんじゃないかと思えた。
 努力は惜しまないつもりだったが、予想を超える勢いで最初から厳しすぎる。
「……ここまで消費する前に逃げなさい。どんなに魔法で身体を強化しても、苦痛は取り除けないし、魔力を完全に消費し切ったらその身体の強化も消える。……逃走も戦略のうちだよ」
 初日からスパルタすぎる。
 授業の終わりにレオーネに全ての魔力を奪われたが、こんなに激しい痛みがあるなんて予想外すぎた。
「わかりました……」
 返事をするだけで精一杯だ。もう指一本動かせない。
「魔力を補充しないと動けないだろう。……返しておこう」
 ルサカの額に、レオーネのあの、綺麗な顔に不釣り合いな無骨な手が触れる。
「君は元々、魔力量が低いからね。質だけで補っている状態だ。よく限界を知っておいた方がいい。……竜の魔力なら、簡単に補充する方法はあるといえばあるけれど」
「……そんな手軽な方法が?」
「竜の生き血を飲めばいい」
 思わずルサカは軽く噎せて咳き込む。
 タキアの生き血を飲め、という事か。 それはちょっと難易度が高すぎる。
「……それはすごく……抵抗が」
 触れられている額がほんのりと熱を帯び、気付けばあの痛みは消えていた。
 魔力がある人間が魔力を失うと、こんな苦痛があるなんて知らなかった。
 そもそも自分に魔力がある事すら知らなかった。その今まで使い道もなくただ身体に溜め込まれていただけのものが無くなっただけで、これほど痛むのかと、ルサカは不思議に思っていた。
 本人が自覚せずとも、身体は魔力に満たされている状態が平常だったという事か。
「竜の血肉には魔力が篭もっているからね。……最も濃度が高いのが血なだけで、他のものでもいいよ。……番人なら手軽に手に入るものがあるしね」
 それは手に入るというより身体に入るものの事か。それは手軽と言えば手軽だけれど、本当に手軽だろうか。
 レオーネにそんな事を言われると思わなかった。
 レオーネの前で思わず想像してしまって、ルサカはどんな顔をしたらいいのか思わず目をそらして赤面する。
 それを飲めという事だろうか、と一瞬疑問に思ったが、質問するにはハードルが高すぎた。ルサカはその疑問をそっと胸にしまい込む。
「……君はどの属性とも相性がいいね。……ますます持って惜しい事だ」
 本を閉じ、レオーネは書棚に向かう。
 ルサカも寝椅子から起き上がり、投げ出していた本を拾う。
 結局、ルサカはレオーネに問い質す事も出来なかったし、レオーネもあの後、話題に出さない。
 例の書庫の本を読んだかは確認せず、ルサカが予習出来ているかどうかで判断していたようだった。
 ルサカが疑問に思おうが思うまいが、ルサカの予習の教材になればいい、としか思っていなかった。とは到底思えない。
 何か思うところがあるからこそ、告げたのだとは思う。
 レオーネの思惑など、たかが十数年しか生きていないルサカには量り知れるわけがなかった。
「魔力がとにかく少なすぎる。大掛かりな術式のものはほぼ不可能だが、中規模程度のものまでなら、何とかなるかな……」
 一冊の分厚い古びた竜言語の魔術書を取り出して、寝椅子に座るルサカに差し出す。
「……目指すところはこのレベルまでかな。……まずは身体強化を常時維持する事を目標に。……それと、もっと竜の言葉も覚えないとね」
 やる事も考える事も山ほどある。
 渡された本を捲りながら、ルサカは頷く。
「まず身体強化を覚えないと、君は自分の使う魔法にも耐えられないだろうし、これを常時意識せずに維持出来るようになったら、次の段階に行こう」
 先は長そうだ。
 予想以上にレオーネの手を煩わせる事になりそうだ。
「レオーネ様、迷惑じゃないんですか? ものすごく時間もかかるし、レオーネ様の手も煩わせてしまうのに、それでも無償でいいなんて、申し訳なく思います」
 レオーネは軽く頷いてみせる。
「時間なら幾らでもある。……それにルサカ、君にはとても興味がある。色々な意味でね」
 その興味は竜の魔力を持つ事だけではない、とルサカも良く分かっている。
 タキアと、ルサカと、そして、ルトリッツの古城の巣。この全てにレオーネが興味を持っているのだろう。それくらいはルサカも分かっていた。
「だから気にしなくていい。……それに、無償ではないよ。私に何かあったら、君はリリアとノアを守らなければならないからね。場合によってはただより高いものはないかもしれないよ」
「そんな日が来ない方がいい、と思ってますよ。ぼくは」
 心からそう思う。
 レオーネにもリリアにもノアにも、もう苦しみや悲しみを近付けたくなかった。彼らにこれ以上苦痛を与える何かが起こるなんて、考えたくもない。想像すらしたくない。
 そのルサカの言葉に、レオーネはいつもの穏やかな笑みを見せる。
 この笑みがどんな苦痛の上にあるのか、それを思うとルサカは胸が痛まずにいられなかった。



 身体強化の魔法の維持。これはかなり難しいんじゃないか。
 ルサカは帰ってきた後も、居間のふかふかな絨毯の上に座って復習をしていた。
 今日帰り際に、レオーネにごっそり魔力を奪われたのが効いているのか、復習はあまり捗っていなかった。
 返して貰ったもののなんだか奪われた量ほど返っていない気がする。多分、レオーネは故意にそうした。
 この、少ない量で維持しろって事か。
 ルサカは静かに集中する。
 確かに集中すれば維持出来る。これを無意識に維持できるようになれ、とレオーネは言っていた。
 コツさえ分かればいけそうな気がする。
 いけそうな気がするのに、かけなおししすぎて魔力が尽きそうだ。尽きたらまたあの痛みがあるかと思うと、今日はここまでで寝るしかないかもしれない。
 その熱心なルサカを見守っていたタキアは、いつの間にか居間のテーブルにお茶の用意をしていた。
「ルサカ、お茶用意出来たから一休みしたらどうかな。……根を詰めると身体に悪いよ」
「えっ。タキアが?」
「僕だってお茶の用意くらい出来るよ! たまに手伝ってるじゃないか」
「ああそうだった! ごめん、すごくびっくりして……」
 確かに手伝ってくれる事はあったが、自分で用意しているタキアは見た事がなかった。
 交尾の後に死んだようにぐったりしているルサカの為に、かいがいしく食事の支度をしている事を考えれば、お茶の用意くらい出来ないはずがなかった。
「ありがとう、タキア。……ありがたくいただきます」
 タキアの淹れてくれたお茶を飲みながら、ルサカはまだ考え込んでいた。
 もうちょっと練習出来れば、いけそうな気がする。だが魔力が尽きそうだ。もう少し頑張りたい。あと少しでコツが分かりそうなのに。
「ルサカが頑張りすぎててなんだか心配だよ。……何か勉強を始めると、ルサカは夢中になって寝るのも食べるのも忘れちゃうからなあ……。ほどほどにしないと」
「ああ……うん、気をつける。ごめん」
 ふと、ルサカはレオーネが言っていた言葉を思い出す。
『竜の血肉には、魔力が宿る。素早く回復したいなら、竜の生き血を飲めばいい』
 そうだった。その手があった。タキアがいるじゃないか。



「……ルサカの魔法の勉強と目隠しの因果関係が本当に分からないんだけど、もしかして何かすっごく怖い事する気?」
 しっかり目隠しをされて、居間の寝椅子に座らされたタキアはなんだかとても不安そうだ。
「怖い事はないよ。多分。……ただあんまりその事に触れて欲しくないっていうか」
 ルサカはタキアの両手を取って、しっかりと結び始める。完全に拘束状態だ。
「えええ? ちょっと待って、手まで縛るの? 本当に、何をする気? ちょっとさすがに怖いんだけど!」
「魔法は使わないから安心していいよ。……多分、痛いって事もない……はずだよ。多分」
 まさかこんなところで例の大人な本『竜と過ごす夜の為に』が役立つとは、ルサカも思いも寄らなかった。
 これを、タキアにされた事はない。ちょっとソレっぽい事を軽くされた事はあるが、本に出ていたような、こんなガッツリとしたのはされた事がない。
 だから多分、タキアはこれを知らない。
 ルサカも知らなかった。『竜と過ごす夜の為に』を読むまでは。
 どんな勉強も決して無駄にならないんだな。こうして意外なところで繋がったりしてるんだな……。
 そう考えると、竜と番人の業の深さを感じる。本当に業が深い。
 ルサカはしみじみと実感していた。
「これはタキアにお願い。お願いっていうか、頼み事。……今からする事について、何か言わないように。多分言うだろうけど、言わないようにって一応、念を押しておくから」
「ルサカを信用しないわけじゃないよ。ないけど、でもなんだか不安なんだよ、だって目隠しとかこんな縛られたりとか……!」
 タキアも不安を隠せない。ものすごく混乱して焦っているのがよく分かる。いきなり目隠しと拘束をされたら誰だってそうだろう。
「口も塞いでおけば良かったかな……」
 その物騒なルサカの言葉を聞いて、タキアも慌てて押し黙る。この上、口まで塞がれたら本当に怖い。
 ルサカも正直躊躇いはあった。あったが、コツがもう少しでつかめそうなのに、みすみす逃したくなかった。
 ルサカは今日出来る事を明日に伸ばすのが嫌いなタイプだった。
 容赦なく、タキアのベルトに手をかけ、脱がせにかかる。
「……えええ何する気なんだよルサカ、本当に……!」
 予想外のルサカの行動に、タキアも若干の抵抗を見せる。
「多分痛くないから! 痛くないようにするから!」
「ルサカが怖い! 本当に怖い!」
「いつもぼくに好き勝手してるんだから、たまには言う事聞くといいよ!」
 逃げを打つタキアの腰を掴んで、容赦なく下着に手を突っ込んで引っ張り出す。
 間近で見るとなかなかの迫力だった。
 この半年で見慣れたつもりだったが、こうして改めて目の前にあると、本当に人間じゃないんだな、と思い知らされる。
 思い切って、その、異形のそれに口付ける。
 幾度か口付けると、何をされているのかタキアも把握したようだった。
「……え。……ちょっと、ルサカ、なにして……」
「ぼくも恥ずかしいんだけど色々事情があるんだよ。……ちょっとタキア、黙ってて」
 これを口の中に入れるのは、ものすごい勇気がいる。
 いるが、『竜と過ごす夜の為に』にはそう書いてあった。それから全部口に入れるのは無理だからやめておけ、とも書いてあった。
 軽く舐めただけで、手の中のそれはすぐに熱を持ち、硬くなりはじめる。
 ああ、本当に本に書いてあった通りだ、とルサカは納得する。これを喜ばない竜も番人もいない、と書いてあった。その通りだ。
 更に丁寧に丁寧に、赤く小さな舌先で優しく舐める。
「……ルサカ、ちょっと本当にやめて、それはちょっと」
 タキアは往生際悪く何か言っているが、ルサカもここでやめるわけにはいかない。完全に無視している。
 両手で軽く撫でつつ、その先端に唇を寄せ、舌先で舐め、時折啄むようにキスする。タキアの息が荒くなり始めたのを聞きながら、その先端を咥え、軽く吸い上げる。
 それだけで派手で淫らな音が響いた。タキアの膝が跳ねるが、ルサカはおかまいなしに絡めた指できゅっと締め上げる。
「……やめ、ルサカ、ちょっと、まずい。……そんなの我慢出来ない……!」
「我慢しなくていいから! むしろ早くても全然構わないから!」
 一瞬口を離してそんな自分勝手な事をタキアに言い放つと、再び唇を寄せる。
 本当にひどい。ルサカは目的の為なら手段を選らばなすぎる。
 タキアは多分、とても興奮している。絶対そうだ。ルサカにこんな事をされている、と思うだけでいい感じに興奮するのか、ルサカの上手いとはとても思えない手と唇で十分、熱を持って張り詰め始めている。
「……く、も…ルサカ、離して。……もう無理、我慢出来ないから……!」
 タキアが若い成人したての竜で、交尾はもっぱらルサカとばかりで他にろくな経験が無い上に、我慢なんてあまりできないような、言ってしまうと未熟者、というのもよかった。
 こんな残念なルサカの奉仕でも、若さゆえか無知ゆえか我慢の効かない未熟さのおかげか、十分すぎる刺激になった。
 これがリーンみたいな手馴れた竜だったら間違いなく返り討ちにされていた。
 色気も何もあったものではないが、その拙くぎこちない、だが必死でしつこいルサカのおかげで、タキアはとうとう陥落した。
 耐え切れずにルサカの口の中に滾った熱を吐き出すと、ようやくしつこかったルサカの唇から解放される。
「……っ、……ルサカ、ごめん……我慢できなかった。……大丈夫かな……」
 荒い息を吐きながら、縛られたままの手で目隠しをむしりとって、膝の間に座り込んでいたルサカを見おろすタキアと、ばっちりと目が合った。
 その目が合った状態で、片手で口を押さえていたルサカの咽喉が、ゆっくりと、動く。どうみても、口に含んだ何かを飲み下した動き。
「……え。ちょ…ルサカ、まさか飲んじゃったの!?」
 ルサカは頬を赤くしつつも、口を押さえたまま小さく頷く。
「……ちょっと待って一体、何が……」
 ルサカも今思った。これは血を飲んだ方が早いだろうな、とかかった手間暇を振り返る。
 こんなもの初めて飲んだルサカだが、味としては特に何もなかった。
 何か苦いとかまずいとかあるかと思っていたが、まさに無味無臭で、しいて言えばどろっとしていて、咽喉に絡んで飲み下しにくい。それくらい。
 タキアの血を飲んだ事がないのでどっちが飲みやすいかは分からないが、こっちはそれほど飲み下すのが難しいものではなかった。
 血とこれと、飲むとしたらどちらが一般的かと、一応はルサカなりに考えた。
『竜と過ごす夜の為に』には、竜のそれは飲んでも無害だと書かれていた。そんな注意書きがあるという事は、血を飲むよりは一般的ではないかと判断したつもりだった。
 タキアの血を飲むにはタキアの身体を傷付ける必要があった。痛い目にあわせるよりは、とも思ったのもある。
 これならそんな痛い思いをさせる事なく入手出来るが、労力は予想以上にかかった。正直顎が痛い。タキアのは口に入れるには大きすぎた。
 そんな口に入れるのも大変なものであんな事されているわけだ。竜のしるしがつかない人間は数回の交尾で死んでしまう、というのも納得だ……。変なところでルサカは理解を深めていた。
「……ええと……まあ、うん。ありがとう、タキア。おかげで助かった」
 タキアの足の間にぺたん、と座り込んだまま、濡れた口元を軽く指先で拭って、身体強化の呪文を呟く。これはいい感じだ。ルサカは何か掴めてきた気がしていた。
 竜の血がどれくらいの威力か分からないが、竜のこれもなかなかなんじゃないか、と全く色気のない事を考えていたその時だった。
 みしみしと、布の裂けるような音が響いた。
「……知らなかった……。人間は交尾の他にこんな事するんだ……」
 その音に驚いて見上げると、タキアは手を縛り上げていた布を引き裂いていた。
 思えばタキアは人間ではない。人に化けていても屈強な竜だ。これくらい、やろうと思えばすぐに引き千切って、自由になれる。逆らいつつも一応はルサカに協力して、あえて拘束されていたのだと思われる。
 小さく呪文を唱えながらタキアを見上げていたルサカを、タキアは静かに抱き上げ、膝に載せる。
「……僕も、ルサカに同じ事してみてもいいよね?」
 多分、タキアは怒っていない。これは怒っている顔ではない。
 新しく知った、覚えた事を、試してみたくて仕方がない。やってみたくて仕方がない。
 そういう、嬉しそうな楽しそうな顔だ。
 ルサカは思わず口ごもる。
 本当に、竜も、番人も、業が深い。深すぎる。


2016/04/0 up

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