第六騎士団の副団長室に入ってくるなり何を言っているのか。
「なんなんだその美意識高い系って」
ライアネルは書きかけの書類から目を離してジルドアを見上げる。
「簡単に言うと、めっちゃめちゃ面食いらしい、です」
なぜあえて意味不明な言い方をするのか。
ジルドアは面白い奴だがこれがジェネレーションギャップというやつだろうか。十歳も下だしなあ、とライアネルは考える。
「南のヨッツの街で、竜が大暴れして街の一部を焼き払って行きました」
「なんでまたそんな事に。随分大人しいというか、無益な殺生を嫌う竜だと聞いていたんだが」
「ヨッツの街で財宝や食料と一緒に、街で一番の美人を献上したそうなんですが、それが気に入らなかったみたいで」
ジルドアはその事件の詳細を書かれた騎士団上層部からの報告書を持っていた。
それをライアネルの机に差し出す。
「ああ……それで美意識高い系か」
「ヨッツの役人によれば、十人が見たら九人は美人だと言うだろうってくらいの美人だって言うんですよ。それなのに竜が怒り出したと」
どんだけ面食いで贅沢なんだ。
「あれじゃないのか、竜が雌だったとか」
ふと思いつく。雌なら人間の女を献上されても困るだろう。
「竜は男女関係ないですよ。美しければなんだっていいそうです。つまり竜は全員両刀です。無節操ですね」
「綺麗なものが大好きだっていうからなあ。綺麗だというのが最重要項目なんだろうな」
「そうそう、それが美意識高い系です」
ジルドアは本当によくわからないが面白い。
ライアネルは受け取った報告書をパラパラとめくる。
「うかつに人を献上しない方がいいんじゃないか、そんな面食いなら」
「そうかもしれませんねえ……。良かれと思ったんでしょうが。もう素直に十人くらい並べて好きなの持っていって貰ったらいいんじゃないですかね」
不謹慎な事を言い出している。
「……それにしても恐ろしいな。竜の気に入らないような美人を差し出したら、報復に街を焼かれるのか」
ジルドアが何か思いついたのか、ライアネルに渡した報告書をめくって、別のページを差し出した。
「こっちは、西のネル村の貢ぎ物の報告なんですが。ネル村は小さい村であまり豊かではないんです。……なので村人は、精一杯のもてなしとして、村でよく取れる林檎と、貴重な小麦を供えてみたらしいんですよ。村には、竜に見初められた娘の伝説が残っていて、竜を神のように崇めてます」
とんとん、とその伝説らしい一説を記したところをジルドアは指し示す。
「そこに例のファイアドラゴンがやってきたらしいんですが、林檎だけ持ち去って小麦は置いていったそうです。で、小麦を置いていった理由は分からないんです。別に村を焼き払われる事はなく、以前に村のそばの山が崩れて、その時の落石で水場の一部を塞いでいたんですが、その岩をどけて帰っていったと」
「……小麦は貴重だと知っていたのか、竜は」
「さあ……それはわかりません。けれど、貢ぎ物の量や質じゃないっぽいですね、竜が何かお返しをしていくのは」
ライアネルも少し考え込む。
竜なんか、遠い国の噂で聞くくらいだった。こんなにも人間くさい生き物なのか。
「じゃあ、なぜ美人が好みじゃなかったくらいで街を焼いていったんだろう……?」
ジルドアは何か思いついたようだった。ああ! という顔をしている。
「ライアネル様、きっとあれです。……生贄は純潔と相場が決まってます。多分その美人はもう純潔を失っていたんじゃないかと。それで竜が怒り出したのでは?」
なるほど、そういう見方もある。
「そもそも、美形なら男女共に子供の頃からモッテモテですからねー。そりゃ大人になっても純潔を維持してる美形なんかいやしませんよねー」
だから古来から、生贄といえば子供だったのかもしれない。
そこでふと、ライアネルは思った。
ルサカはまだ子供で、考えられない美貌を持っていた。
間違いなく純潔でもある。
竜が欲しがる条件を完全に満たしている。
やはり、ルサカは竜に連れ去られたと思って間違いないのではないか。
まずは竜に接触する事を考えるか。確かめるだけでもいい。
話が通じるなら、交渉をしてもいい。
払える代償は払える限り払う。
ルサカは弟のようなものだ、諦めるわけにはいかない。
それに。
この竜はどうも人間くさい。
話が通じるかもしれない、とライアネルは淡い期待を抱く。
「犬を飼おうと思う」
タキアは機嫌が悪い。暫く黙り込んでいたかと思ったら、突然こんな事を言い出した。
「……なんでまた急に」
ルサカは床を磨いていたが、手を止めて顔を上げる。
「ルサカが兄さんに触られたりするのが嫌だから。番犬を飼う事にした」
まだ怒っているのか。
あれから数日が経ったが、タキアはぷりぷり怒って拗ねていて、相手をするのが面倒な事になっていた。
完全にぐずった子供状態。
「兄さんが巣に入ってもルサカは気付かないだろうから、番犬を飼って、来訪を教えるように躾けるし、ルサカに僕以外が近づかないよう、威嚇も覚えさせる」
犬ごときが竜に勝てるのかな、とかルサカはぼんやり考える。
「とにかく兄さんが来た事を犬が教えてくれれば、ルサカも逃げる準備が出来るだろうし、とにかく犬を飼うよ! もう珊瑚さんも呼んだし!」
ちょうどその時、エントランスから珊瑚の声と呼び鈴の音が鳴り響いた。
それにしてもダーダネルス百貨店は手広い。ペットも扱うのか、とルサカは感心している。
「番犬といえばこちらですよねやはり」
珊瑚が笑顔でトランクから取り出したのは、黒々とした子犬だった。
「……あの…これ、頭が三つあるんだけど……」
どうみても普通の犬じゃない。
普通の子犬が来ると思い込んでいたルサカには衝撃的だった。
「そうですね、番犬で一番人気というと、やっぱりこちらのケルベロスなんです」
珊瑚は膝の上にケルベロスの子犬を載せて、血統書を広げる。
「こちらのケルベロスは非常に優秀な家系で、父系も母系も獰猛さと忠誠心に定評があるので、非常におすすめとなっております」
ルサカの顔色が真っ青になっている事に、タキアも気付いたようだった。
「ルサカ、頭が三つある犬は嫌? 受け付けない?」
ちょっと無理だ。
普通の犬が来るとばかり思っていたから、衝撃もひとしおだし、それにこんなヤバそうな子犬、見たことがない。
牙はすごいし尻尾は竜の尻尾みたいだし、動物好きのルサカは可愛がる気まんまんだったが、これはちょっと厳しそうだった。
見た目で差別してはいけないけれど、露骨に異形の犬はやはり難易度が高すぎる。
「……もうちょっと、普通の犬っぽいのはいないのかな……」
「そうですね……あとはこちらの子犬が。ケルベロスには劣りますが、こちらもなかなか優秀な番犬になれますよ」
頭が三つある子犬をトランクにしまい、代わりに、黒々としたつやのある子犬を取り出す。
「こちらの子は両親共にチャンピオン犬で、戦闘能力、忠誠心、知能どれも文句のつけようがないくらいのハイクラスです。お値段が少々張りますが、当店が自信を持っておすすめできる子犬ですね」
少々毛が長めでふわっとした子犬だった。黒々とした毛並みは艶やかで、とても可愛らしく見えたが、目が燃えるように真っ赤だった。
「これは……」
可愛いけれどやはり普通の犬じゃなさそうだ。さすがにルサカも察知する。
「人間には、ヘルハウンドとか、黒妖犬とか、ブラックドッグ、とか呼ばれていますね。成長すると火を吐いたりするようになりますが、それ以外は忠誠心が高めの、人間に飼われている犬とそれほど違いはないかと思いますよ」
火を吐く、という時点で大違いだ。
「非常によく懐く賢い犬なので、ルサカさんが飼うなら、この子が一番飼いやすいタイプだと思いますよ」
珊瑚に進められて、ヘルハウンドの子犬をルサカは抱いてみる。
目だけは真っ赤だったが、それ以外は確かに普通の犬っぽくも見える。
ルサカと目が合うと、普通の子犬のように、千切れんばかりに尻尾を振って見せた。
「ルサカ、その子にする? ……さっきのケルベロスよりは、ルサカも馴染めるんじゃないかな」
確かにそうだ。
さっきのケルベロスはちょっと仲良くするのが厳しすぎる。
まだこっちの方が普通の犬だと思い込める。
「珊瑚さん、この子すっごい高そうだけど…幾ら?」
こそこそとタキアは珊瑚に耳打ちする。
「そうですね……これくらいになります」
珊瑚は小さな紙に、さらさらと書いてタキアに見せた。
「……………結構するね。……でもルサカが気に入ったみたいだから」
一瞬タキアの息が詰まった。それくらい、かなりのいいお値段だったらしい。
「タキア様には色々ご購入いただいていますから、ペット用品はオマケさせていただきますよ」
「助かる。……また財宝集め頑張らなきゃ……」
「よーし、君の名前はヨルだー。黒いから夜、ヨルちゃんだよー」
ルサカはご機嫌で子犬を高い高いしてみたり抱っこしてみたりと、忙しい。
ルサカは名前を付けるセンスがいいんだか悪いんだか、ちょっとわからないな、とタキアは内心思ったがあえて口には出さない。
「ルサカ、犬ばっかり構ってないで、僕も構ってよ」
寝椅子に座っていたタキアは、犬を構い倒すルサカを抱いて引き寄せる。
「あ、ああごめん。……ヨルが可愛くてつい」
ルサカは驚くほど機嫌が良かった。
なんだかんだでヘルハウンドでも犬は犬、犬好きのルサカは大喜びだった。
「ヨル、ほうきウサギと遊んでおいで。齧っちゃだめだよ、仲良くね」
床にヨルを降ろしてやると、ヨルは子犬とは思えないスピードで走っていく。なるほどさすがヘルハウンド、恐ろしい俊足だ。
タキアは膝の間にルサカを抱いて、ルサカの項に頬を押し当てている。
「タキア、交尾したいの?」
「ちが……ま、まあそれもしたいけど」
もじもじとタキアは口ごもる。
「するなら、ご飯食べてからでもいい? ……した後にご飯を作るのはしんどい。あとヨルにもご飯あげないと、朝にはほうきウサギが減ってそうだし」
それは一理ある。タキアも内心、ほうきウサギが無事でいられるのかどうかは心配はしている。
「えーと……ルサカにお願いがあるんだよ」
背中から抱かれていて、タキアの顔は見えない。
けれど項に押し当てられたタキアの頬が熱いのは、ルサカもわかった。
「もう兄さんに触らせないで欲しいんだ。……勿論、ルサカが好きで触らせてるんじゃないってわかってるよ。わかってるけど、嫌なんだよ」
『竜と暮らす幸せ読本』には、主に命じられて来客と交尾する事もある、と書かれていたな、とルサカは思い返す。
それが竜には普通の事のように書かれていた。
繁殖期以外なら、主の為に来客を身体でもてなすのも番人の仕事だと書かれていて、ほんっとうに竜のモラルはゆるすぎおかしいだろう、とルサカも思っていた。
しないで済むなら知らない竜なんかとしたくないし、拒んでいいとというなら遠慮なく拒むけれど、とルサカは心の中で色々考える。
「竜に誘惑されたらルサカは拒めない。だから、ヨルもいるし、逃げて欲しいんだ。絶対に触らせたりキスさせたりしないで」
竜はゆるゆる、と思っていたけれど、タキアは違うのか。
まあその方が助かる、不特定多数と交尾しろと言われるのはやはり人間のモラルではしんどいし厳しい。
「わかった。ヨルが吼えたらすぐ書庫かどこかに隠れるよ。それでいい?」
項に頬を押し当てたまま、タキアはうんうんと頷いている。
ルサカにも、タキアが大事にしてくれているのは分かっている。
あとは、自分の決意だけだ。
もうどの道、人間として生きてはいけないし、ライアネルとも一緒に年を重ねる事も出来ない。
「タキア。ちょっと顔みせてよ」
身体をよじって、ルサカはタキアの顔を覗き込む。
「タキアの言う通り、他の竜としない。……だから、タキアも約束してよ」
そうだ、自分以外に、家族と引き離される人を作らない。
「貢ぎ物に人間がいても、連れてこないで欲しい。……番人は僕だけにする、と約束してくれる?」