竜の棲み処

#17 約束

 ただ黙って最後まで、ルサカはタキアの話を静かに聞いていた。
 タキアの話を全て聞き終わってから、ぽつん、と呟く。
「…………そうか……。ライアネル様が……」
 ルサカは放心状態のように見えた。
 ぼんやりと何か、考えているのかいないのか。
 暫くルサカは黙り込んでいた。
 足元にヨルが寄って来て、ルサカの足首にしがみついていたが、それにも気付いていないようだった。
「ライアネル様は、血の繋がりはないけど、家族なんだ。……身寄りのなかったぼくを、引き取ってくれた」
 ぽつぽつと、ルサカは語り始める。
 流行り病で両親を失った事、ルトリッツ騎士団国の国策でライアネルに引き取られた事、七年間とても楽しく、大切に育ててもらっていた事……。
「今までタキアに話さなかったのは、なんて言えばいいのかな……。口に出すと、余計に家に帰りたくなりそうだったからかなあ」
 寝椅子の上で、ルサカは膝を抱えて座りなおす。ヨルはルサカに構ってもらえず、長椅子の下で丸くなってふて寝していた。
「だから、そんな泣きそうな顔をするな」
 片手でタキアのほっぺたを摘んで引っ張る。
「痛っ! ルサカ、痛い!」
「そんな顔するなって言ってるのに。……うーん。そうだなあ……」
 抱えた膝の上に顎を載せて、ルサカは目を閉じて考え込んでいる。
「一度家に帰って、ライアネル様に挨拶したいけど……。いきなりタキアを連れて行って、この人と暮らす事にした、とか言ったら、ライアネル様驚くよなあ……。なんて言えばいいんだろ」
 ルサカが何を言っているのか、タキアは一瞬意味がわからなかった。
「うーん。竜と暮らす事になった、今まで育ててくれてありがとうございます……とかまるでお嫁に行くみたいだよね。まあ似たようなものか」
 予想外のルサカの言葉に、タキアは何を言っていいか、わからない。
「……悩むなあ。何か言い難くない? だって竜と暮らすからって言ったら、わかるよね……竜とそういう関係なんだって。……お父さんにそういうこと報告するみたいで、すごく言いにくいよね。だってタキアは竜だけど同性だしさ」
 ルサカは家に帰って、ライアネルに挨拶する気らしい。
 一度帰る事を前提になにやら語っている。
 前々からルサカはちょっと変わっているかもしれない、とタキアも思っていた。まあタキアも竜としては子供っぽい、あまり竜らしくない竜かもしれないので人の事は言えない。
「竜は同性とか異性とか気にしないかもしれないけど、人間は結構気にするんだよね。それにぼくまだ未成年なのに……タキア、聞いてる? 割と真面目に相談してるんだけど」
 タキアだって、ルサカが家に帰るけれど当たり前のように戻ってくるつもりでいる事に驚きを隠せない。
 もっと泣いたり、家に帰りたいと爆発するかと思っていたのだ。
「ライアネル様も心配してるし、とりあえず一回家に帰っていい? それで、ライアネル様に軽く説明しておくから。三日くらい経ったら、タキア、人の姿でライアネル様のお屋敷までおいでよ。……もうさ、紹介するしかないから、ちゃんと紹介する。恥ずかしいけど、この人が好きだから一緒に行くって言うよ……」
 耳まで赤くして、最後の方はぼそぼそと小声になっている。
 嬉しいを通り越して、タキアは呆然としていた。
「ライアネル様は優しいから、きっと分かってくれる。……だから、タキア。聞いてる? ちゃんと」
 恥ずかしいのか、ルサカは目を逸らして口を尖らせている。
「……う、うん……」
 慌ててタキアは頷く。
 あんなに悩んだのに、思いのほかルサカがあっさりしていて、拍子抜けしていた。
 タキアにとってルサカは大切な失えない人になっていたけれど、ルサカにそこまで愛されている自信なんて、なかった。
 だから本当に、この反応に驚いて言葉が出ない。
 ルサカにしてみれば、番人が不老の上長命と知ってからは、人の世で生きるのは無理そうだという諦めはあったし、ある程度の覚悟もしていた。
 あとの心配は、頑なに人の世界に帰る事を拒むタキアの説得くらいだ。
「竜に攫われたってわかってるなら、ライアネル様も察してくれてるかな。……その…竜とそういう関係になってる事、とかね……。大事にしてくれているし、幸せだと伝えれば、悲しむかもしれないけど、安心して送り出してくれるよね」
 抱いていた膝を離して、ルサカは両手を伸ばしてタキアを抱き寄せる。
「だから、そんな顔するな。……ちゃんと帰ってくるよ。約束する。タキアを一人にしない」
 タキアはふと、エルーの言葉を思い出す。
『人の世界には帰せない』
 番人を人の世に帰してはいけないと、昔から厳しく言われて続けている。
 よくない事がおきる、とは言われているけれど、たった三日だけなら。
 家族に挨拶に戻るだけなら、それだけなら、問題ないだろう。ちゃんと送り迎えもする。
「……あの騎士、とても君の事を心配していた」
 ルサカを膝の間に抱いて、柔らかなココア色の髪に頬を押し当てる。
「僕にとってルサカがとても大事なように、あの人も大事なんだね、ルサカの事が。……僕だって、ルサカが急にいなくなってしまったら、あの人のように探し続ける」
 竜が番人を求めるのは、繁殖の為だけじゃない。孤独を埋めるのもある。
 この長い命を一人ぼっちで生きていくのは、あまりにも悲しすぎた。
 けれどその孤独を埋めるために、家族を失う人がいるという事を、忘れてはいけない。
 だから竜は番人を大切にする。
 多くの人の犠牲の上で手に入れた番人を、道具のように使い捨てる事だけは、許されなかった。
 例え感情を操っても、絶対に使い捨てたりはしない、道具のようにも扱わない。
 それが竜の、孤独を埋めるために犠牲にした人への、ただひとつの償いだ。
「ぼくも、タキアが消えてしまったら探すよ。……一人にしないって、約束したからね」
 タキアはルサカの手を取って、その指先を握る。
 この優しい手を、最後まで大切にする。そう、約束しよう。



 ルサカは初めて、竜の背中に乗った。
 絵本の竜騎士のように、あんな感じで乗せられたが、正直高いところがあまり得意でないルサカは、景色を楽しむ余裕なんかなかった。
 目が廻っていたが、なんとか落ちることなく無事にたどり着けて、それだけでもういっぱいいっぱいだった。
 タキアはライアネルの屋敷のすぐそばの森に、ふらふらのルサカを降ろした。
「タキア、三日後に。……ちゃんと人の姿でね。……あの、青い屋根の石造りのお屋敷。あれがライアネル様の家だよ。……あそこに三日後の午後においでよ。ぼくはタキアが来るまで、外で庭の手入れしながら待ってるから」
 竜の姿のままのタキアの口元に口付けて、よく言い聞かせる。
「三日間で荷物もまとめておくから。……あと、この呼び出し紙」
 薄紅色の小さな紙を掌に載せる。
 珊瑚の、珊瑚色の呼び出し紙と同じようなものだった。色が薄紅色になっただけ。
 これをタキアが、ルサカに念のために持たせていた。
 急にタキアを呼ばなければならない事態はそれほどないだろうが、念のために持たせておけば安心だと考えているのだ。
「何かあったら、これにタキアの名前を書いて送るよ。……ぼくもちゃんと竜言語を習っておけばよかったな。タキアの名前くらいしか、書けないや。それでわかるよね」
 タキアの鼻先を抱いて、頬を摺り寄せる。
「そんな顔するな。……三日後の午後に、ちゃんと迎えに来てよ。……大丈夫、ライアネル様は怒って追い返したりしないって」
 ぺちぺちと紅く輝く鱗で覆われた鼻先を叩く。
「じゃあ、三日後に。タキアも気をつけて帰るんだよ!」
 笑顔で手を振って、駆けて行くルサカを、その姿が見えなくなるまでタキアは見送った。
 なんだか心配だけれど、たった三日の事だ。
 その間にライアネルへの説明を済ませるとルサカも言っていた。
 三日もルサカと離れるのはさみしいけれど、と考えてから、タキアは気付く。
 ルサカがいなかった頃は、どう過ごしていただろう。そんな昔の事ではないのに、もう思い出せなかった。



 ルサカがライアネルの屋敷前、白樺の並木を駆け抜けたちょうどその時、今まさに家を出ようと門をあけたライアネルの姿が見えた。
「ライアネル様!」
 大声で叫んで、ルサカは子供の頃のように、ライアネルに飛びついた。
「ルサカ……?!」
 ライアネルは飛びついたルサカを抱きとめて、驚きの余り声も出ないようだった。
 しがみついたまま見上げる。ライアネルのその深い緑の瞳に、涙が滲んでいるのをルサカは生まれて初めて目にした。
「心配かけてごめんなさい、ライアネル様……」
 ルサカも言葉に詰まる。何か喋ろうとすると、涙がこみ上げてきて、言葉にならなかった。
 門の前で抱き合ったまま、二人とも言葉が出てこなかった。
「……ルサカ、よく無事で帰ってきてくれた。……良かった。元気そうで。無事なのかだけでも知りたかった」
 ルサカのココア色の髪を撫でながら、ライアネルは声を詰まらせる。
 その声を聞くだけで、ルサカも泣き出しそうだった。
「元気です。本当に、たくさん心配かけてごめんなさい。……ライアネル様に会いたいって毎日思ってました」
 何から話したらいいのか、分からない。
 ここに来る前に、色々な話をしようと考えていたのに、何一つうまく伝えられなかった。
 騒ぎに気付いて、家政婦のマギーも玄関から飛び出してきた。
「ルサカちゃん!! ……ルサカちゃん、無事でよかった、おかえりなさい…! ……どれだけライアネル様が心配して探し回っていた事か……」
 マギーも、眦を拭っている。
「マギーさんも、ごめんなさい。たくさん心配かけました」
「帰ってきてくれただけで、あたしも嬉しいんですよ。……今日は張り切ってご馳走作りますよ。なんたって、ルサカちゃんが帰ってきてくれたんだから。さあさあ、早く家に入って。寒かったでしょう、あったかいココアを入れましょうね」
「……そうだ。ジルドアにも連絡しなければ。……あいつもお前のために、色々調べてくれたり、力になってくれてたんだよ。ルサカが帰ってきたんだ、今日はもう仕事はしない!」
 子供の頃のように、軽々とライアネルに抱き上げられて、ルサカは思わず笑ってしまった。
 何ヶ月ぶりだろう、半年は経っていない。
 もう何年も離れていたように感じる。
 あまりの恋しさと懐かしさに、ルサカは笑いながら、涙を拭う。
「ライアネル様に、たくさん話したい事があります。……どこから話したらいいのかなあ」



2016/02/12 up

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