竜の棲み処 異聞録

#02 それはどんな絶望も蝕めない

「……そんな事になっていたのか。大変な騒ぎだったね」
 さすがのレオーネも驚いているようだ。
 クアスとの決闘の後に、更にまた決闘していたとか。レオーネも予想外だったようだ。
「それでタキアが大怪我をしたので、暫くここに来れませんでした。……お礼はいらない、と言われてましたがそうはいかないので、ぼくが作った果実酒を持ってきました。……リリアとノアはお酒飲めるのかな」
 薄氷の屋敷の客間のテーブルに、ルサカは果実酒の瓶を数本並べる。
「わあ……! すごく綺麗なお酒ね! 私もノアもそんなに強くないけど、お酒は好きよ。嬉しい。こんな綺麗なお酒、初めて」
 リリアとノアは果実酒を知らなかったのか、物珍しそうに、嬉しそうに眺めている。
「苺の果実酒は一ヶ月くらいで飲めるけれど、そっちのさくらんぼのお酒は、二、三ヶ月待たないとかな。……半年くらい寝かせるとすごくおいしいそうです」
「この果物も食べられるの?」
 リリアのこの嬉しそうな顔といったら。結構飲める人じゃないかな、とルサカは思う。
「はい。苺はジャムにしたり、さくらんぼの方はよく漬かったら、お菓子に入れたり……ラム漬けの干し葡萄みたいな感じで使えますよ」
「素敵ね! ……すごく楽しみだわ。ありがとう、ルサカ。大事においしく頂くわ」
 こんなに喜んでもらえるなら、作ったかいがあると言うものだ。
 この薄氷の屋敷の住人は全員成人なので、お礼はお酒にしよう、と思ったのだが、予想以上の喜ばれようだ。
 リリアの焼き菓子は職人レベルの技術とおいしさだった。それで飲み終わったこの果実酒の果物も使って貰えたら、と考え付いたのだが、こんなに喜ばれるとは。
 それに、レオーネに一番喜ばれるお礼は、リリアとノアが喜ぶ姿ではないだろうか。
「ちょっとしまってくるわ。あんまり綺麗で、目の前にあると気になって仕方ないわ。味見したくなっちゃう」
「ぼくも手伝うよ。重いから大変だし」
 ノアと二人で果実酒の瓶を抱えて、リリアについて客間を出る。
 リリアは松葉杖が無ければ歩けない。瓶を持つ事は出来ないが、果実酒で手が塞がった二人のかわりに、ドアや棚の扉は開けられる。
 客間を離れ、厨房の隣の保存庫に向かいながら、リリアは歌うように口を開く。
「ルサカ。……レオーネ様に、メイフェアの絵を届けてくれて、ありがとう」
 ノアも隣で頷く。言葉がなくとも、ノアの気持ちはルサカにも伝わる。
「……何て言えばいいのかしら。……私達、レオーネ様の過去に何があったのか、知らなかったのよ。……ノアも、私も、尋ねようとも思っていなかったわ」
 保存庫の扉を開け、中に入る。
 ひんやりとした空気が流れていた。中は綺麗に整頓されていて、ノアとリリアの几帳面さが窺える。
「ここの棚がいいかしら。……重いから、下の方の棚がいいわね」
 そう言ってリリアが開いた棚の中にも、埃ひとつない。
 レオーネの為に、ふたりがどれほど尽くたいと願っているのか、これだけでもよくわかる。
「私達が過去を語れないのと同じように、レオーネ様も語れなかった……。……でも、あなたが来てから、レオーネ様は少しずつ変わった。……たくさん笑ってくれるようになったわ。私達、それが嬉しくて仕方ないのよ」
 棚に瓶をしまい終えると、リリアの手をとってノアが何か言葉を指で伝える。頷いて、リリアは続ける。
「あの時、ルサカの悲鳴が私達に聞こえた事が、始まりだったわ。……あなたの声が聞こえた事が、本当に嬉しい。あなたを助ける事が出来て……そして、あなたがメイフェア様とフロラン様を、レオーネ様のところに連れてきてくれたんだって、私とノアは思ってるわ。感謝してもしきれない。ありがとう。二人をレオーネ様のところに連れて来てくれて、本当にありがとう」
 ノアはルサカの手をとって、ぎゅっと握り締める。言葉がなくとも、ノアの瞳は雄弁に語りかける。
「……あの時、メイフェアとフロランと、そしてリリアとノアが、レオーネ様を連れてきてくれたんだとぼくも思ってる。……絵を見つけたのは偶然だよ。それもきっと、二人も帰りたかったんだ。レオーネ様のところに、二人が帰りたいと願ったんだよ。……だから、あんなたくさんの本の中から見つけ出す事が出来たんだ……」
 頷くノアの瞳には、薄く涙が滲んでいた。
 彼らはずっとレオーネの癒やされない苦痛を、悲しみを、知っていた。知りながら、癒せない悲しみを負って、今まで共に歩んできた。
 その気持ちを思うと、胸が痛む。彼らもレオーネに救われ癒やされたように、レオーネを癒やしたいと願い続けていたのだろう。



「……遅かったね。お茶が冷めてしまったよ」
 確かにリリアが用意していたポットは冷め切ってしまっていた。
「申し訳ありません、レオーネ様。棚を掃除してからしまっていたので遅くなってしまいました。……ノア、急いで温めてきましょう」
 リリアとノアの眦は赤くなっていたが、レオーネは何も言わなかった。
 二人が厨房に行ってしまってから、レオーネはふと思い出したようだ。
「……結局、君の保護者とタキアの勝負の結果はどうなったのか聞いていなかったね。実に気になるところだ」
「ああ。……タキアが負けました。魔眼の騎士は本当に、竜の魔法が一切効かないんですね……」
 ライアネルが騎士としても格段の強さだと言うのは、マギーからもジルドアからも聞いて知ってはいた。
 実際にその強さを目の当たりにしたが、魔眼の騎士の強さに竜が焦がれる気持ちがよくわかる。
 美しく綺麗なものと同じように、強きものにも惹かれずにいられないのが竜のさがだ。
「では、竜騎士を得たという事か。……君も複雑な心境じゃないのかな」
「それが……ライアネル様…ぼくを育ててくれた方の事です……ライアネル様は、タキアのお兄さんとも戦って勝ってます。でも、どちらの竜騎士になる事も断りました。……人として、騎士として生きていくと、そう言っていました」
 レオーネはそれを聞いて、ほんの少し考え込むように見えた。それからゆっくりと、口を開く。
「魔眼なんて、とっくに滅んだと思っていたよ。……私達の時代でも、魔眼の騎士は本当に稀だった。よくその血が残っていたものだ」
 ルサカの中にも、古き竜の血が静かに、密やかに残されていた。
 ライアネルの魔眼の血もまた、そうやって何世代にも渡って、静かに、目覚める事なく受け継がれて、そして、ライアネルの子供達に、孫達に、その子孫達に、同じように静かに眠り続けながら受け継がれていくだろう。
 今にして思えば、ルサカに眠る古く遠い竜の血と、ライアネルの中に眠る魔眼の血がこうして巡り会ったのは、不思議な縁を感じる。
「そういえば、タキアは私と勝負する約束があったはずだが、忘れられていそうだな」
 こういう時のレオーネの顔は、穏やかで優しく見えるのに、とても意地悪だ。
「……タキアの身体が持ちません」
「魔眼の騎士に傷を負わせたんだから、立派なものだよ。まだ子供同然の竜なのに大健闘だ」
 珍しく、これは褒めている。
 レオーネがこんなに素直にタキアを褒めるなんて、初めてではないだろうか。
「私の竜になる前に、他の竜騎士を得てしまいそうだけれどね。……断っても竜の誓約が残っている」
 こんな事を言っているが、レオーネが二度と竜を得る気がない事くらい、ルサカも分かっている。
 レオーネにとって、命を賭けられる竜は生涯、ただ一頭だけだ。
 そんな分かりきった事を、合えてルサカも口にしない。



「……ルサカ、もう少し待っててね。今度こそ、お土産にタルトを持って帰って欲しいの」
 そうリリアに引き止められて、ルサカは大人しく客間の椅子に座りなおす。
 この前もそう引き止められたのに、断って帰ってしまった。
 今度こそ、せっかく作ってくれたお土産を持って帰らないと、また二人をがっかりさせてしまう。
「今日のタルトは、苺のタルトよ。……ルサカの大好きなタキア様と、一緒に食べてね」
 まさかリリアに冷やかされるとは思ってもみなかった。そう強調されると、ルサカも思わず赤面してしまう。
「待つ間にちょうどいい。……ルサカ、ついて来なさい」
 レオーネは椅子から立ち上がると、客間を出て行く。ルサカも大人しく後に続く。
「……何かあるんですか?」
「そうだね。……時間があるようなら、見せたかった」
 レオーネの書斎を通り過ぎて、廊下の一番奥の部屋の扉を開ける。
 薄暗い部屋だった。
 レオーネは隅のテーブルのオイルランプに火を灯すと、手に持って壁際へ歩いていく。
「メイフェアとフロランに会わせよう。……これは私があの古城の巣を引き払う時に、どうしても手放せなかったものだ」
 壁に飾られていたそれは、未完成の絵画だった。
 レオーネは手にしたオイルランプを、その絵画の前で掲げる。
 三人の男性が描かれた大きな肖像画は、まだ下書きの木炭の線が少し残った状態だった。
 長椅子の隣に並んで立っている男性二人は、見覚えがある。
 シメオンに良く似ている。シメオンを少しだけ幼くしたような。そんな面差しの、真っ白な髪に真っ赤な竜眼のフロランと、ルサカが良く知る、今の姿とそれほど変わりがない、銀色の髪のレオーネ。
 そして、長椅子に座る、線の細い男性。恐らくノアとそれほど年齢は変わらない。
 未完成の絵画なので、髪色までははっきりと分からないが、これが誰なのか、聞くまでも無く分かる。
「これはメイフェアが描きかけていた肖像画だ。……随分丁寧に描いていたよ」
 レオーネは絵画を見上げたままだった。瞬きを忘れたかのように見入りながら、言葉を続ける。
「もう何百年も、この絵を見る事が出来なかった。この屋敷の奥深くにしまい込んでいたんだ。……やっと、この絵を飾る事が出来た」
 レオーネの蒼い瞳は、絵の中の二人を見つめているのだろう。
 ルサカも同じように、見上げる。
「……君に、メイフェアを会わせたかったんだよ。メイフェアも君と同じくらい、綺麗で、頭が良くて、優しい子だったよ。……少し意地っ張りで、そこも君に似ているかな」
 レオーネは小さく笑う。
 絵の中のメイフェアは、とても幸せそうだった。
 幼さを残した目元は、少しルサカに似ているかもしれない。
 暫く二人とも、言葉も無くその絵を見つめていた。
 メイフェアが何を思い、竜と竜騎士と共に生きたのが、知る術はない。
 けれどメイフェアが彼らを深く愛していた事は、メイフェアが残した絵だけでよくわかる。
 彼らが古城の巣で過ごした日々は、幸福に満ち溢れたものだったのは想像に難くない。
「……ぼくも、メイフェアとフロランに会いたいと思っていました。……メイフェアの絵は、どれもとても幸せそうで、だからこそ、ぼくはレオーネ様に返さなければと思ったんです」
 レオーネはそのルサカの言葉に、静かに頷く。
 メイフェアとフロランの死は、レオーネの心に深い傷跡を残した。
 その消し去る事の出来ない傷跡以上に、二人と過ごした記憶は、レオーネの心に刻み込まれている。
 それはどんな絶望もレオーネの魂を蝕めない力になる。その幸福な日々の記憶こそが、彼の強さの源泉なのだと、レオーネは気付いているのだろうか。
 静かに絵の中の二人を見つめるレオーネを見上げると、そのルサカの瞳に気付いたのか、レオーネはルサカに視線を移す。
 静かに微笑み、オイルランプの灯りを落とすと、二人は言葉も無く、その部屋を後にした。



2016/04/25 up

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