騎士の贖罪

#04 悪夢の夜

 悪夢は毎夜、リュシオンを責め苛む。同じ夜を幾度も幾度も再現し、リュシオンの犯した過ちを責め立てる。
 もう何度繰り返したか分からない。あの夜と同じように、リュシオンは剣を握りしめ、陥落した城の中へ踏み込む。これから先に何があるのか、何が起こるのか、夢を見ているリュシオンは分かりきっているが、夢の中のリュシオンは怒りと絶望と悲しみとで、冷静さを失っていた。
 城内は驚くほど静かだった。燃えているのは城の外で、内部は炎に煽られ高温にはなっていたが、煙もほとんどなく、生きた人の姿もなかった。代わりに、城門や廊下に倒れている兵士や女中の屍が点在していた。
 近寄って確かめると、どの屍も外傷がない。口元から血の泡が溢れている遺体もある。もしかしたら、井戸や水瓶に毒を入れられたのかもしれない。
 毒を盛ったのは少ない手勢で素早く城を落とす為か。まさか城内にこんな簡単に侵入を許すなんて、思いも寄らなかった。城だけではなく、王都への城門も厳戒態勢で守られていたはずだ。
 どこか遠くから人々の悲鳴や怒声が聞こえる。生き残った兵士達は混乱しながらも、まだ城内に潜んでいるかもしれない敵兵のあぶり出しに必死なのか、それとも奇襲と火災で指揮系統を失い、為す術もなく逃げ出したのか。城の回廊を駆け抜ける間に、生きた人に出会う事はなかった。
 もうリュシオンにできる事は何もないかもしれない。ただ為す術もなく黙って祖国が滅んでいくさまを見守るしかないのかもしれない。それでもせめて小さな王子と王女達だけでも、引き上げてやりたかった。あんな惨い姿はあまりにも辛く苦しく、悲しすぎた。
 リュシオンはこみ上げる嗚咽を堪えながら、塔へと向かう。こうして王族が殺害されてしまった今、王家ゆかりの血を持つ『盾の一族』で王位継承権を持つリュシオンは、この場から逃れ、地方を守る部隊や貴族、軍人達と合流し、体勢を立て直すべきだった。クレティア王国と国民を守る為にも、自分の身の安全とこれからの戦略を考えるべきだった。
 吊された両親や小さな王子達の遺体と燃え落ちる祖国の姿は、リュシオンの正常な判断力を失わせ、無謀な行動に駆り立てた。怒りと悲しみは人を簡単に狂わせる。まだ年若く戦場での経験も浅いリュシオンなら、尚更感情に流されやすい。
 夢中で塔を目指し回廊を駆け抜けようとしたリュシオンの背中に、強烈な一撃が打ち込まれた。あまりの重さに息が一瞬詰まり、視界が歪む。低く呻きながらリュシオンは必死で踏み止まり、気力で剣を構えた。
「ああ、仕留め損なった。やっぱり気絶させようなんて甘かったな」
「さっさと刺しておけばよかったんだよ。下心なんか出すからこうなる」
 やはりまだ敵兵は潜んでいた。顔を隠すようにフードをかぶるマントの男は五人。あっという間に取り囲まれ、逃げ場はない。もとより、逃げようとは思わなかった。
「カルナスか! 薄汚い卑怯者! こんな汚い手を使ってでも、この国が欲しいのか!」
 男達は小さな笑い声を洩らす。嫌な笑い声だった。笑いながら一人の男がリュシオンの目の前に剣の切っ先を突きつける。
「いやに綺麗な顔してるな。貴族のお坊ちゃまか? ……いい戦土産ができそうだ」
「うるさい! 殺してやる……! 殺してやる! お前達皆、呪われればいい!」
 怒りで全身の血が沸騰しそうだった。リュシオンは後先も考えず、目の前の男に斬りかかる。そのリュシオンの切っ先をなぎ払いながら、男達はどっと笑い転げていた。
「相手してやれよ。どうせ取り囲まれてて勝てっこないって、お坊ちゃまも分かっているだろうけど」
 リュシオンの剣を払いのけながら、男は笑う。それくらい、リュシオンも分かっている。こんな取り囲まれて助かるはずがない。力尽きて死ぬのは目に見えていた。それでも怒りはリュシオンを急き立てる。
「遊んでる場合じゃないだろう。さっさと済ませちまえよ」
 突きつけられる剣を防ぐのに精一杯で、避ける暇もなかった。背後から脇腹に剣の鞘が叩き付けられ、リュシオンは崩れ落ちる。間髪入れず背後から蹴られ倒れ込んだリュシオンに、男は容赦なく馬乗りになりながら髪を掴み、石の床に頭を叩き付けた。
「お前らも物好きだな、俺は女の方がいい」
「こういう育ちの良さそうなお坊ちゃんが股開いてひいひい言うのがいいんだよ。女とはまた違った良さがある」
「な……! やめろ、離せ!」
 男達の手は無遠慮にリュシオンの身体を押さえつけ、服を剥ぎ取り始めた。
「殺すなよ、帰ったら売ろう。若くて綺麗な男はいい値で売れる。育ちも良さそうだし、出物だ」
 下卑た男達の笑い声が響く。これから何をされるのかくらい、リュシオンも分かる。戦って死ぬならまだしも、こんな辱めを受けるなんて耐えられなかった。
「離せ! 触るな、お前達皆殺してやる! 殺してやる!」
「可愛い顔の割に気が強いなあ。……いつまで強気でいられるか楽しみだな」
 相手は何人もいる。あがいても幾つもの手に簡単に押さえ込まれてしまう。リュシオンはそれでも必死に抗う。男達の手は無遠慮にリュシオンの身体を探り、素肌を撫で回す。おぞましさに吐き気がこみ上げた。
 隙を突き目の前の男の腕に躊躇なく噛みつくと、容赦なく拳で殴りつけられた。
「こいつ!」
 男は握りしめた拳でリュシオンを容赦なく殴りつける。押さえ込まれたリュシオンは避けようがなかった。リュシオンは悲鳴を押し殺しながら殴られ続ける。悲鳴をあげないのは、せめてものプライドだった。
 この暴力がいつまで続くのか分からない。殴られ続けて唇も瞼も切れ、目を開ける事さえできなかった。それでも容赦なく拳がたたき込まれる。
「おい、いい加減にしろ。顔はやめろ、売れなくなるだろ。足でも折っておけよ。その方が抵抗されなくていい」
「綺麗な顔が台無しだ。腫れ上がってるじゃないか」
 男達は笑いながら慣れた仕草で剣の鞘をリュシオンの踝めがけて振り下ろした。
 鈍い音が響いた。あまりの痛みに、リュシオンの唇から殺しきれない悲鳴が上がった。男は容赦なく、重い鞘を何度も打ち付ける。骨の砕ける鈍い音が辺りに響いた。
「やれやれ、お坊ちゃん。いい子にしてれば俺たちがいい思いをさせてやるってのに、暴れるからこうなる」
 殴られ骨を砕かれたリュシオンは、もう抵抗する気力もなかった。細い息を漏らしながらぐったりした身体を男達に弄ばれるだけだった。
「最初からそう大人しくしてれば、痛い目を見る事もなかったのになあ。……ほら、足を開けよ」
 骨を砕かれた踝を強く握られ、リュシオンが短い悲鳴を上げたその時だった。
「……引き上げだ。お前達、随分余裕があるな」
 不意に低い男の声が、石造りの回廊に響いた。
「レクセンテール将軍、こ、これは」
 リュシオンは男達に押さえつけられたまま、その声の主を振り仰ぐ。
 大柄な男だった。重い雲の波間から漏れ落ちた月明かりに照らされた男は、足音も気配もなく、リュシオン達に忍び寄った。
 レクセンテール。その名を聞いた事があった。カルナス帝国の常勝将軍で、ロデリック王に忠実で獰猛な男。この男がどれほどの国を攻め落としたか、噂に伝え聞いていた。血も涙もない冷酷なカルナスの鬼神だと、戦場での無慈悲な振る舞いの噂はクレティアにまで伝わっていた。
「敵地での下賎な行いはロデリック王が最も嫌う物だ。……誇り高き帝国軍人が捕虜に拷問まがいの、畜生にも劣るような暴行をするはずがない。……そうだな、お前達」
「も、勿論です。将軍。これはその」
 瞼は腫れ上がり重かったが、眩む目を見開き、リュシオンは男を見上げる。
 月明かりにぼんやりと照らされる男の左頬から顎、首筋にかけて、生々しい火傷の痕があった。薄明かりの中でも、その傷の痛々しさは薄れない。
『それは君が描いた絵か?』
 まざまざと昼間の光景が脳裏に浮かび上がった。
『この、花と子犬の絵を譲ってもらえないか。金は払う。故郷で娘が待っているんだが、土産にしてやりたい』
 耐えきれない吐き気がこみ上げた。気が狂いそうだった。
『ありがとう。……少年、君の武運を願っているよ』
 嘘だ。
 嘘だ。嘘だ。嘘だ。
 何もかも嘘だ。これが現実であるはずがない。
 叫ばずにいられなかった。獣のような叫び声をあげ、リュシオンは狂ったように足掻き続ける。怒りなのか絶望なのか憎悪なのか、激しい感情は痛みを忘れさせていた。
 嘘だ。嘘だ。嘘だ。
 これは夢だ。悪い夢なんだ。こんな事が現実であるはずがない。こんな残酷な事が現実であるはずがない。夢の中のリュシオンも、夢を見ているリュシオンも、信じたくなかった。夢だと思い込みたかった。そうでなければ、心が砕け散ってしまいそうだった。



「……さま……! リュシオン様!」
 激しく揺さぶられて、リュシオンはやっと目を開いた。
 涙で滲む視界に、泣きそうなジーナの顔があった。ジーナは覆い被さるようにリュシオンにのしかかり、揺さぶっていたようだった。
「酷くうなされていて、私、とても驚いて。とても苦しそうだったので、起こしてしまいました。ごめんなさい」
 自分でも驚くくらいにびっしょりと寝汗をかいていた。あまりにも生々しく繰り返される悪夢に、リュシオンは言葉が出てこない。
「今日のご気分はいかがですか。朝食は食べられそうですか? もしも具合が悪いようでしたら、ベッドにお食事を用意しますよ」
 心配そうなジーナに何か返事をしてやりたかったが、咽頭は渇いて強張り、声が出てこない。情けないほど手も唇も震えていた。
 怒りなのか憎悪なのか悲しみなのか絶望なのか。夢の中で爆発した感情はまだ身体の中で燻っていた。とても平静ではいられなかった。
「支度をしますが、無理をしないで下さいね。食べられそうになければ、また後でご用意し直します。……クラーツ様をお呼びしましょうか?」
 リュシオンが返事を絞り出す前に、部屋の扉が開いた。
「怪我のせいではなく精神的なものだろう。眠り薬を少し増やそうか。眠りが深くなれば夢も見ないだろう」
 クラーツは当たり前のようにノックすらせずに、部屋に入ってくる。ジーナはリュシオンを客人のように扱うが、クラーツは違う。
「あ、クラーツ様、おはようございます」
 ジーナは頭を垂れ、クラーツに挨拶をすると素早く部屋の隅へと移動する。クラーツに下がれ、と言われたらすぐに部屋を出る為だろう。
 リュシオンはぐったりとベッドに沈み込んだまま、身動きもできなかった。ただクラーツやジーナの言葉を聞くだけだった。
「夕刻にレクセンテール将軍がお見えになるはずだ。リュシオン殿の身体ももう大分安定しているし、そろそろ本来の仕事をしてもらわなければね。……ジーナ」
 クラーツはいつものようにテーブルに薬の準備をしながら、ジーナを呼びつける。
「今夜、レクセンテール将軍はこの部屋でお過ごしになる。お前はリュシオン殿の支度を手伝いなさい」
 ジーナは知っているのかもしれない。リュシオンが飼われているという事を。何の疑問も口にせず、いつものようにクラーツの言葉に素直に頷いていた。当然の事かもしれない。幾ら彼女が年若く純朴でも、何も知らされずにリュシオンに仕える方が不自然だ。
 リュシオンはベッドに沈み込んだまま、拳を握りしめる。
 絶対に、後悔させてやる。生かしておいた事を、手元に置いた事を、必ず後悔させてやる。必ずこの手で、息の根を止めてやる。
 生きて帰ろうなんて思いもしなかった。
 浅はかな感傷で祖国を滅ぼした罪は、この命で贖う。償いきれないと分かっていても、もうそれしかリュシオンにできる事はなかった。


2018/04/18 up

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