人外×メイド♂

#07 手際の悪い仕事

「お手を煩わせてしまいました。ひとりで始末できず、申し訳ございません」
 恥ずかしがり屋だという主人を、手際の悪い仕事のせいで引っ張り出してしまった。メイドはこれを大変な失態だと感じていた。これくらいの魔物、ひとりで始末できないようでは一人前のメイドと言えない。
 メイドはそう言ってから、乱れた自分の服装に気付いた。双頭狼の返り血で血塗れだが仕方ない。
「ご挨拶が遅れて申し訳ございませんでした。お屋敷に引き取ってくださり、ありがとうございます。ご恩に報いるよう、誠心誠意お仕えいたします」
 しっかりと挨拶をしてから、目の前の主人を見据える。
 日頃から誰かの視線を感じていた。いつも傍にいる蜘蛛以外の、誰かの視線だ。悪意のある視線ではなかったのでおそらく主人だろうと考えていた。
 今日は庭仕事をしている頭上から視線を感じ、恐らく人見知りの主人が窓辺から様子を見ているのだろうと思っていた。
 間違いなくこの人が新しい主人だ。メイドは確信を持っていた。いつもの視線と気配が全く同じだった。
 初めて対面した主人は呆然としているように見えた。メイドは冷静に初めて対面した主を観察する。
 予想していた主人の姿よりは、だいぶ人間に近かった。
 目深にローブを被った主は二十代後半くらいの青年のように見える。ローブも決して安っぽくはない。むしろ繊細な刺繍や装飾を施された上品な仕立てだ。そんなローブを纏った主の雰囲気は物語に登場する賢者や魔術師のようで、まさに彼が書く文字と同じように高い気品と知性を感じる。顔は長い髪で隠すようにしているが、整った容貌だと分かる。人間でいうなら美貌だろう。ただ、確かに姿形は異形の魔物だ。
 主の脚は人間の脚ではなかった。これは蜘蛛だ。上半身は人だが、下半身は巨大な蜘蛛の脚を持つ異形だった。
 鋭く太い爪を持った脚は、三対、六本ある。長い脚を覆う艶やかなダークグレーの体毛に濃い青緑色の模様があり、毒蜘蛛のような禍々しさが少々あるものの、メイドには落ち着いて上品な色合いに見えていた。上半身の学者か賢者のような容貌から比べると下半身の脚は随分ものものしくいかついが、全体的な印象は魔物というよりも、異形の精霊か何かのように思えた。
「この双頭狼の死体はいかがいたしますか? 焼却しますか?」
 そうメイドが尋ねると、呆然としていた主はやっと口を開いた。
「あ、ああ……。森で飼っている蜘蛛のエサにするから、そのままにしてくれ。毛皮は色々用途があってダーダネルス百貨店が買い取ってくれるから、放置しておいていい。俺が始末する」
 声も話し方も落ち着いていてやはり品がある。魔物によくある粗野さはなかった。
 脚が蜘蛛なだけで他は限りなく人に近く、バンパイアとそう変わらない。これならば前の屋敷と同じように仕えることができそうだ。
「分かりました。それからなんとお呼びしたらよろしいでしょうか」
 前の主は『旦那様』と呼んでいた。お屋敷によって呼びかけ方は違うらしいので、確認は必要だった。
「………………」
 目の前の主人は戸惑っているように見えた。まるで初めて見る不思議なもののような目でメイドを見つめている。
「……なんでもいい。任せる」
 任せられたメイドは少々考え込む。
 以前のバンパイアだった主人は、若者や青年という見た目ではなかった。年齢を重ねた成人男性のように見えたので『旦那様』という呼び方がしっくりと合っていたが、今度の主人はまだ若い。正確な年齢は分からないが、青年くらいに見える。
「では『ご主人様』でよろしいでしょうか」
「それで構わない」
 そう短く返すと、主は真っ直ぐ森へと歩いて行く。メイドの肩に乗っている掌大の蜘蛛よりも身体が大きく半分は人の身体なせいか、歩く速度は蜘蛛のような素早さではなかった。だが人の身体と蜘蛛の身体という異形でも、違和感のない優美な歩き方だった。
「ご主人様、ありがとうございました」
 森へ向かう主の背中にそう声をかけると、素っ気ない返事があった。
「森の蜘蛛たちの様子を見てくる」
 それだけ言い残し森へと消えていく主を見送ってから、メイドは肩の上の蜘蛛に話しかけた。
「蜘蛛さんは狼を食べないのですか?」
 蜘蛛は肉食だ。肉食というのか分からないが、獲物に消化液を流し込んで液状化させて体液のように飲むと何かで読んだ事がある。だがよく考えてみれば、この蜘蛛が食事している姿を見た事がなかった。
 蜘蛛はメイドを見上げてまた頭を傾げ、興味なさそうな仕草だ。森の蜘蛛たちとは食性が違うのかもしれない。
 メイドは改めて自分の服と両手のダガーを見る。エプロンも濃紺のワンピースも両手も血塗れだ。濡れそぼったスカートから、ぽたぽたとどす黒い血が滴り落ちている。
 仕事の続きをする前に、まずこの身なりをなんとかしなければ。歩いた傍から血が滴り落ちてしまうし、ダガーの血と脂を拭わないと鈍ってしまう。まずは血の汚れを洗い流そう。
 メイドは何事もなかったかのように、庭の隅にある井戸へと向かう。



 メイドと別れて森へ向かった主は、まだ戸惑っていた。
 なぜか人間のメイドではなく、異形の魔物である自分の方が困惑している。
 かつてこんな反応をした人間がいただろうか。
 何度か迷い込んだ人間の旅人や魔物を狩る賞金稼ぎどもとは遭遇したが、誰もが出会うなり叫び声を上げていた。
 それなのに、あのメイドは全く動じない。驚くほど冷静だった。
 森の中を歩きながら蜘蛛たちを呼び寄せる為に指笛を吹いてみるが、反応があったのは二匹だけだった。他の蜘蛛はあの双頭狼と争って負け、食い殺されたのだろう。
 また新しい蜘蛛を作って森に放たなければ。大きく育てるには時間がかかる。それまでは自分で森を見張らなければならない。
 人間のメイドがいるとなれば、匂いにつられてもっと魔物がやってくる。人を好んで食らう魔物は多いのだ。
 半分人で半分蜘蛛の自分も少々人の匂いがあるが、メイドは完全な人間だ。メイドの強い匂いにつられて魔物が現れる可能性は高い。母親が生きている頃も匂いに釣られた魔物がしばしば現れたものだった。
 元騎士だった母は正気でなかったが異様な強さを見せていた。あれほどの強さは求めないがこのメイドはそこそこ戦えるようで、そこは正直、ありがたい。全く戦えない無防備な人間では、蜘蛛たちだけで守るのは少々難しい。
 撫子が『このクラスのメイドは妖魔メイドでもなかなかいない』と言っていたが、あれはメイドが家事だけではなく戦う能力も持っていたからだ。
 屋敷の管理に家事に魔物の討伐。バンパイアのメイド教育はこういうものなのか。なんにせよ、ぼったくりだと思っていたメイドの値段にも納得がいく。
 森の中心に辿りつくと左手の手袋を外し、左手を晒す。現れた弾力のある甲殻に守られた掌を、右手の鋭い爪で真一文字に切り裂く。
 溢れ出た血は掌で血だまりを作り、その血だまりの中で何かがもぞもぞと動き始める。
 血だまりから生まれたのは、真っ黒な蜘蛛だった。掌大にまで育った蜘蛛は掌から飛び降り、素早く木立の中へ消えていく。血だまりの中から一匹、二匹……次々と生まれ、すぐに生い茂る下草や木々の間へ走り去っていく。
 そして撫子は、あのメイドがこの醜い姿を見ても動じないという確信があったのだ。
 だからあのメイドの新しい主人に、自分を選んだ。
 人を食わない魔物と、どんな魔物を見ても動揺しない人間。屋敷の管理に困っている魔物と、行くあてのない人間のメイド。これはちょうどいい商売になるとダーダネルス百貨店は判断したのだろう。
 なぜメイドが半人半魔の自分のような中途半端な醜い化け物にも動じないのか、理由は分からない。分からないが、正直に言えば、気が楽になった。
 内心この姿をどう思おうが構わない。それを表面に出さずに仕えてくれるなら、心底ありがたいと思えた。
 何匹目かの蜘蛛を作り終え、掌の傷を塞ぎながら改めて思い返す。
 ダーダネルス百貨店の、あの外商たち。やっぱり色々と胡散臭いやつらだ。



2023/07/04 up

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