竜の棲み処

#06 竜の巣の朝

 竜の巣の朝はのんびりとしたものだ。
 タキアは余程疲れていない限り、人の姿になってベッドで寝ている。
 あまりに疲れていると人の姿になれないようで、その場合は、古城の天辺の、『本物の竜の巣』で寝ている。
 人の姿の時はルサカが起こしに行くけれど、竜の姿のままの時は本当に疲れている時なので、起きるまで放っておく。
 タキアの発情期が終わって一ヶ月ほど経ったが、交尾前と何も変わらない生活をしている。
『竜と暮らす幸せ読本』には、『若い竜ほど繁殖期外の交尾が多い』と書かれていたので、ルサカもある程度覚悟をしていたというか期待をしていたというか。
 あの濃厚なスキンシップもなく、たまに軽くキスをするくらいで、ごくごく普通の共同生活のような雰囲気になっている。
 あんな快楽を知ってしまったら、もうタキアなしではいられないのでは、とルサカは思っていたが、発情期が終わってみれば、なんてことはない。
 ルサカも前の状態に戻っていた。
 ちょっと残念なような気がしなくもなく、ルサカは複雑な心境だ。
 タキアは起こさない限り、起きてこない。
 ごく稀に起きてくるが、だいたいいつまでも怠惰に寝ている。
 ルサカは攫われる前、ライアネルの屋敷にいた頃から、早朝に起きてその日の分のパンを作る生活をしていた。
 ここでもその生活サイクルを守り、早起きしてパンを作っている。
 この竜の巣は、不思議な便利なもので満ちていた。
 お湯も水も湧き出す不思議な瓶や、そこにしまえば決して腐らない戸棚や、薪もないのに燃え続けるオーブンなど、考えられないくらいに便利なものがあった。
 家事が格段に楽に進む。
 これも恐らく、ダーダネルス百貨店の珊瑚がタキアに売りつけていったのであろうが、ルサカはとても助かっていた。
 ルサカはボウルに強力粉とライ麦粉を計り入れる。
 作っておいたりんごを発酵させた酵母と砂糖、バター、水をいれ、生地を捏ね始める。
 このりんごの酵母は、ライアネルの好物だった。ふと、ルサカはそれを思い出す。
 他にも葡萄や苺などで酵母を作ったけれど、りんごが一番おいしいと、ライアネルが言っていた。
 ルサカもこの匂いが好きだった。
 このほんのりと香るりんごの香りは、ライアネルの屋敷の厨房を思い出させる。
 攫われる前に作っておいたりんごの酵母を、家政婦のマギーは使ってくれたかな。
 思い返せば、家もライアネルも無性に恋しくなる。
 考えても悲しくなるだけだ。
 振り切るように、ルサカはパン生地を力任せに捏ねる。
 タキアと交尾する前までは、これがなかなかの重労働だった。
 とにかくパン生地を捏ねるのは体力がいる。
 よく捏ね倒さないと、硬くてぱさついたおいしくないパンになってしまう。
 なかなかにしんどい作業だった。
 それが、タキアと交尾をして、下腹に紅い花のアザが出来てから、いやに軽々と捏ねられるようになった。
 タキアが『竜との交尾に耐えられるように、身体が変化する』と言っていた。
 それはもしかしたら、耐久性と身体能力が上がるという変化なのかもしれない。
 家事もその変化のおかげか、楽々と捗っている。
 モップがけや家具を移動しての掃除、それが楽々になった。
 確実に力もついている。
 疲労もしにくく、この広い古城の掃除も、ほうきウサギたちとルサカで十分間に合うようになった。
 そして、もうひとつ変化があった。
 やたらに空腹になる。
 とにかく食べるようになった。
 元々は食が細かったルサカだが、今は考えられない量を食べるようになった。
 特にタキアとの交尾の後が顕著で、何か食べないと死んでしまうんじゃないかというくらい、消耗する。
 タキアの発情期が終わって交尾がなくなった今も、その時ほどではないが、やたらに空腹になる。
 この人間離れした身体能力を維持するには、膨大なエネルギーが要るのかもしれない。
 そんな訳で、食事作りにも熱が入る。
 主に食べるのはルサカで、タキアはあまり食べない。
 人間の料理を食べるのは好きらしいが、竜の主食は、どうも人間が食べるようなものではないらしい。
「何を食べてるのかって聞かれると困るな……。うーん。なんていえばいいんだろう。……人間でいうところの霞?」
 タキアの発言によると、『その辺にあって人間には見えない何か』らしい。
 それが主食で、ルサカと食べる料理はちょっとしたおやつ的な扱いなのだと言っていた。
 パンを捏ね発酵が終わり、オーブンで焼き始めたその時、珍しくタキアが自分で起きて、厨房にやってきた。
「おはよう、ルサカ」
 子供のように目を擦っている。えらく眠たげだった。
「おはよう、タキア。ご飯もうすぐできるよ、ちょっと待っててね」
 厨房の椅子に座りながら、タキアはあくびをかみ殺す。
「ねー、ルサカ。いつも僕がいない時って、何してるの?」
 お茶の準備をしようと、厨房のテーブルに茶器を並べ始めたルサカの手元を眺めながら訊ねる。
「……うーん。そう聞かれると困るなあ……。ほうきウサギと掃除をして、食事の仕込みして、時間があれば書庫の本を読むかな。すごいね。料理から歴史から、色んなのあって楽しい。一部読めない謎の言語の本があるけど」
 朝食はいつも厨房で簡単に済ます。
 ルサカはせっせと食器を並べ始める。
「その謎の言語ていうのは、竜言語だね。……竜の使う文字だ」
 そういえばタキアが読んでいる本はみんなあの謎言語だ。
「僕は人間の文字、苦手だからなあ。簡単なのなら少し読めるけど」
 因みにタキアがよく読んでいるのは、例のダーダネルス百貨店の『初級 人間の飼い方』である。
 彼なりに、ルサカへの接し方を勉強してはいるのだ。
 ルサカが入れたお茶を飲みながら、タキアはしばし考え込んでいる。
「……そういえば、人間は寂しがり屋だって聞いた。僕がいない間、ひとりで寂しくない? 話し相手とか人間の仲間とか、欲しい?」
「寂しいって言ったら、家に帰してくれるの?」
 タキアはぐっと詰まる。
「そ、それはだめだ。もうルサカは僕の番人なんだから……絶対家に帰さないよ」
 分かりきっていた返事だが。ルサカはふう、とため息をつく。
「言ってみただけだよ。……家に帰れるなんて思ってないよ」
 タキアは目に見えてしょんぼりしている。
 そんなに悲しそうにされると、ルサカも胸がちくちくと痛んでくる。
「……タキアも寂しがり屋だよね」
 図星なのか、かあっとタキアの頬が赤くなる。初めてそんな顔を見た。
 ルサカも少し驚いている。
「り、竜は……巣が大事なんだ。巣に人がいてくれないと、頑張れないんだよ……」
 恥ずかしそうにもじもじと口ごもっている。
「前から言ってるけど、僕はルサカを大事にするし……だからここにいて欲しいし、僕の事も好きになって欲しい」
「あ、パンが焼けたみたい」
 無慈悲に求愛を無視してルサカはオーブンから天板を取り出す。
「焼きたてだよー、おいしいよ。さ、朝ご飯にしよう」
 朝食はいつも厨房のテーブルで済ます。さっさとパンをパン籠に移して朝食を並べ始める。
「ルサカ、ひどい! 話聞いてないじゃないか!」
「お腹空いちゃってー。まあとりあえず食べようよ。焼きたてのパンおいしいよ。準備手伝ってね」



 だいたい、タキアの『ルサカが大好き』は、『この顔と身体が大好き』って言っているようなものじゃないのか。
 そうルサカは思っている。
 多分、タキアが『綺麗、可愛い』と思っていて、かつ『交尾の相性がいい』と思うと、『大好き』なんじゃないのか。
 そもそも、愛情が育つほど出会ってから間がなかった。
 ルサカはほうきウサギを捕まえて撫でまくりながら考える。
 多分このほうきウサギと同じようなものだ。
 可愛くて役に立つ綺麗なペット。大事にしているペットになついてほしい。
 そんなところじゃないだろうか。
 ルサカの方でも、正直そんなものだ。
 タキアに愛情があるかというと、そうでもない。
 まあ嫌いじゃない。
 顔も綺麗だし、性格も穏やかだし、交尾以外の事なら割とまともだし。
 攫われた直後に売り飛ばされそうだった『幼い男の子が大好きな変態』のところに行くよりは、マシだとも思える。
 交尾も今となっては、特に拒否する理由もないし、受け入れていいかとも思い始めている。
 言っちゃえば、『タキアが好き』、とか以前に、『タキアとの交尾は好き』なのだ。
 可愛くて役に立って交尾が出来るペットが欲しいタキアも、タキアとの交尾は好きなルサカも、どっちもどっちだと言えなくもない。
 ほうきウサギは、ルサカに腹毛を撫で倒されてぷすぷす鳴いている。
 何ともいえない鳴き声だ。
 ぷすっというかぷっというか。
 ふわふわツヤツヤですごく可愛いけど、クモとかムカデとかくもの巣とか埃とか食べるんだよなあ、と複雑な気持ちでルサカは撫で続ける。
 正直『交尾』が強烈すぎて、タキアが好きとか以前に『タキアとの交尾は気持ちいい』しか浮かばない状態だ。
 もしも恋愛感情とか好意が育ってから交尾していたなら、もっと違う気持ちだったのか……そこまで考えてから、ルサカは思わず唸る。
 そもそも男同士だし! タキアは人間じゃないし!
 毒されてる、感覚がマヒしてる。
 なんだか常識が狂い始めてるじゃないか、とやっとルサカは気付いた。
 ほうきウサギを撫で倒すのを止めて離してやると、一目散に逃げていく。
 ぷすぷすは抗議の声だったようだ。

 もし他に人間を捕まえて来て番人にしたら、自分に飽きるのでは?

 ふと思いつく。
 ルサカより美しく働き者でかつ卵も産める女性なら、タキアも目移りして、ルサカを家に帰してくれるのではないか。
 そう考えてから、はっと我に返る。
 人の犠牲で自分が助かろう、なんて浅ましい考えだ。
 むしろライアネルくらいしか家族がいない自分がここにいて、他の番人はいらない、と主張した方が、攫われる人も、大切な家族を攫われて泣く人も出ず、幸せなんじゃないだろうか。
 そう考えると少しは自分が世の中の役に立てているような気がする。
 国策で養ってもらって生きてきたんだ、国の役に立ったと思えば自分の犠牲は無駄な事じゃないかもしれない。
 そんな事を考えていると、朝食後に出かけていたタキアが帰ってきたようだった。



「……今日、初めて貢ぎ物があったんだけど……」
 タキアは帰ってくると、疲れ切って人の姿になれない時以外は、ルサカとこうして日当たりのいい部屋でお茶を飲む。
 お茶を飲みながら、今日の成果を語るのが日課だった。
「色々野菜とか果物とか干し肉とか。あとで運び込むんでおくよ。あと、他に初めて生贄の人間が捧げられてたんだけど、ひどいんだ」
 珍しくタキアが憤慨している。
 この人も怒る事があるのか、とちょっぴりルサカは思っている。
「処女じゃなかった。確かに美人だったけど、生贄は純潔と相場が決まってるだろうに、本当に失礼な話だよ」
「え、なにそんなの気にするの? ……別にいいじゃないか、美人なら」
「ダメだよ。気にするよ。純潔じゃないとか、しるしがつかない。しるしがつかない人間なんて、何回か交尾したら死んじゃうし」
 さらりと恐ろしい事を言う。
「何か今怖い事言ったけど……まさか交尾してきたの? 純潔じゃないとかそういうのって、そうじゃなきゃわからないよね」
「しなくたってわかるよ、ルサカみたいにいい匂いがしない。……もう本当に馬鹿にしてるな。舐めてるんじゃないのかなあ竜を。腹が立ったから、ちょっとその街焼いてきたよ」
 やっぱり畜生というか獣というか動物というか竜なんだな、とその話を聞きながらルサカは思う。
 軽く『ちょっと焼いてきた』とか言ってるし。
 タキアのカップに新しいお茶を継ぎ足しながら、ルサカは少し考える。
「タキア、他の人間が欲しいの? 前にぼくだけでいいって言ってたのに?」
「……だって、貢ぎ物に入ってたし」
 さすが淫蕩な竜。目の前にあったらやっぱり綺麗な人間は欲しいのか。
「ぼくだけでいいとか大事にするとか……あれは嘘だったのか」
 なんて言えばいいんだろうか。
 ルサカはティポットをおいて考え込む。
『ぼくだけにして』と直球で言うとヤキモチ焼いてるのかと思われそうだし、『他の番人を作るなら家に帰せ』だと新しく番人にされる犠牲者が出そうだし、何て言えばうまくいくのか。
 いい言い回しはないかルサカが考えこんでいると、テーブルの上のルサカの手を、タキアがきゅっと握り締めた。
「ルサカ、心配しなくていいよ。……僕が一番好きなのはルサカだよ。卵が産めなくたって別に構わない。繁殖は兄さんや姉さんが頑張ってるし。……僕は君が僕を好きになってくれればそれで」
 さっきのだけで十分誤解されたようだった。
「あ。……ええと……」
 それも違うが、否定してもなんだかおかしい事になりそうだ。
 家には帰りたい。けれど他に誰かを犠牲にするわけにもいかない。
 ルサカは困惑しながら、握られた手をじっと見つめて、小さくため息をついた。



2016/01/29 up

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