竜の棲み処

#23 手がかり

「割と正気なんじゃないかと思うよ」
 プラチナブロンドに青い目の青年は、洗濯したてのシーツを綺麗にたたむ。
 ぱりっと糊を利かせて、重い鉄のアイロンをぴしっと当てて、きっちりと折り目正しくたたむ。
 このたたみ方は、どうみても軍隊式だ。
 ルサカが常に整理整頓を心がけているおかげで、古城の巣のリネン庫はとても分かりやすい。
 住人ではないこの二人でも、どこに何があるのか一目でわかる。
「そうだな。もし目覚めて暴れ出したら、容赦せずに拘束しろとエルーは言っていたけど、大丈夫そうだ」
 淡い栗色の髪に穏やかな青みを帯びた榛色の目の青年は相槌を打ちながら、そのたたまれたシーツをリネン棚に積んでいく。
「そろそろ昼食の時間だし、地下室から出してやるか。さすがにあのジメジメ黴臭い場所にタキアを閉じ込めておくのは忍びない」
「アベル、任せた。俺は昼食の支度をしておく」
「了解。暴れ出したら呼ぶよ」
 アベルと呼ばれた栗色の髪の青年は、鍵の束を持って地下室へ向かう。
「タキア、起きてるか」
 重い鉄の扉を開けて中に声をかける。
「起きてるよ。……ちゃんと正気だ」
 ヨルを抱えたタキアが寝台に座っていた。
 正直アベルは、タキアがもっと荒れているか、気力を失っているか、グズグズ泣いているか、どの道どうしようもない状態だろうと思っていた。
 タキアの母親が亡くなってから独り立ちするまでは、エルーの巣で一緒に暮らしていた。巣作りで忙しいエルーの代わりにタキアの面倒を見ていたのは、このカインとアベルの兄弟騎士の番人だった。
 だからタキアの性格はよく知っている。
 リーンとエルーはこの歳の離れた弟を甘やかしていた。
 天真爛漫で甘ったれの、可愛い末っ子。打たれ弱いと思っていたので、こんなに早く立ち直るとは予想外だった。
「よし。傷はどうだ」
 地下室は薄暗い。
 竜のタキアは暗闇でも灯りは不要だが、アベルはそうはいかない。
「割といい。……結構塞がってるかな」
 巻かれていた包帯は何箇所か外していた。タキアは袖を捲り上げて軽く腕を見せる。
「傷が塞がってるなら風呂に入れよ。血と泥でひどい事になってる。正気ならその首枷も外すから」



 タキアが風呂から戻ると、アベルとカインは厨房のテーブルに昼食の準備をしていた。
「色々お前にいう事はあるが、まずはしっかり食べてからだ。……おいアベル、首枷を外してやらなかったのか」
 アベルの腰に下げられていた鍵の束をとって、タキアの首枷を外してやる。
「竜と鉄は本当に相性が悪いな。……かぶれてる。あとで包帯巻きなおす時に薬をつけよう」
 タキアをテーブルにつかせて、カインは料理に戻る。
「……まず二人に謝らなきゃ。……迷惑かけて本当にごめんなさい。……兄さんと姉さんは?」
「ルサカを探しに行ってる。ルトリッツにはいそうにないから、隣国に移動するとかって言っていたな」
 アベルは手馴れた仕草で食器を並べていく。
 エルーの巣は最初の数百年はカインとアベルしか番人がいなかった。エルーは巣作りで忙しかったし、家事全般は、この軍人上がりの兄弟番人が分担していた。
 おかげで手馴れている。
「それなんだけれど……これ」
 タキアはあの、握り締めていた薄紅色の呼び出し紙を見せる。
「これを、ルサカが送ってきた。白紙だけど。……どこから送られたか全くわからない……ただ、強い魔力を帯びている事だけは分かる」
 カインとアベルは手を休めてタキアの掌を覗き込む。
「これは……人間と一緒にいるって事はなさそうだ。こんな高い魔力持った人間、今時いないだろ」
 タキアが握り締めていたせいで、薄紅色の紙はくしゃくしゃだった。
 そのよれよれの呼び出し紙が、一目見ただけでも、強い魔力の影響を受けているのは分かる。
「竜……かな」
「相手が竜だったら、取り戻すのは厄介なんじゃないか」
「飼い主が見つかるまで、拾った番人を保護してるだけって事もあるぜ」
 二人は再び調理に戻って、昼食の準備を続けながら思案している。
「他の竜の番人だってわかってて連れ去る、たちの悪いやつもいるからな……」
 成人したてで経験の少ないタキアよりは、数百年をエルーと共に生きてきたこの二人の番人の方が、世事に詳しい。
 タキアは大人しく二人の意見を聞いている。
「どの道、これは多分竜の巣にいるって事だろ。今の時代にこれだけの魔力を持った人間はいない。……だからある程度、身の安全は確保出来てるんじゃないか。人に捕まるよりはまともな扱いをしてもらえる」
 手早くタキアの好物を盛った皿を並べる。
 タキアは食欲がまるでなかったが、ここで無理をしてでも食べておかないと、竜の姿に戻る体力すらない。
 傷も塞がりつつあるが、完治とは言い難い。
 これで長距離を飛ぶのは難しい。
「返すつもりがあったら、白紙の呼び出し紙なんか届かないだろ。……もう自分の番人にするつもりなんじゃないか。竜は、欲しいと思った綺麗なものは、迷わず奪うからな」
 ガシャン、と陶器が砕け散る音が響いた。
「……ご、ごめん。手が滑った……」
 タキアは石の床に砕け散ったカップの欠片を慌てて拾う。
 小声でカインはアベルを叱る。動揺させるような事を言うな。小さい声だったが、タキアにも聞こえていた。
「とりあえず、エルーとリーンが帰ってくるのを待とうか。……それから相談しても遅くない。それにリーンなら、これだけ魔力が高い竜なら知っているかもしれない。無駄に長く生きてないだろ」



「ライアネル様はご不在です。午後には一度戻ってくるとは仰っていましたが。……私はライアネル様の書記官で、単なる留守番なんです」
 鉄の門扉の向こう側から、丁寧にジルドアは述べる。
「今は国中大騒ぎになっていますし……大変申し訳ないのですが、お約束がない方をお通しするわけにはいかないのです。ライアネル様がご在宅の時でしたら、また違ったのですが」
 エルーとリーンは顔を見合わせる。
 ここでルサカの関係者の竜だ、と言っても、絶対信じてもらえない。
 かと言って、どちらも傷がまだ癒えていない。そう何度も竜に戻って人に化けてを繰り返せる体力がない。
「……仕方ない、エルー。出直そうか」
 諦めて出直そうとしたその時、ちょうど白樺の並木を騎馬のライアネルが走ってくるところだった。
 門扉まで駆けてくると、ライアネルは馬から下りる。
「この間のファイアドラゴンか。……この間より少し大きいような。今日は一人じゃないんだな」
 エルーとリーンは再び顔を見合わせ、ぼそぼそと小声で話す。
「……この騎士、魔眼持ちだ」
「もうとっくにそんなの絶滅したと思ってた」
「ルサカは面倒な父親を持ってるな」
「父親じゃないわ、血縁じゃないの。保護者よ」
 ぼそぼそ話し合う二人の声は聞こえていないのか、ライアネルは深いため息をついた。
「……大暴れしてくれたものだな。ひどい被害だ。幸い死者はでなかったが、大怪我したものが大勢いる」
 ルサカの行方の事だけでも心労は激しい。更にファイアドラゴンが大暴れし、突如起きた嵐の被害もひどい。
 不眠不休で動き続け、こうして時折屋敷にルサカが帰ってきていないか確認にも戻る。
 疲労は限界に近かった。
「落ち着いているところをみると、ルサカが見つかったのか」
 それはライアネルの淡い期待だった。
「まずは、弟の不始末を詫びる。弟は責任もって我々が拘束した。我々はルサカの竜の兄姉だ」
 ライアネルは不思議そうな顔をしている。
 ライアネルから見たら、リーンもエルーもタキアも、大きさが違うだけで、皆似たような外見で区別が付きにくい。
 魔眼を持つ人間には、どんな魔法も効かない。人の魔法も、竜の魔法も区別無く、通用しない。
 更に、人に化けた竜も見破る。
 全ての魔を避けるのだ。まやかしなんかでは騙されない。
 ライアネルの目に、この二人はどう映るかと言えば、人に良く似た人ではない異形のもので、どんなに人のふりをしても、人ではないとわかる。
 人のふりをしている竜、だとわかるのだ。
 ライアネルはタキアに会うまで、竜に会った事がなかった。だから自分が魔眼を持つ人間だと、知らない。
 あの日、門の前にいたタキアを一目で竜だと見破っているが、それがおかしい事だと、ライアネルは露ほども思っていない。
 そう見えているのだから、不思議でもなんでもないのだ。
 そもそも、一部の古代魔法の研究者でもなければ、魔眼の存在も知らない。
 恐らく今も、ライアネルも自分の眼の矛盾に気付いていない。みんなそう見えていると思い込んでいる。
 昔はこんな騎士が稀にいた。
 竜の最大の武器のブレスが効かないのだから、竜と対峙するなら最強の人類だ。
「区別がつきにくいかもしれないが、この間ここにルサカを迎えに来たのは、弟だ。俺は兄、こっちがこの前の竜の姉」
 そのやりとりを、ジルドアは呆然と見ている。
 ジルドアから見たら、赤毛の良く似た男女の兄妹にしか見えていない。
 ライアネルとは今見えているものが全く違う。
「弟はまだ成人したてで、人間で言えば子供同然だ。ルサカを奪われて、パニックになってしまっていたんだ。……それを許せ、とは言わない。……ルサカはまだ見つかっていないし、帰ってきていないが、弟は責任もって我々が監視している。……もう迷惑をかけさせない」
 ライアネルもこの言葉を聞きながら、前の竜と今目の前にいる竜は違うかもしれない、と思い始めていた。
 見た目もこの竜の方が遥かに落ち着いて見えるし、体躯も大きく見える。
「我々もルサカを探している。もしよければ、情報を共有してもらいたい。……今日は弟の不始末の謝罪と、その情報共有の交渉に来た」
「言いたい事は山ほどあるが、まず、ルサカを見つけ出す事が最優先事項だ。他はあとまわしでいい。……こっちが持っている情報はそれほどないが、幾つか不審な事はあった」
 ライアネルが促すと、ジルドアが門扉を開き、招き入れる。
「今は手を結ぼうか。……こちらの情報を提示しよう」



「ルサカはまだ騎士団でも見つけられていない。……ただ、東の国境を越えたハーフェン領の森で、不審な遺体と馬車が発見された。……見つけたのはハーフェンの国境警備兵で、ルトリッツの騒ぎに関係があるのではないかと連絡があったそうだ」
 古城の巣に帰ってきたリーンの話を、タキアは静かに聞いている。
 エルーはタキアの隣に座って手を握ったまま、離さない。タキアの狂乱を警戒しているのもあるし、タキアが心配でたまらないのもある。
「凍死した男の遺体がふたつ。そいつらのものと思われる、完全に凍結した幌馬車がひとつ。馬車の中には、人が入れる大きさの檻と、血痕があった。……凍った遺体も馬車も、なかなか溶けなかったと言っていたから、多分魔法か竜のブレスで凍結されたんだろう」
「……やはり竜かな」
 リーンはタキアが握っていた薄紅色の紙を掌に載せ、見つめている。
「……この紙が強い魔力を帯びているのが気になる」
「これだけ強い魔力を持つ竜なら、知り合いの誰かわかるんじゃないのか。……竜同士は縄張りの確認をしているんだろう?」
 竜は縄張りを報告しあう。無駄な争いを引き起こさないために、必要な連絡だ。
 一定の範囲内にいれば、竜は言葉がなくとも連絡を取り合える。お互い縄張りを侵さないよう、確認するのは重要な事だ。
「この辺りにこんな強い魔力を持った竜なんかいない。……かといって、人間にこんな魔力持ちがいるとは思えないが、流れの竜か。……流浪していて関わりを持つ事を嫌う者も、稀にいるからな」
 リーンはちゃらちゃらと怠惰に過ごしているように見えるが、アベルの言う通り、無駄に千年も生きていない。
 巨大な巣を持ち、維持出来る強さと才覚がある。竜としてはかなりクラスが上の実力者だ。
 そのリーンが、これほど警戒している。
 タキアは嫌な予感しかしない。
 竜が人間や財宝、縄張りを奪い合う事は、極稀ではあるが、ない話ではない。
 そうなると穏便に終わる事はない。
「……でも、人間に捕まるよりはいいわ……。竜なら、番人を傷付けたりしないもの。少なくとも、大切に扱って貰える」
 ルサカが安全なところにいる、それだけが救いだ。
 どこにいるかわからななくとも、少なくとも命の心配も危害を加えられる心配もないなら、ひとまずは安心出来る。
「問題は、ルサカを保護している何者かが、返す気があるのかないのか、というところだ。……白紙の呼び出し紙という事は、返す気がないのかもしれない。あれば連絡を取れるはずだしな」
 その時、タキアの目の前に、ふわり、と白い小さな紙が現れ、舞い落ちる。
「……呼び出し紙だ!」
 タキアが慌てて掴む。
 竜の言語が綴られた、強い魔力を帯びた呼び出し紙だった。
 心臓が破裂しそうなくらい、脈打っている。
 タキアは震える手でそれを開いた。



2016/02/18 up

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