竜の棲み処

#30 予想外のお土産

 すぐに結論を出せるものではない。
 ライアネルは複雑な表情のまま、リーンに送られて帰っていった。
 ルサカはルサカで、予想外の展開に考えがまとまらない。
 結局ライアネルが決める事なので、ルサカが何か言える立場ではないが、リーンの竜騎士になる、というのがピンとこない。
 性的な意味でアグレッシブな番人が二十九人もいる巨大な巣で、あの生真面目なライアネルが暮らせるのだろうか。
 むしろ、ライアネルのために巨大なハーレムが解体されるのだろうか。
 二十九人の番人はどうなるのだろうか。
 そして、ライアネルはルトリッツ騎士団国に忠誠を誓う、ルトリッツの誇り高き騎士だ。
 それが国を捨てて、竜を選べるのだろうか。
 いや、それよりも、ライアネルが竜騎士になるなら、ルトリッツ騎士団国から遠く離れた、リーンの巣のある国に行く事になる。
 ライアネルは天涯孤独だったルサカとは違う。
 治める領地もある、雇用する人々もいる。血族もいるのだ。
 全てを捨てて竜と生きる道を選べるのだろうか。
 ルサカの行く末を見守るためだけに、そんな事が出来るのだろうか。
「ねールサカ、これおいしい。もっと食べたーい」
 林檎のケーキを食べ終わったエルーは、お皿を持って催促する。
「……あ。ごめんなさい、ぼーっとしてました」
 今日はリーンではなく、エルーがカインとアベルを連れて、留守番のルサカの様子を見にというか、遊びに来ていた。
 カインとアベルが一緒に来た理由は聞かずともわかる。
 これは、二人がタキアにしつこく頼まれて、エルーをひとりで来させないよう仕向けたのだろう。
 それくらいはルサカにもわかる。
 この兄弟騎士の番人がいれば、エルーのおいた(性的な意味の)は防げる。
「まだたくさんありますよ。お土産にと思っていっぱい作っておいたんです。……カインさんとアベルさんは?」
「俺たちはもういいよ。……エルー、そんなに食べて気持ち悪くならないのか?」
「全然。おいしーい」
 エルーはおかわりに大きく切ってもらった林檎のケーキを嬉しそうに食べている。
 タキアは人並み、というか、一人前くらいしか人間の食べ物は食べないが、エルーはさっきから丸ごと一個食べ尽くしそうな勢いで食べている。
 竜も人間も、女性はみんな甘いものが好きなのかな、とルサカは思う。
「すいません、厨房の扉まで直してもらっちゃって……」
 カインとアベルに向き直って、丁寧にルサカはお礼を言う。
 ヨルが破壊した扉は、カインとアベルが古城の地下室にあった家具から材料を取って修復してくれた。
 数百年、エルーの巣を守ってきただけはある。家事も日曜大工もなんでもござれだ。
 将来的にはこれくらい、何でもソツなくこなす敏腕な番人になりたい、とルサカは純粋に思う。
「大した事じゃないし、気にしないでいい。……それにしてもヘルハウンドは優秀だな。騎士出身の番人がいなくとも十分、守れるんじゃないか」
 ヨルはあの巨体のまま、ルサカの足元に伏せて寛いでいた。
 あのまま小さいヨルには戻っていないが、リーンほど警戒はしていないようで、ヨルは概ね友好的な態度を取っている。
「普通は騎士出身の番人とかいるんですか?」
「置いてる巣は多いかな。……縄張り争いが激しい地域とか、巣の立地があまりよくなくて、人間が入り込みやすい場合とか」
 そう言いながらカインはヨルを軽く撫でている。
 あまりカインは感情を表に出さないが、これは相当な犬好きだな、とルサカは思っている。
「ここは断崖絶壁のいい場所にあるし、縄張り争いもおきそうにないくらい、他の竜も周辺諸国にいないし、まあ問題ないとは思うけれど、リーンがあの調子だからな」
 アベルとカインは顔を見合わせてため息をつく。
「竜らしいといえば竜らしいけどな。数百年経っても、この竜のモラルの無さには理解が及ばない」
「だって竜はそれが普通なの。人間のモラルなんて、非合理的だわ。繁殖力が強い人間みたいに、一夫一妻なんて出来るわけないし。……ルサカ、お茶のおかわりちょうだい」
 常識が違うのだから、そこは妥協しあうしかない。
 お茶のおかわりを注ぎながら、ルサカはふと浮かんだ疑問を口にしてみる。
「番人同士って、仲良くできるものなんですか……?」
「あら。……ついにタキアも、他に番人を持つ気になったの? ……確かに小さいルサカだけじゃ、繁殖期を越えるの難しいものね。……それにルサカは繁殖出来ないし」
 そこはルサカも考えている。
 タキアにこのまま繁殖期のたびに我慢を強いるのも、他の番人を迎えるのも、どちらにしてもルサカには向き合って考えなければならない問題だ。
「うちは別に操らなくても、みんなうまくやってるけど……。他に女の子が三人いるけど、みんな仲いいよ」
 エルーはお茶を飲みながら事も無げに答える。
「……カインさんとアベルさんは?」
「俺たちは別に三人でやればい」
 カインが慌ててがばっとアベルの口を押さえる。
 ルサカもだてに書庫で官能小説を読んでいない。今のアベルの失言で察した。
「……まあ子供に言うのもなんだが、俺たちは俺たちのルールでうまくやっている。リーンのところはあれだけの人数だからな。竜のコントロールなしではうまくいかないだろうな」
「やっぱりねー数が多いと、誰がひいきされてるだのずるいだの、ケンカになりやすいからね。……一応、見た目の美しさだけで選んでないのよ。……心根が歪んでるのはわかるから。心も綺麗なの選んでるの、ちゃんと」
 見ただけで性格も分かるというのだろうか。
 ますます竜は不思議な生き物だ、とルサカは思う。
「野放図に番人を増やしてる訳じゃなくて、番人を飼うのもルールが一応あるのよ。……大事にするのは当然だし、平等に愛せないなら増やすなって、厳しく言われて育ってるから」
 ま、それでもお気に入りは絶対出来ちゃうんだけどー、とかエルーはのん気に言っている。
「リーンもあれで、きちんとハーレムの秩序を守れて維持出来てるの。……人のモラルから見たら、リーンは軽薄に見えるかもしれないけれど、竜としてはあるべき正しい姿で、すごい事なのよ」
 竜のモラルと常識と力関係から考えれば、リーンが竜の中でも上位に位置する優秀な竜なのは理解出来る。
 タキアもいつか、リーンのようになるのかな、とルサカも少なからず考える事はあった。
「……ルサカ、タキアが他に番人を欲しがっているのか?」
 少し考えるように無言だったカインが尋ねる。
「そうじゃないけど……。もし、そうなったらうまくやれるのかなって」
 ルサカの気持ちの問題だ。
 タキアが他の番人を愛する事に、耐えられるのか。
 竜が番人を操るのは、竜のためだけではない。番人のためでもあると、知れば知るほど、思い知らされる。
「うまくやれないとしたら、それはタキアが悪い。……そこも含めてうまく出来ないなら、番人を増やしてはだめだ」
 恐らく、カインやアベルは操られた事がないのはないだろうか。
 彼らはエルーと恋に落ちて、番人になった。
 兄弟で同じ女性を愛したのだ、色々な葛藤があったはずだ。
 彼らはそれを乗り越えて、今がある。
「あ」
 エルーが唐突に声をあげた。
「ねえ。……リーンがヴァンダイク卿を竜騎士に迎えたいとか言ってたの、ルサカは知ってるの?」
 エルーも知っていて、気になっているのか。
 ルサカもまだつい先日聞いたばかりだ。そっちも心の整理がついていない。
「この間、ライアネル様とリーンさんが来た時に聞きました」
「ルサカが心配で守りたいなら、タキアの竜騎士になったらいいのに。リーンはヴァンダイク卿に惚れ込んじゃってるけど」
「魔眼の騎士なんて、竜騎士になったら最高峰の強さじゃないか。……リーンでなくとも竜はみんな欲しがるんじゃないのか。国同士や竜同士の争いでも、魔眼の竜騎士持ちの竜が圧勝するからな」
 魔法騎士のレオーネですら、魔眼の騎士には勝てないだろう、というのは聞かされていた。
 全ての魔法が効かないのだ。
 魔法騎士のような攻撃力も防御力も魔力依存型の場合、相手が魔眼持ちの竜騎士なら、強靭さと剣技だけの勝負になる。圧倒的に不利だ。
「……ルサカにとってヴァンダイク卿は父や兄のようなものなんだろう? ……それは人のモラル的には厳しいんじゃないのか」
 ライアネルと暮らせるかもしれない、というのは確かに魅力的だ。
 けれどここには大きな問題がある。
 竜と竜騎士は全てを共有する。
 喜びも、苦痛も、財産も、番人も、全てを共有する。
「……? 別にいいんじゃないの? 血の繋がりはないんでしょう」
 エルーは不思議そうに首を傾げる。
 さすがゆるゆるモラルの竜だ。そんな微妙な関係は全く問題ではないらしい。
 ライアネルをタキアが竜騎士に迎えるならば、タキアの番人であるルサカは、タキアに奉仕するように、ライアネルにも奉仕しなければならない。
 この場合の奉仕、は家事労働だけではない。
 肉体的な奉仕も含む。
 ライアネルやルサカに、それが出来るかといえば、恐らくはどちらも出来ないだろう。
「それを無しにしたところで、ヴァンダイク卿と同じ巣に暮らして、タキアと繁殖期を過ごすのはルサカのモラルでは耐えられないんじゃないか」
 カインの言う通りだ。それだけはライアネルに見られたくない。
 竜のしるしをつけられた経緯を全て知られているが、だからといって見られて平気なわけではない。
「人間て面倒くさいのね。どうせ交尾なんて、誰でもしている事なのに」
 さすがの竜のゆるゆるモラルだ。
 エルーはそんな大した事でもないのに何が問題だというの? 全く理解出来ない、という顔をしている。
「……そもそも、ヴァンダイク卿に、竜騎士になる意志があるのかないのか。竜騎士になるという強い意志がなければ、人の世への未練は断ち難いものだ」
 カインはぽつり、と呟く。
 彼らはエルーと生きていくために、人の世を捨てた。
 その結論に至るまで、容易かったはずがない。
 余りにも考える事が多過ぎる。
 ルサカは痛み始めたこめかみを指先で軽く押さえて、小さなため息をついた。



 今日で十日目だった。
 一週間から十日で帰ってくる、とタキアは言っていたけれど、夕方になっても帰って来なかった。
 ルサカは厨房のテーブルに『番人の為の竜言語入門』を広げたまま、ぼんやりと頬杖をついて考え込む。
 ヨルは気が済んだのか、いつの間にかまた元通りの子犬の姿になって、ルサカの足元で丸くなっている。
 結局リーンは最初の日だけで、あとはエルーとカイン、アベルの兄弟騎士が泊まっていったり遊んで行ったりで、リーンにその後の話を聞く事もなかった。
 滞在している間にカインに竜言語を教えてもらって、かなりの成果は上げたものの、ルサカの気持ちは沈んだままだった。

 考える事が多過ぎる。
 しかもどれも考えても結論が出ないものばかりだった。

 タキアの顔を見れば、少しは気が晴れるかな、と考えながら、厨房のテーブルに置いておいた、ライアネルが持ってきた薄荷の鉢植えを眺める。
 この薄荷の鉢植えは、ルサカがライアネルの屋敷で攫われる前に、古城の巣に植えるつもりで株分けして鉢に植えておいたものだった。
 屋敷のルサカの部屋に置き去りにされているのを、ライアネルが気付いて持ってきてくれた。
 もう少し暖かくなったら植え替えよう、と思いながら、薄荷の葉っぱを指先で摘む。
 タキアは今日は帰って来れないのかもしれない、とルサカが思い始めた時、足元のヨルが跳ね起きて、駆け出した。
 タキアが帰ってきたのだろう、ルサカもヨルの後を追って、古城の巣の天辺から通じる階段に向かう。
「ルサカ、ただいま!」
 駆け寄ったルサカを抱きとめて、タキアは頬に口付ける。
「おかえり、タキア! ……お腹すいてない? 林檎のケーキを作ったんだけど……」
「あ。ちょっと待って」
 タキアは階段を振り返り、声をかける。
「……ちょっと急な階段だから、気をつけて」
 タキアの背後から、人影が現れる。
 差し伸べられたタキアの手を取って階段から下りてくるその人影を、ルサカは呆然と見上げる。
 長い黒髪に、青い瞳の。
 見たこともない異国の衣装を着た、切れ長の目をした美しい少年だった。
「……こっちはルサカ、僕の番人だよ。……ルサカ、この子はレシレシェン。愛称はレシェだって」
 タキアはそのレシェの手をとり、無邪気に笑う。
 考えもしていなかった予想外のお土産に、ルサカは呆然と立ち竦むだけだった。



2016/03/02 up

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