竜の棲み処

#46 後悔しかない

 フィノイ・シトラスは本当に効果があったようだ。
 朝昼晩、三食に必ず一個、この大きな実を食べているが、食べはじめて三日目くらいから、おかしな衝動はなくなった。
 この大きな実は少しほろ苦く、甘酸っぱい実で、黄色の分厚い皮はとてもいい香りがした。
 せっかくタキアが取ってきてくれたし、無駄にしたくない。
 この皮を刻んで茹で溢して、砂糖をまぶしてピールを作ってみたが、これがなかなかおいしかった。
「……この皮にも効果あるのかな。あるなら、ピールをたくさん作っておいて保存しておきたいな」
 ルサカは瓶に詰めながら、タキアの口にもピールを運ぶ。
「ほんとだ、ほろ苦くておいしい。……どうだろう、珊瑚さんからはこの実がいい、としか聞かなかったなあ」
「効いたらいいなあ。……フィノイ・シトラスがとれない時期でも、滋養飴の副作用に困らなくなるし……。ジャムとかでも効くかな」
「えっ。……飲むの止めないの?」
 少し驚いた。
 あんなに泣いていたから、もう嫌だと言うだろうとタキアは思っていた。
「……なかったら……困るじゃないか。……だって、その……うん……」
 口籠もりながら少し恥ずかしそうに目を反らす。
 タキアはこのルサカの態度が最初の頃理解できず、ルサカが怒っているのだとばかり思っていたが、慣れてくると、このルサカの恥ずかしそうな照れくさそうな顔が、とても可愛く愛しく思えようになっていた。今ではこの表情を時々は見たい、と思うくらいだった。
 ルサカは気恥ずかしいのをごまかすように慌てて続ける。
「番人の大事な仕事だし。ぼくしかタキアの番人はいないんだから」
 この素直じゃないところがいい、と最近タキアも分かってきた。
 なんだかルサカが特に可愛い、と思えるのは、こんな風に素直になりたいのになれない、という素振りを見せた時だと理解しはじめた。
 たまに素直、時々強がり。これがタキアにとって、なんだかとても可愛い。
「……僕もルサカとたくさんしたいから、そういってもらえると嬉しい」
 ルサカが羞恥を覚えるような言葉を選んで言うのも覚えた。
「……改めて言わなくていいよ! そういうのは言わないでいいんだよ!」
 顔を真っ赤にしながら乱暴に瓶を片付けようとしたルサカの服のポケットから、不紙の切れ端が落ちた。
「……何か落としたよ」
 タキアは拾い上げてそのメモを見る。
 綺麗な文字で書かれた竜言語だった。
 珊瑚に頼むもの、辞書、瓶詰め用の瓶、白砂糖……そんな事が書かれていた。
「ルサカ、いつの間に竜の文字が書けるようになったの?!」
 そういえば、たまに部屋の隅に竜言語の本が置かれている事があった。
「割と前からだよ」
 なにげにルサカは得意げだ。
「そんなに難しいのは分からないけど、ちょっとなら本も読めるようになったよ」
 いつの間に。タキアは全く気付いていなかった。
「ルサカ、すごいね。……僕なんか、人間の言葉は面倒だからって全然勉強してなかったのに……反省するよ……」
 タキアはものすごく真剣に、ルサカが書いたメモを見つめている。
「もうちょっと読めるようになったらびっくりさせようと思ってたんだけど。……見つかっちゃった」
 何故かタキアはルサカのそのメモの匂いを軽く嗅いだり、じっと見つめたりしていた。
 軽く匂いを確かめて、それから少し考え、口を開く。
「……うん。辞書が欲しいのか。……珊瑚さんを呼ぶ予定があるから、頼んでおくよ。……春は色々物入りだから、ついでにね」
 メモをルサカに返しながら、まだタキアは何か考えているようだった。
「……僕も人の言葉を覚えようかな。ルサカがこれだけ出来るようになってるんだから、見習わないとね」
「あんなに面倒くさがってたのに。……ぼくは書庫の本を読みたいから覚えたいなって思ってたんだけど、タキアは別に必要ないんじゃ? ……何か困る?」
「……分かれば、便利ではあるかな……。ルサカが僕の言葉を覚えたなら、僕もルサカの言葉を覚えないと」
 よく分からない理屈だけれど、ルサカもなんとなくタキアの気持ちは分かった。
「巣作りで忙しいんだから、無理しないでいいんだよ。……ぼくは割と時間あるからね、そういう時に本を読むついでにやってるだけだから」
 タキアはまだ何か考えこみ、迷っているように見えた。
「……タキア、何か心配事?」
「心配事……うーん。そういう訳じゃないんだけど……。……もう一回、さっきのメモ、貸してもらえる?」
 ルサカは素直にポケットから取り出して、手渡す。
 タキアはそのメモをじっと見つめ、それから、口を開いた。
「……ルサカが書いた竜の言葉は……魔力を帯びてる」



 急にそんな事を言われても、ピンとこない。
 自分の特技なんて、家事と庭いじりくらいだとルサカは思っていた。
 およそ男らしいとはいえない特技だし、ライアネルはルサカを騎士にしようとしていたが、そっちも全くもって才能がなかった。
 こんな引き篭もり気質な上に騎士にもなれないし特技は家事全般だなんて、いっそ素直に女の子に生まれた方が生きやすかったのではないか。ルサカはいつもそう思っていた。
 そんな男としては残念な能力だったのに、今になって急に魔力があると急に言われても困る。
「……てっきりタキアは知っているとばかり思っていた」
 珍しく弟に呼び出されたリーンは、可愛い弟が何を頼む気だろうとわくわくと期待しつつどんな条件を出してからかおう、と楽しみにして古城の巣にやって来たのに、存外拍子抜けな話で露骨にがっかりしていた。
「兄さんは知ってたの?」
 知らなかったのは自分だけかとタキアもショックを隠せない。
「エルーも知ってるよ。ルサカに竜言語を教えてたのは俺とエルーの兄弟騎士だからな」
 本当の本当に、タキアだけが知らなかったこの事実に、ますますタキアはショックを受ける。
「……本人のぼくも知らなかった。タキアに秘密にするつもりはなかったんだ。……ごめん。竜の言葉を使えるようになって、驚かそうと思ってて、それで黙ってた……」
 ルサカも申し訳ない気持ちになっていた。
 ほんの悪戯心というか、タキアをびっくりさせたい、という気持ちだけで、隠すつもりはなかった。
「珍しいよな。人で竜の魔力を持ってるのって。もしかしたら、ルサカの遠い祖先に竜がいたのかもな。……人の魔力とは種類が違うから、人の世で生きていたら一生気付かなかっただろうなあ」
 リーンの大きな手が、ぐりぐりとルサカの頭を撫でる。
「兄さんも姉さんも、黙ってるなんて、ひどい……」
 タキアが涙目なのは気のせいか。ルサカも心底申し訳ない気持ちになっていた。
 ほんのちょっとした悪戯心だっただけなのに、こんな大事になるなんて思っていなかった。
「気付いて後悔してるかと思ってたから、改めて言われるのも嫌なんじゃないかと思ってたんだよな。俺もエルーも」
「……後悔?」
 思わずルサカは口を出してしまった。
 後悔するような事になっているという、その意味がわからない。
 言ってしまってから、リーンも、しまった、という顔を露骨にしている。
「……いやなんでもない」
 慌てて口を噤むが、タキアは今のリーンの失言で気付いてしまった。
「……後悔するよ。いつだって後悔してる。……ルサカに竜のしるしをつけるのが早すぎたなんて、分かってる。いつも思ってるし、後悔してるよ……」
 竜のしるしと魔力と一体何の関係があるのか、ルサカはさっぱり話が分からない。
 タキアにルサカを育てずにすぐに番人にしてしまった後悔があるのは、交尾に耐えられない現状でよく分かっていたが、更に魔力がどうのでまだ後悔する要素があるというのか。
 当事者なのにルサカにはさっぱり話が分からない。
 何か言わなければ、と思うものの、何を言えばいいのか。そもそもこの話の問題点がまるで分からない。分かっているのはこの竜二頭だけだ。
「……今からだってうまく教えられるなら、そこそこの魔術師になれるから、そんなにタキアも落ち込むな。……魔力不足は否めないが、番人の体力ならそれなりに出来るんじゃないかな」
 多分これはリーンのフォローだ。
 うまく弟を励まそうとしているのはルサカにも分かったが、ますますタキアは落ち込んでいるように見える。
「……どの道、俺たちではルサカに教えられるか分からないが。……人が竜の魔法を使うなんて、滅多にない。人は人の魔法を使うものだ。……うまく教えられる自信はないよな」
 何かルサカが魔法を使えるようにしよう、という話になってきたのはルサカも理解した。
 そういえば巣の防衛の問題があったし、他に番人を置かないなら、ルサカも何か身を守る、巣を守る術を身に付けるべきだとも思っていた。
 魔力があって練習次第で多少魔法が使えるというなら、タキアの役に立てるのではないか。
「番人の仕事は巣の防衛もあるんでしょ。……もしぼくに魔力があるというなら、そういう防衛にも使えるような魔法を使う事が出来るようになれるの? ……努力が必要だっていうなら、ぼくは努力する」
 リーンは暫くルサカを見つめて、小さく唸る。
「……正直、魔術師としては魔力不足すぎて最弱のレベルかもしれない。……それでも全然使えないよりはマシじゃないかな、くらいだな」
「なんて事だ、そんな弱いのかぼく」
 思わず声に出して落胆してしまう。
 タキアの役に立てるなら立ちたかった。それなのにがっかりすぎる。
「……魔力も成長するんだよ。番人になってしまったら、それ以上成長しない。……ごく稀に子供の頃から高い魔力を持つ竜や人もいるが、大抵は成長期を終えた辺りまで魔力は未熟なままだ。……器が小さければ溢れてしまう。だから成長期が終わり器が育ちきったら、魔力もその器に見合った量まで成長するのさ」
 やっと話がルサカにも分かった。
 タキアがルサカに竜のしるしをつけ、番人にしてしまったせいで、ルサカという器がそこで成長を終えてしまった。
 その器に入るはずの魔力も、その成長の終わりを受けて、失われたという事か。
「……ルサカの身体も魔力もうまく育てれば、ルサカが魔法騎士になれた可能性もあったんだよ……。竜の魔法を使える騎士なら、どんなに弱くてもそこそこの魔法騎士になれた」
 押し黙っていたタキアが、重い口を開く。
 後悔しかない、というのがリーンにもルサカにも伝わる。それが苦しいくらいに伝わっていた。
「……ライアネル様がぼくを騎士にしようと頑張っていたけれど、全く才能なかったよ。ぼくにやる気もなかったけど。……だからそれはないんじゃないかな」
 これはタキアを励ますつもりではなく、純粋にそう思っていた。
 ルサカは華奢な骨格で、身体的にも能力的にも、騎士に向いていなかった。騎士になるには体格に恵まれなかった。それはライアネルにも言われていた事だった。
「……ルサカ、バーテルス卿を覚えているかい。黒い森の竜騎士の」
 タキアにふいにその名前を出される。
 忘れるはずがない。薄氷の屋敷の主レオーネ。ルサカにとっては絶対に忘れられない恩人だ。
「バーテルス卿も、あの細身の身体であんな大剣を振り回せていただろう。……魔法騎士は、魔力で身体能力を補う。だから華奢なルサカでも、竜の魔法で補えたら、そこそこの……育て方次第ではかなりの強さの魔法騎士になれたかもしれない」
 ルサカは黙ってタキアの話を聞いている。
「……本当に、後悔しかない。……ルサカが交尾に耐えられないのも、ルサカの可能性を台無しにしたのも、全部僕の浅慮のせいだ。……ルサカの未来を潰してしまった」
 そこまで大人しくルサカは話を聞いていた。
 聞いていたが、内心はものすごく、腹を立てていた。
「……タキアはぼくと交尾した事を、とても後悔している、と言っているわけか」
 そういえばリーンがいた。
 リーンの目の前で交尾がどうのとか、普段のルサカだったら絶対に言えなかった。
 今のルサカはそんな些細な事、全く気にならない。むしろ今言わなくていつ言うんだ、というくらい、腹を立てていた。
「あの初めての時、無理矢理交尾したんじゃないか。ぼくもあの時はものすごくショックだった。そもそもぼくの未来を潰した、というなら、あの時から潰してるんだよ。番人になってしまったあの時にぼくはもう、ライアネル様と生きて行く事が出来なくなった。それを後悔してる、とか言われたら、ぼくはどうしたらいいんだ。なかった事にしたいと思われてるなら、今のぼくの存在を否定してる事じゃないのか」
 リーンもタキアも呆然と、静かに怒り狂うルサカを見つめていた。
 ルサカももう何を言っているのか分からないくらいに、憤っていたし混乱もしていた。
 とにかく、勝手に決め付けられる事が腹に据えかねていた。
 ルサカは意外と短気だ。それをタキアは忘れていた。
「そういう事を全て越えて、今があるんじゃないか。ぼくが魔法騎士に、竜騎士になれたかもしれないなんて、そんな事分からないだろ。すべて『かもしれない』じゃないか。……ぼくはライアネル様と生きていけない、人の人生を無くした事を後悔なんてしてない。……未練がない訳じゃないけれど、タキアと一緒に生きていく事に後悔はない。……騎士になれなかった事をそんなに後悔されるなんて、ぼくの気持ちを全く考えてないじゃないか。そもそもぼくは騎士になりたいなんて思ってなかった!」
 あまりの勢いに、リーンも口を挟めなかった。ただ呆然と成り行きを見守るしかなかった。
「今のぼくを全否定じゃないか! 騎士じゃないぼくには価値がないのか!」
「……まあ、竜騎士なら交尾し放題だよな」
 空気を読んでいないのか、唐突なリーンの発言だった。なぜリーンはそんな事を言い出したのか。
「自分の竜騎士と交尾する竜は滅多にいないが、全くいないわけじゃない。……異性の竜騎士と子供を作る竜も稀にはいるし。……竜騎士の強靭な生命力なら、たとえ繁殖期の竜と毎日交尾し続けても、衰弱なんて絶対しないからな。番人だと大人でも時々死にかけるけど」
 あれほど怒り狂いっていたルサカも、ぽかんとしていた。
 リーンは何を言いたいのか。
「……ルサカに魔力があるなら、まあ魔法騎士ほどの強化は無理だが、鍛え方次第では、その交尾に耐えられない身体を補強できるんじゃないのか? ……たいした魔力はないけれど、巣を守るちょっとした魔法と、身体を強化する魔法くらいなら、なんとかなるんじゃないかと思うんだが」
 話が色々吹っ飛びすぎていてルサカもタキアも考えが追いつかないが、これは理解した。
 実は魔力があるって、ものすごくいい事なのではないか?


2016/03/29 up

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