竜の棲み処 異聞録

#07 竜もたまにはデートする 中編

 グラスノール海は、ルトリッツ騎士団国のある大陸の南西にある。
 クアスが言っていた無人島は、そのグラスノール海の真ん中辺りに位置し、確かに陸から離れていた。
 これなら確かに人間の航路からは遠く離れている。
 ルトリッツからは休憩を挟みつつ、『景色を楽しめる』くらいの速さで飛んでも、一日はかからなかった。
 早朝に出発して、夕暮れにはその島まで辿り着けた。
 南に位置するこの島は、熱帯まではいかない温暖で過ごしやすい気候だった。
 こんな南に来た事なんて、当然、ルサカは生まれて初めてだ。
 船旅だってした事はない。
 島は白い砂浜に縁取られて、緑に覆いつくされた、美しくのどかだった。
 その島の北東の、鬱蒼とした森の崖の下に、例の温泉があった。
 巨大な滝は湯気を立てて滝壺から淵へと流れ込んでいた。その淵の、下草に覆われた岩場にタキアは静かに降り立った。
「……すごい。本当に温泉の滝だ!」
 ルサカは伏せたタキアの背からヨルの入ったバスケットを抱えて、岩場に這い上がる。
「タキア、疲れただろ? ありがとう、ここまで連れてきてくれて」
 手早くタキアの背から鞍を外しながら、その紅い鱗に覆われた背を撫で、労る。
「温泉はいっちゃおうよ。……のんびり浸かって、疲れを癒やすといいよ」
 タキアは前足で掴んでいた荷物を置いて、ゆっくり羽をたたみながら、湯気のたつ淵へと足を踏み入れる。
 確かに広く深い淵だ。
 竜のままでも余裕で浸かれる。
 伏せれば羽の付け根まで浸かれるくらいの深さがあった。
 タキアは鼻先を柔らかな苔に覆われた岩場に乗せて、のんびりと目を閉じる。
 その鼻先にルサカは歩み寄ると、両手で抱いて口付ける。
「……湯加減は? ……熱くない? のぼせないように、ちゃんと休みながら浸かるんだよ」
 タキアはちらっと目をあけてルサカを見て、それから軽くルサカのシャツに鼻先を擦り付ける。
「……一緒に入らないよ、まだ。ヨルが窮屈な思いしてただろうから、日が沈む前に一緒に散歩してくる」
 きゅう、とタキアは小さい声で鳴く。
 これは分かる。構ってよ、と言っている。
「夕飯の支度もしないとならないし。……ヨルと一緒に何か面白いものがないか、探してくるから」
 軽くそのタキアの紅く煌めく鱗に口付けて、ルサカは離れる。
 タキアは諦めたのか、それともやはり疲れていたのか、大人しく苔むした岩場に顎を乗せ、目を閉じてのんびり文字通り、羽を伸ばしていた。
「ヨル。ごめんよ、窮屈な思いさせて」
 バスケットを開けヨルを抱きあげて、下草の上に降ろす。
「一緒に散歩に行こう。ヨルがいれば安全だしね。……タキア、ちょっといってくるよ」
 正直、鞍の上に座りっぱなしは腰が痛いし、なんだか身体中凝っているし、歩いて身体をほぐしたかった。
 ヨルがいれば方向も迷わないだろうし、何か危険な生き物がいても、ヨルとふたりなら、ルサカの少し頼りない魔力でもなんとかなりそうだ。
 温泉の滝壺から浜辺を目指して森を抜けるのに、道には困らなかった。
 人は来なくとも、竜とその番人が訪れる事があるのかもしれない。森の中には踏み均された小道が幾つかあった。
 クアスがこの島の温泉を利用しているなら、クアスの知り合いや身内の竜も使っているだろう。この島に微妙に手が入っているのはそういう事だ。
 森の中には、見たこともない実や花をつける茂みや、やはり見たことのない、変わった形の柑橘類のような実のなる木もある。
 ルサカは赤味がかった、大きな柑橘類の実をひとつ、もぎとる。
「ヨル。これ食べても大丈夫だと思う?」
 ヨルの鼻先に近付けると、ヨルは軽く匂いを嗅ぐ。嗅いで、その実に噛み付く。
 実を咥えたまま、ヨルは意気揚々と道案内をするように、ルサカの前を歩きだす。
「おいしかったのかな。……大丈夫そうなら、帰り道に何個かもいでいこう」
 久し振りの、自然と大地だ。
 もうずっと、こんな自然の、土と風と緑に触れる事なんてなかった。
 古城の巣の中庭とは、全く違う。
 こんなのんびりと風に吹かれながら散歩する事なんて、もう二度とない、とルサカは思っていた。
 タキアはそのルサカの気持ちを知っていたのかもしれない。
 クアスからこの島の事を聞き出したのも、タキア本人の為じゃない、ルサカの為だ。
 森の中を暫く歩くと、木立の向こうに白い砂浜が見える。
 ヨルはさっきの大きな蜜柑のような果実を咥えたまま、砂浜に駆け出す。
 浜辺には流木が流れ着いていたが、一部、森の側にその流木が積まれている。
 恐らく、焚き火に使う為に誰かがここに積み上げて乾燥させているのだろう。近くには、焚き火の跡も残されていた。
「……ヨル、他の竜の匂いがしないかい?」
 ヨルはその焚き火の跡に歩み寄り、ルサカを振り返って、真っ黒な尻尾を振る。
 匂いが残されるくらいには、頻繁に竜とその番人が訪れているのだろう。
 そのうち、クアスや知らない竜に遭遇するかもしれない。
 ちょっと楽しみなのもあるし、またクアスの時のように、ややこしい事にならないといいけれど、ともルサカはほんの少しの心配する。
 ヨルは走り回って満足したのか、浜辺の倒木の側に座り込んで、さっきの蜜柑のような実を齧り始めた。
 そのヨルのそばの倒木に腰掛けて、ルサカは水平線に沈む夕日を眺める。



 さっきの赤味がかった変わった形の蜜柑のような実を幾つかもいで、ルサカはまた、滝壺の温泉に戻ってきた。
 タキアはルサカが戻ってきたのに気付いたのか、目を開けて、きゅう、と鳴いてルサカを呼ぶ。
「……ヨルも温泉に浸かっておいで。気持ちいいよ」
 言ってから、ヨルは水場が嫌いだった事を思い出す。思えば古城の巣の風呂場にも、よほどの事がなければ近寄らなかった。
 そういえばさっき浜辺を歩いた時も、波打ち際には絶対に近寄らなかった。
「……タキア、お土産。ヨルが食べられるって教えてくれたよ」
 苔の岩場にくったりとタキアは顎を乗せている。
 そのタキアの鼻先に、例の実をひとつ、乗せる。
「竜のままだと小さすぎて味がわかんないかもね。……ヨルはおいしそうに食べてたけど、どうかなあ。酸っぱいかな」
 ルサカはベルトから下げていた革のポーチからナイフを取り出して、器用に皮を剥く。表皮と同じように赤味を帯びた果肉はとても瑞々しく、綺麗だった。
 房をもぎ取って、口に運ぶ。
「……うん、ちょっと酸っぱいけどおいしい。……タキアも食べる? こんなの一口どころじゃないとは思うけど」
 笑いながら幾つかの房をもいでタキアの鼻先に差し出すと、ぺろっ、とその蜜柑の房を持つルサカの手ごと、舐められた。
「タキア、あんまり舐めるとまた……」
 いつだったか、舐められすぎてベタベタにされた事があった。
 いや、そんな可愛いレベルの舐め方ではなかった。思い出すと顔が赤くなるくらい、あれは愛撫だった。
 タキアは素早く両の前足で逃げられないようにルサカを囲い込む。
「ちょっと……夕飯の支度が」
 夕食だけじゃない、今夜の寝床の用意すらまだだ。
 タキアの前足に両手をかけて見上げると、頬をまた舌先で舐められる。
 早く脱がないと、また前みたいにびしゃびしゃになるまで舐めるよ。
 多分タキアはそう言っている。
 軽くタキアの前足を叩くと、ルサカは諦めてシャツのボタンに手をかけた。



 ほんのり白っぽく濁った温泉は、少しぬるめだった。
 それくらいのほうが、長く浸かっていられて体には良さそうだ。
 タキアが入れるくらいの淵だと、とても深い。ルサカは完全に足がつかない。
 ルサカはタキアの前足に座って、大人しくもたれかかって浸かっていた。
「……タキア、ちゃんと休んで身体を冷やしながら浸かってる?」
 鼻先をぺちぺち叩くと、タキアはきゅっ、と短く返事をする。
 竜が湯あたりしたりしたら大変な惨事になりそうだ。そのあたりの森の木々をなぎ倒すんじゃないだろうか。
 なめらかな苔に覆われた岩場に降ろしてもらい、ルサカは浅く浸かりながら、タキアを見上げる。
 傷はもう表面上は、あとかたもなかった。あの切り落とされそうなくらいの大怪我を負った右の上腕も、再生した仄かに煌めく紅くつややかな鱗に覆われ、綺麗に塞がっていた。
 あとは中の骨と筋肉だ。
 ルサカの視線に気付いたのか、タキアは鼻先をルサカに摺り寄せる。
「大分綺麗に治ったね。鱗も生え揃ったし、……あとは早く筋肉と骨が治るといいね」
 タキアの鼻先を抱いて、口付ける。
 人のタキアも、竜のタキアも、どちらも愛しくて切なくなるくらい、美しく、神々しく、そして可愛らしく、ルサカには思える。
 千年生きたリーンの、あの深紅の鱗の美しくも禍々しい姿は、圧倒的な威圧感と神々しさではあるが、ルサカにとってはタキアが世界で一番、強く、美しい竜だ。
 タキアはちょっぴり、竜の世界では上位の強き竜の兄にコンプレックスがある。
 リーンがルサカに近付くとやきもきせずにいられないのは、立派な巣と巨大なハーレムと、強さと賢さと美貌を持つハイクラスの強き竜が、自分よりも遥かに魅力があると分かっているからだ。
 ルサカにとっては、比べるべくもなくタキアが一番だけれど、竜のプライドは少々ややこしい。
 これからゆっくり、ふたりで成長していけばいいとルサカは思っている。
 ぼんやりと夜風に吹かれながらそんな事を考えていると、ぺろ、と再びタキアに頬を舐められた。
「……なんだよ、タキア。あんまり舐めたりするな」
 タキアは聞いちゃいなかった。そのままルサカの、温泉で温められて上気した頬、桜色になった背中にも、舌先を這わせる。
「ちょっと……も、だめだったら……!」
 ぐいぐい押し上げられて、柔らかな苔の岩場にルサカは横倒しに倒れ込む。
 こんな執拗に舐めるなんて、もうタキアの目的は、ルサカにだって分かる。
 竜のタキアとこんな事をするのは恥ずかしいが、抵抗感は特ない。ないが、この、舐められ続けるのがしんどい。
 前の時もそうだった。
 ずっと舐められていると、気が狂いそうに身体が熱くなる。
「タキア、ちょっと……なにして、あ、あっ……!」
 仰向けの胸元に容赦なく鼻先を押し付けて舐めあげるタキアの鼻先を叩いて抵抗するが、そんなもの、当たり前だが竜にとって大した抵抗ではない。
「だめだったら、ヨルがそこにいるのに、ってあれ……いない……」
 ヨルは察したのか、さっさと姿を消していた。
 ヨルは滝から少し離れた草むらで遊んでいたはずだったが、もうどこにも姿がなかった。
 なんだかんだで、ヨルの中の序列的に、主人はタキアなんだな、とルサカは思った。
 タキアがそんな事をはじめると、ヨルはいつも、いつの間にかどこかに行ってしまっていた事を思い出す。
 毎日エサをあげているのはぼくなのに! そういえばヨルはタキアの命令には絶対服従だった、とルサカも思い出す。
 タキアは器用に、ルサカの膝を割って舌先を足の間にねじ込む。おっとりのんびりしているくせに、こういう事だけは、タキアはとても器用で素早い。
 鼻先でルサカの胸元を軽く押さえつけて、割った膝の内側から、日に晒される事がない、白くなめらかな腿の内側を、舌先で辿る。
「タキア、もう……あ、あ、んんぅ……!」
 辿り着いたルサカの足の付け根から、下腹の紅い花の辺りに強く舌を擦り付けるように、舐める。
 ルサカの胸元に触れるタキアの吐息は、興奮に熱く乱れていて、余計にルサカは羞恥を感じていた。
「そんな強く、したら、あ、あ! …や、は……あうっ……!」
 そんな甘い声でルサカに懇願されたら、余計にタキアの興奮を煽る。
「タキア、いやだ、そんなされた、ら……ふあ、あっ……」
 タキアの鼻先にしがみついて、泣きそうな声で囁く。タキアの舌先に強く擦り上げられ、つつかれて、ルサカのそれはもう硬く熱くなっている。
 タキアの舌先は執拗だ。絶対にやめるつもりはない。
 融けそうに甘くなった声をあげるルサカの足を押し広げ、両足の奥の、硬く閉ざされたそこに舌を這わせ、そこから下腹の竜のしるしまで、丁寧に柔らかく、強く、舌先を擦り付ける。
「や、あ……! あっ、くぅ……!」
 ルサカはタキアの鼻先にしがみついたまま、あっけなく達した。
 舌先に散ったルサカの体液を丁寧に舐め取りながら、タキアは鼻先をルサカの頬に摺り寄せる。
 ルサカは硬く目を瞑って、乱れた息を整えようと、深く息を吸い込む。
「……も、タキア……。竜のタキアも、好きだけど……」
 頬に寄せられた鼻先を、ぺちっ、と軽く叩く。
「抱きしめられないし……交尾できないだろ……」
 真っ赤に火照った顔で、ぼそぼそと文句を言う。
 確かに、竜のままでは、大きさ的に絶対に交尾出来ない。そもそも竜のままなら、その生殖器はルサカの身体くらいはある。
 タキアはルサカの頬に鼻先を押し当てたまま、きゅっ、と短く鳴く。
「……大丈夫、怒ってないよ。……タキア、ぼくが怒りそうな事するの、大好きだよね」
 くすくす笑って鼻先にキスすると、タキアは嬉しそうに、湯に浸かっていた長く太い尾で、ぱしゃん、と水面を軽く打った。
 またすぐに、タキアの舌先が胸元に触れてくる。
 結局、タキアの好きにさせてしまうんだから、ぼくも大概だ。
 ルサカはぺちぺちとタキアの鼻先を叩きながら、再び目を閉じる。


2016/05/29 up

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