竜の棲み処 異聞録

 実は私はこの古城に来てまだ日が浅いので、分からない事が結構ある。
 最も分からないといえば同僚のほうきウサギなんだけど、多分彼らは何も考えていないというか、一般的な家畜のウサギと同じなんじゃないかと。要するにコミュニケーションとれてないです、はい。
かといって私がはみだしものなわけでなく、ほうきウサギ全員が個人プレーっていうか。集団で行動する生き物じゃないっぽいから、それでいいのねきっと。
 彼らも好きなように単独行動してるみたいなので、私もその方が楽だし、好きに過ごしてる。無難に仲間としてのお付き合いくらいはできてると思う! 前世が王女でも今生はほうきウサギなんだから、ほうきウサギらしく生きようとは心掛けてるのよ。どうやったってウサギはウサギだしね。
 ほうきウサギの生態は置いておいて、謎なのはこの赤毛で背の高いタキアと、エルフみたいに綺麗なのになんとも所帯じみたルサカの関係ですよ。
 タキアが竜なのは知ってる。何度か屋上で真っ赤で大きな竜がタキアに変身してるの見た事あるから。ルサカは竜になったところ見た事ないし、なる気配もないから、多分人間。
 竜が想像上の生き物でなかったのが、衝撃ではあった。こんなの眉唾だと思ってたわ。しかもイケメンの人間になったりするなんて知らなかったわよ。
 多分この古城はタキアのものなの。で、タキアは毎日どこかに出掛けてるみたいで、ルサカは一日中、庭仕事から簡単な大工仕事、家事全般をやって、女中や庭師のような事してる。
 まあ私ほうきウサギなので、毎日この広ーい古城の中を移動して、ごはんでありかつ仕事でもある埃や蜘蛛の巣や虫を探す生活をしてて、だからルサカもタキアもずーっと見てるわけじゃないのね。
 行く先々で会ったらって感じかな。まだここに来て日が浅いから、そんなに色々把握してるわけじゃあないのよね。
 タキアはこの古城の持ち主で、ルサカは雇われてる使用人かと最初思ったんだけど、どうもやりとりを見てると、そういう上下関係はないみたい。タキアはルサカの事が大好きなんだろうなーっていうのは伝わるんだけど、友達同士だとしたら、なんだか親密すぎるような気もするのよねえ。
 謎だわ。私を撫でながらルサカと話し込むタキアを見上げつつ、ふたりをじーっと観察する。
 きっとこのふたりも、私にどんな関係なのよって思われてるなんて、微塵も考えてないだろうなあ。可愛いウサギちゃんだし、私。
 タキアは適当に私を撫で、それからさっさと床に放り出して、ルサカを連れて厨房から出て行っちゃった。ルサカは私をたくさん撫でて可愛がってくれるけど、タキアはそれほどほうきウサギには興味がないみたい。ヨルとはよく遊んでて、だからヨルはタキアが大好きみたい。動物が嫌いなわけじゃないんだろうけど、他のほうきウサギたちが素っ気ないからかな。というかヨルみたいにリアクションないもんね、ほうきウサギって。しつこくされるの嫌いな生き物で、私くらいだし、構われて喜んでるのって。
 ヨルの顔を立てて、ちゃーんと厨房の中をお掃除という名のお食事して、私は再び、ひなたぼっこに最適な場所を求めて歩き始めた。



 お日様が出てる間は、芝生代わりのシロツメクサが敷き詰められた庭はぽかぽか暖かくて最高だったけど、日が翳ってきたらなんだか肌寒いわ……。
 べたーっとシロツメクサの寝床に伸びて、めんどくさいなあって思いながらだらだらしてみる。ルサカが気付いて抱っこしてお部屋に連れてってくれないかなー。なんて、ものぐさにもほどがあるわね。
 王女時代のギスギス生活の反動か、もう今のこの怠惰で本能のままの生活が気に入っちゃって気に入っちゃって。堕落の一途を辿ってますよ。
 いい加減冷えてきたので、諦めて自力でお部屋に戻って、暖かくて居心地のいい場所を探そう。やっと起き上がってお部屋に戻ろうとしたら、さっき出てきたお部屋の掃き出し窓が閉まってる……。
 えー。外にいるの気付かれなくて閉め出されちゃったのかしら。困ったわ。まあこんな立派な毛皮があるから、外で寝ても死にはしないだろうけど、寒いもの。お部屋に入りたい。
 どこか空いてる窓はないか、ウロウロポーチを歩き回って、やっと灯りのついているお部屋を見つけた。タキアかルサカがいれば開けてもらえるから、ぷーぷー鳴いてみようっと。……そういえばヨルは開けられるのかしら。さすがに無理かしら。
 灯りの零れ落ちる掃き出し窓に寄って、できるだけ可愛く甘えて鳴いてみる。そう、ペットたるもの媚びが大事なんですよ。私も王女の頃飼ってた子犬に甘えられると、ついつい余計におやつ上げちゃってたわ……。生まれ変われるなら愛されるペットになりたいって思ってた私、そこはしっかり戦略を立てますよ。
 窓の向こうで、かさこそと、衣擦れのような物音がした。
「……ああ、ふさこちゃん。庭にいたんだね。閉め出しちゃった、ごめんね」
 ルサカの声だ。真っ白な裸足が硝子ごしに目の前にある。美少年はつま先まで美少年なんだね……。足の爪の形までいちいち綺麗だとか、笑っちゃうじゃない。嘘です、天然物の美形の威力にひれ伏してます。
 はー。綺麗な足だなあ。さすが少年、すね毛なんかない。さすが美少年、すらっとした足なのにメリハリがあって、なんだか妙にセクシーだわ……。
 感心しながら私を見下ろすルサカをつま先から見上げて、気付く。
 シャツ一枚、羽織っただけの姿だった。だから足が裸足だったんだ。
「寒かったよね、ごめんね」
 窓を開けて両手で抱き上げて、お部屋に入れてくれたけれど、なんだろう、この気怠げな雰囲気。そしてなんとも色っぽいこのルサカの息づかい。まだ宵の口ですよ。なんでルサカは裸にシャツ一枚羽織っただけなんだろう。いや待って。待って。
 なんだか心臓がものすごく、ばくばく言ってる。
 ルサカの胸元から、むせかえるような甘い香りがする。ああ、この匂い、どこかで嗅いだ事があるわ。
 この官能的な、エキゾチックな甘い香り。一度嗅いだら忘れられない、印象的な匂いだったから、覚えてる。
『……これは殿方を誘う香りと呼ばれているのですよ。甘く誘い、惑わすと言われています』
 あの商人はそう言っていたわ。異国の商人だった。
 遠い遠い砂漠の国に咲く、沙棗花の香水だと言っていた。沙棗花は夜になると甘く香る花だと。
 抱き上げられて目の前にある、白いシャツの胸元から覗く素肌には、紅い痕が幾つも散っていた。
 ルサカは私の視線も特に気にせず、そのまま真っ直ぐ廊下へ続くドアを開けて、私を床に下ろした。
「……ルサカ、どこに行くの」
 タキアの声だ。そうだ、ここはタキアのお部屋だもの。
「どこにも行かないよ。ふさこちゃんが庭に閉め出されてたから、入れてあげただけだよ」
 私の鼻先で、ぱたん、とドアが閉まった。その閉ざされたドアの前で、呆然と考える。
 仲良すぎるとは思ってたのよ。なんだかものすごく、親密な雰囲気だなあと。
 廊下の向こうから、ヨルが軽快な足取りで近寄ってきた。ああこれは私を探してくれてたのね……。本当にヨルは面倒見がいいね……。
 またヨルに、首の周りのふさっとしたところを咥えられて運ばれながら、私はやっと納得がいって、スッキリしていた。
 タキアはこの古城の主で、ルサカは、タキアの恋人なんだ。ようするに、奥さんみたいなものか。ルサカはどうみてもまだ十代前半くらいなんだけど、そうか……。おさなづまってやつか。



 そういえば、房中術の先生が言ってたわ。
 もしかしたら一番の敵は、女ではなく男かもしれないって。
 廊下の片隅で、皆さんにお見せできないような物をもしゃもしゃ食べながら、思い出していた。
 房中術っていうのは、遠いよその国から入ってきたものなんだけど、いわゆる閨での性のテクニックと医学についての勉強で、他国に嫁いで身体でたらし込んだり寝首かいたりするのに大事なテクニックなので、我が国では王子王女全員が学ぶ学問だったの。
 本当、大変なんですよ王族って。享楽的に生きてるようで、こんな事まで勉強して他国を蹴落とすのに必死なんですよ。意外と努力してるんですよ。
 皆さんにお見せできない、足がいっぱいあるような黒い何かを囓りつつ、先生の言っていた事を思い返す。
『美しい女というのは世の中にたくさんいます。特に王宮ではありふれていると言ってもいいでしょう。超大国の皇帝は世界中の美姫を後宮に集めるというくらいですからね。……だが、美少年はどうでしょうか。彼らは非常に希少性が高い。美女ほどちまたに溢れていません。その上、皇帝や王と同じ男です。どこをどうされたらいいのか、それすら熟知しています。男の気持ちもよく分かっている。これがライバルだった場合、まず勝ち目がないと言っても過言ではありません』
 すっごくよく分かったわ。
 あのルサカを見たら、ものすごく納得ですよ。
 あんな甘い香りをさせながら、あの綺麗な中性的な足で、竜を惑わすわけですね……。いや私だって惑わされるよあんなの。
 中身が所帯臭いって分かってても、あのどうみても事後のルサカは、愛らしくも淫靡で妖しい美しさだったわ。少年でありながらあの妖しいお色気ですよ。認めるわ。あんなの女に真似できるわけないじゃない。美少年特有のキラースキルじゃない。
 あれはなんて表現したらいいのかしらね……。
 皆さんにお見せできない以下略を食べ終わって、口の周りをちょいちょいお掃除する。蜘蛛が甘ーいデザート感覚なら、これはガッツリ肉系の味わいね。うん。最近慣れてきちゃって、心の拒絶感もはいはい葛藤葛藤って感じになってきちゃったわねえ。慣れって怖い。
 そういう淫靡でセクシーな雰囲気を美女が出してても、うん、そうだよね寵姫だしねって感じだけど、少年が醸し出していると、なんとも不道徳なような、なんとも背徳的なような、なんともあやういような、そんな複雑な気持ちになるんだけど、これがいいんだろうなあ、きっと。
 朝のお食事を終えて、お散歩しつつ、また屋上で日向ぼっこしようと、屋上に行く階段へ来たら、ちょうどルサカがタキアをお見送りしてるところだった。
「気をつけてね。今日のお茶は、タキアの好きな苺のムースにするよ」
「……ルサカが可愛いから出掛けたくなくなった」
「何言ってるんだよ、さっさと行って来い!」
 どうみても新婚さんみたいです、ありがとうございました。
 いちゃつくふたりを足下から見上げて、早くどいてくれないかなー屋上に行けないよーなんて思ってた。
「だってそんな可愛い顔されたら、ずっと一緒にいたい!」
「意味分からないよ、毎日一緒にいるじゃないか。いいから行っておいでよ。今日はカインさんに呼ばれてるんでしょ。約束守らないでどうするの」
 わがままを聞いてもらえないタキアは焦れたのか、ルサカの腰を掴んで抱き寄せてキスしようとしてるけど、ルサカが両手を突っ張って抵抗してる。
「ダメだってば! 約束破るのとか、ぼくは嫌いなんだよ!」
「ルサカだってよく約束破るじゃないか! あの時のメイドさんのエプロンドレスだって」
「またその話か! 根に持ちすぎだろタキア!」
 まだかなー早く日向ぼっこしたいなー、って思ってぼんやりしてた。はっと気付いたら、目の前に革のブーツの足が、って。
 すぱーん! と蹴り飛ばされて、私は階段を転がり落ちた。
「あああ! ほうきウサギ、気付かなかった! 蹴飛ばしちゃったよ!」
「ふさこちゃん! ふさこちゃん、大丈夫!?」
 駆け下りてきたルサカに抱き上げられたところまでは、覚えていた。ぽーんと蹴り飛ばされた私は、簡単に石の廊下に落ちて転がった。
 痛い! 主に頭が痛いけど、全身くまなく痛い!!
「……ふさこちゃん! ふさこちゃん!」
 ルサカに激しく揺さぶられて、ちょっと待って、そんな揺さぶられたら、打った頭が……。
 意識があったのは、そこまでだった。



「……一命は取り留めましたよ。なかなか王女はしぶといですね」
 なんかひどい言われようだけど、一応は心配してくれてたようだ。
「あの、侍女はどうなったの?」
 絹のベッドの上からそう声をかけると、侍従のイアンはゆっくり頷いた。
「地下牢に繋いであるそうですよ。王は打ち首にするって息巻いていますが、あの侍女も気の毒ですね。……母一人子一人なのに、母親を人質に取られては」
「ずっと一緒にいてくれたし、あの子も好きであんな事したわけじゃないから、私からお父様にお願いしようかな。母子揃って国外追放くらいにしてもらえないかって。……こうして私も死んでいないし、それくらいにしてもらえないかな」
 あの子のおかげでいい夢見させてもらったしね。竜の美青年と謎めく美少年の新婚生活をのぞき見しつつ、気楽なペットライフってなかなか面白かったもの。
 できればもうちょっと踏み込んだところを見てみたかったなー。うん。なかなか見られるものじゃないじゃない?
 イアンは少し驚いたような顔をしていた。
「死の淵をさまよったせいですかね。王女はずいぶん変わりました。以前はクソわがままで生意気だったのに、なんだか丸くなったし、侍女のそんな身上も心配なさるとは」
 相変わらずこいつは私に辛辣な口を聞くなあ。こいつも昔から私の側仕えにいるけど、敬意がないのかというくらいに率直に物を言うのよねー。
「そういえば、王女のお友達の、なんでしたっけ。マルマル様でしたっけ。女性ながら動物の研究者として名をはせてらっしゃる方」
「マールね。あっちこっち外国を飛び回ってたけど、帰ってきたの?」
「そうでした、マール様でした。ええ、ルトリッツ騎士団国に竜が棲み着いたので、三年ほど竜の生態の現地調査をしたそうで、この度王女が危篤になったので、看取るために帰ってきたそうです」
 こいつも大概だけど、マールも大概だわ。死ぬのかしょうがないな、くらいに思ってたんだろうなあ。ホントに研究以外興味ないもんねあの子。
「面白い竜の話をたくさん仕入れたので、王女にお見舞いがてらに報告に来たいと仰ってましたよ。具合が良さそうなら、マール様に連絡しましょうか」
「そうねー。竜かあ、竜の話、聞いてみたいな。……死にかけてる時、竜の巣の夢見てたのよね。竜と美少年と、ピンクのウサギと、真っ黒い犬の夢」
「竜と美少年……そういえば最近、あの騎士と見習い少年騎士がお気に入りでしたね、王女……」
 なんでイアン、そんな目で見てるのよ。何よー。綺麗な物見て和みたいだけなのにー。
「王女様、イアン様。ご婚約者様から、お見舞いの品が届いてますよ~! ほら、こんな立派で豪華な壺と、こんなたくさんのお花!」
 侍女が大きい壺にみっしり生けられた花を持って、うきうきと歩み寄ってきた。
 あー。なんかすごく嫌な予感がする。すごく。
「すごいですね、こんな豪華なお見舞いのお花。見た事もない珍しいお花ですよ!」
「ああ、そんなはしゃいでると手を滑らせますよ」
「こんな素敵なお花、女性ならみんな喜んで、あっ」
 イアンが壺を受け取ろうと両手を差し出したけど、遅かった。侍女は分かりやすくツルリ、と手を滑らせた。
 あー、今度は壺かあ。夢の中ではタキアのブーツだったなー、なんて、そんな事を頭の上に降ってくる壺と花を見ながら、考えていた。



「……ふさこちゃん! よかった、目が覚めた……。もう目を覚まさないんじゃないかって、心配してたんだよ」
 ルサカの涙声を聞きながら、目を開けて見上げる。
 あー。ねえ、もしかして、ものすごくややこしい事になってるんじゃ?
 私、死んでほうきウサギになったって思ってたんだけど、で、それは夢だったんじゃないかって思ってたんだけど、もしかして、違うんじゃないかなこれ。
 もっとややこしい事になってるんじゃないかな……?
「ふさこちゃん、ごめん。あんなところにいるって気付かなくて、思い切り蹴り落としちゃって。……生きててくれてよかった……」
 タキアに打った頭をなでなでされてるけど、そんな事気にしてる場合じゃなかった。
 王女の私は多分生きてる。ほうきウサギの私も生きてる。
 ややこしいけど、でも、正直面白い事になってるよね、これ……。
 ルサカに抱っこされながら、ふたりを見上げる。
 いっちばん困る事は、こんな二重生活してたら、いつか王女の私も虫を食べちゃいそうな事だわ。



2018/02/17 up

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