竜の棲み処 君が僕の永遠(とわ)なる希望

#05 ユーニの友達

 クアスは朝から居間の窓際の椅子に座って、真剣に何かの冊子を読み耽っていた。
 そのクアスの邪魔になってはいけない。ユーニはできるだけ物音を立てないよう気をつけながら、ほうきウサギを連れて館のあちこちを掃除をしていた。
 ちょうど厨房隣の保存庫の掃除していた時にクアスがひょこりと現れ、三人分のお茶の用意を頼まれる。いつの間にか山吹が来ていたが、ユーニは掃除に熱中していて全く気付いていなかった。
 言いつけられた通り、三人分のお茶とお菓子の用意をして居間に入ると、クアスと山吹はカタログをたくさん広げて話し込んでいた。
「では、来週からお屋敷のリフォーム工事を始めますね。……それからご注文頂いていたものですが、ご用意できました!」
 山吹は傍らの大きな黒いトランクを開き、両手を突っ込んでゴソゴソ探っている。
「少々お値段が張りますが、この子はとても温厚で可愛らしいですよ」
 山吹が取り出したのは、真っ白なフクロウだった。全身純白の羽毛に包まれ、瞳は夜空のような濃紺に、星を散りばめたような輝き。
 まるでおとぎ話に出てくる幻想の生き物のような美しさに思わず見とれて、ユーニはお茶を淹れる手が止まってしまう。
「ユーニ、三人分お茶を淹れて。山吹さんの説明を聞いておくんだ。ついでに休憩しなよ」
 クアスは山吹の手からフクロウを受け取る。あまり大きくはない。クアスの掌でころん、と丸まってとても可愛らしい。
「この『読み聞かせフクロウ』はある程度の読み物なら朗読する事が出来ます。カタログではどのあたりまでかご説明が不十分だったかもしれませんね。……そうですね、料理本やちょっとした読み物程度まででしょうか。魔術書や学術書は難しいですが、竜言語と人の言葉と両方読めます。どちらかというと人の言語が得意ですね」
 お茶を淹れ終わったユーニの掌に、クアスは無造作にフクロウを載せる。ぽってりころころしたフクロウは、その夜空のような瞳でユーニを見上げている。とても可愛らしいが、びっくりするほど大人しい。一言も鳴き声を上げない。
「このように、本の前に座らせると」
 山吹に広げた本の前に置くように促され、ユーニはそっと掌からフクロウを降ろす。
 フクロウはじっと本のページを見つめ、歌うように喋り出した。
 小麦粉 一カップ、バター 半カップ、白砂糖 四分の一カップ……
「もう一度同じところを繰り返して欲しい時は、こう、頭を二回撫でてあげて下さい」
 言いながら、山吹はフクロウの頭を優しく二回、撫でる。フクロウはそこで止め、再び小麦粉から読み上げ始める。
「選び抜かれた賢い個体に訓練をして初めて『読み聞かせフクロウ』になれるのです。そのような事情で、人気商品なのですが非常に数が少ない為に大変高額になってしまいますが……」
 クアスは足を組んで静かに考え込んでいる。
 読み書きができないユーニの為に、こんな高額なフクロウを買おうとしているのだ。それくらい、ユーニにも分かる。だが、こんな時に、どうしたらいいのか分からない。ユーニはフクロウとクアスの顔を交互に見てはオロオロしてしまう。
 ユーニの混乱に気付いたのか、山吹はユーニの掌にフクロウを再びそっと載せた。
「これ、料理本以上のものも読み上げできるようになるの?」
 クアスはこのフクロウとそっくり同じ絵が表紙にかかれた冊子を捲りながら、山吹に尋ねる。
「そこが『読み聞かせフクロウ』の飼育の醍醐味ですね。躾や教育次第でどんどん覚えます。個体によりますが、歌を歌うようになったり、学術書まで読み上げられるようになる賢い子もいるそうです」
「買うよ」
 クアスは躊躇なく口を開く。
「どうせ母さんが先回りしてリフォーム代やなんか、払ってるだろ。それで買えるよね、山吹さん」
「左様でございますね。少し余るくらいです。……こちらになります」
 山吹はさらさらとペンを走らせた紙切れをクアスに差し出す。クアスはほんの少し眉根を寄せたが、すぐに頷いて見せた。
 世の中の事もお金の事もまるで分からないユーニでも、この屋敷の修繕費用と同等の価格だと言われれば、どれほど高価なのかくらい、分かる。
 読み書きができないユーニの為に、クアスの母親がクアスの為に用意した資金を使っていいとは思えなかった。口を挟もうとしたのを察したのか、ユーニが言葉を発する前に、クアスにじろっと睨まれる。
 口出しするな、と目が言っている。
「ちょうどいいよ。自分の巣は自分で作りたい。返そうにも母さんが受け取らないなら使ってしまえばいい。……これ買うから、飼育に必要なものもお願いする」
「ありがとうございます。餌は特別なものなどは必要ございません。野菜、果物、肉、魚……なんでも食べますので、大変育てやすいかと思います」
「面倒みるのはユーニだから、ユーニに説明してやって」
 クアスは別のカタログを取り上げ、広げながらそう山吹を促す。
 真っ白なフクロウは、ユーニの掌で目を閉じ、気持ち良さそうに丸まっている。ユーニを少しも恐れていないようで、よく人に慣れているように見える。
「ユーニさん、この子はまだ小さいんです。やっと親離れしたくらいなんですが、とっても賢い穏やかな子なんですよ。……どうか、可愛がってあげて下さい。ユーニさんの為に、きっと頑張ってお手伝いをしてくれますから」
 山吹はユーニの掌のフクロウを撫でながら、笑顔を見せる。
「……はい。この子が本を読んでくれるなら、ぼくも字を覚えられるかな……?」
「そうして『読み聞かせフクロウ』を先生に、文字を覚える番人の方もいらっしゃると聞きます。それに、きっとこの子はユーニさんのよいお友達になってくれるはずですよ」
 目を閉じて大人しくしていたフクロウは、ぱちっと目を開け、ユーニを見上げる。ユーニを見つめて、くぅ、と小さく鳴く。先程本を読み上げた時のように、はっきりとした大きな声ではなかった。甘えるような、心細げな、小さな小さな声だった。



「ああ。支払いの事なら気にしないでいいよ。さっき山吹さんに話してたの聞いてただろうけど、母さんが払った余計な金、それを使い切りたいからちょうどよかった」
 ユーニはしどろもどろになりながら、大切なお母さんからのお金を使ってしまっていいのか、とやっとクアスに尋ねる事ができた。
 ユーニは葡萄を房からもいで、フクロウに与えながらクアスの返事を聞いていた。この葡萄は昨日、クアスがお土産に持ち帰ったものだ。鮮やかな緑色の、つやつやしたとても綺麗で甘くておいしい葡萄だ。
 もったいなくてなかなか食べられずにもたもたしていたら、クアスに『腐るからさっさと食べろ』と呆れられたが、これがびっくりするくらい、大量にあったのを後から知った。
 無駄にしないために、ユーニはフクロウと一緒にせっせと食べる。
「母さんは過保護なんだよ。……自分の巣くらい、自分で作れるっていうのに」
 ユーニの手から一粒、葡萄を取ると、クアスは自分の口に運ぶ。
「まあユーニも知ってるかもしれないけど、その巣作りの資金は主に人間から奪った財宝なんだけどね。……ま、貧しい人から奪うような真似はしないし、財宝を貰う代わりに、天災や戦争から守る事になってる。巣を作った国は領土みたいなもんだしね」
 だから村の人々が『竜がせっかく、巣を作ってくれたのに』と言っていたのか。
 生贄を必要とするような竜が巣を作った事を、とても歓迎しているのは何故なのか。ユーニはやっと理由が分かった。
 生贄を捧げてでも、天災や戦争から守って貰えるなら。ユーニは貧しい村の暮らしを思い返す。
 痩せた土地で、作物は豊かには実らない。その上、一年のうちの数ヶ月は雪に覆われ、作物は取れなくなる。雪深い森で危険に身を晒しながら獣を狩るか、氷を割って川の魚を捕るかくらいしかできない。それでも国は税金をかける。村の人々は、厳しい暮らしを強いられていた。
 誰もが生きていく事に必死だった。家族を養うのすらやっとの苦しい生活の中、身寄りのないユーニを食べさせるのは、決して楽な事ではない。誰もが自分の家族に少しでも多く食べさせたかっただろう。それが分かっていたからこそ、ユーニはずっと耐えていた。
「クアス様がこの国に棲み続けてくれるなら、作物もたくさん実るようになるんですか?」
 クアスはきゅっと細い眉根を寄せる。
「様付けはやめろ。なんだかすごく居心地悪い。……呼び捨てでいいし、敬語もやめろ。そんな面倒くさいの、落ち着かない」
 命の恩人で、こんなに待遇もよく働かせてくれているクアスを呼び捨てにするなんて、恐れ多い。またユーニはどう答えていいか分からず、もじもじ口籠もってしまう。
 そんなユーニの困惑も、クアスは全く気にとめないようだ。
「ああそうだ、ユーニ」
 クアスはテーブルの上にちょこんと丸まっていた読み聞かせフクロウの頭を、指先で軽くつつく。
「名前をつけてやるといい。ユーニはこいつに餌をやって、こいつはユーニに本を読んでやる。一番長く一緒にいるのはユーニだからな」
 名前を付ける。
 さーっとユーニは青ざめる。大変な事になってしまった。
 名前なんて、自分もなかった。クアスがつけてくれなければ、一生名無しだった。
 そんな大事で宝物になる名前を、自分がつけるだなんて。このとても綺麗で幻想的なこの子につけるなんて。無知で無教養で、物を知らない自分にできるのか?
 白フクロウは、丸まったままユーニを見上げ、小さな、頼りない声で、くぅ、と鳴いてみせる。
 責任重大すぎる。ユーニは真っ青になったまま、真剣に考え込む。


2017/09/20 up

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