竜の棲み処 君が僕の永遠(とわ)なる希望

#08 茨の森の迷路

 予告通りに今週から茨の館の改装工事が始まった。
 山吹が作業員を連れて連日やって来て、工事の賑やかな音が響いているが、ユーニはその作業員に会った事はない。
 クアスから『見るなとは言わないけど、人間から見たら色々驚くような事があるかもしれないから、見ない方がいいんじゃないかな』と言われていた。気にならなくもないが邪魔になってはいけないし、やらなければならない仕事もある。ユーニは特に気にせず厨房に引きこもっていた。
 この古い館は、遥か昔に地方領主が別荘として使っていたものらしい。それが主を失い使われなくなって長い年月を経た結果、野生の茨が島と屋敷を覆い尽くすように生い茂り、まるで魔女が棲む森のような趣になってしまっていた。
「僕はこの茨ごと気に入っている。まるで茨の城壁みたいじゃないか。……古びた石造りの屋敷に、茨の森に、霧煙る湖。おとぎ話の世界観だ」
 むしろそういうクアス自身がおとぎ話や伝説に出てくるような存在だ。翠玉の鱗を持つ幻想的な竜が、美しい青年の姿に変化するなんて、おとぎ話そのものだ。
 クアスは改装工事の立ち会いをしながら、時々厨房に現れてお茶を飲むついでに色々と説明をしていく。それを聞きながら、ユーニはせっせといちじくを切ってオーブン用の天板に並べていた。
「巣立ったばかりだと新築できるような余裕もないから、皆こうして中古物件を漁る。……こういう古い屋敷も味わいがあって僕は好きだけれどね」
「そういえば、昨日、材料を探しに茨の森に入ろうとしたら、どうやっても茨が絡み合って入れませんでした。……なんだか不思議な事に」
 本当に不思議だった。ユーニは村の人に連れられて山菜や茸を採りに、山に分け入る事がよくあった。だから藪にも慣れているつもりだった。いつものように薪割り用の鉈を使って分け入ろうとしたが、どうやっても茨は硬く絡み合い、行く手を阻んだ。
 お茶を飲み終えて席を立ちかけたクアスは、ああ、という顔をしてまた座り直す。
「竜は魔法を使う。……話せば長くなるから簡潔に説明するけど、よく竜が炎の息を吐くって話を聞くだろ。あれも魔力依存の『魔法』なんだ。竜は魔法を使うって覚えておくといい」
 人に変化したりするくらいだ。魔法を使えてもおかしくない。ユーニは納得しながら頷く。
「で、茨の森にもちょっと細工してる。野生の茨の他に、魔力で育てた茨も生えてる。勝手に人間が入り込まないようにね。……で、何の材料を探してるのさ」
「窓から見たら、柳の木があるみたいなので、煮柳を作って籠を作ろうと思ったんです。それで、森に入ろうと……」
「籠なんて買えばいいよ。必要な物は山吹さんに注文していい」
 クアスは右手に幾つか付けていた指輪のうち、細身の白金のものをひとつ、外す。外すと、掌に載せ、何か人の言葉ではない、風変わりな言葉を呟く。一瞬、その白金の指輪が虹色に光った。
「……この指輪を付けておけば、茨の森に入れる」
 いちじくを切る為にナイフを握っていたユーニの右手を取り、指輪を付けようとしてクアスは眉根を寄せる。
「ユーニ、痩せすぎだ。ぶかぶかじゃないか」
 骨と皮しかないような痩せたユーニの指に、クアスの指輪は大きすぎた。クアスはそのユーニの小指にすかすかの指輪を通して、再び、先程の不思議な響きの言葉を呟く。
 すると、指輪はユーニの痩せた指にすっと馴染むように縮み、ぴったりと収まった。
「魔法で付けたから、僕でないと外せなくなった。まあ小指なら邪魔にならないだろうし、付けっぱなしでいいだろ」
 あまりに不思議な光景に、ユーニは呆然と自分の右手の指輪を見つめる。
「指輪に祈れば茨は道を開く。人間は早々この浮島に来ないだろうとは思うけど、用心に越したことはない。竜の巣に入り込もうとする人間なんてろくなものじゃないからな」
「あ、ありがとうございます……!」
 これで材料探しに行ける。それから、湖の畔で釣りもできるかもしれない。買えばいい、とクアスは言っているけれど、クーを購入する為に大枚をはたいている。読み書きができないユーニの為だけに、大金を使わせてしまったのだ。作れる物はできるだけ作って倹約したいとユーニは考えていた。それに、こういう細工仕事は得意だ。少しでもクアスの役に立ちたかった。
「そういえば、さっきから何作ってるんだ? なんだか甘酸っぱい匂いがする」
 キッチンストーブの見張りをしていたクーが、小さく鳴いてユーニを呼び、焼き上がりを知らせる。
「あ、これはですね」
 ユーニはキッチンストーブに駆け寄り、オーブンを開く。気になるのか、クアスはユーニの手元を覗き込む。取り出された天板には、綺麗に切って並べられたいちじくが並んでいた。
「いちじくを乾燥させてます。ここは湖の真ん中で湿気が少し多いから、オーブンで焼いてから数日、天日干ししようかと……」
 村では秋口に採れる果物や野菜をこうして乾燥させ、冬の蓄えにしていた。ユーニはよくこういう作業を見ていたので、やり方だけは知っていた。これが雪に閉ざされる村の、長い冬を越える為の大切な食料になっていた。
「こんなの初めて見た。このまま食べられるのか?」
 乾いて小さくなったいちじくの実を見て、クアスは物珍しそうに感心している。クアスがこんなに興味を示しているのを、ユーニは初めて見た。いつものクアスからは考えられないくらい、好奇心いっぱいで、なんだか少し子供っぽく、可愛らしく思えていた。
「食べられるけど、保存用にするならもう少し干さないと。まだこれだと半生です。……よかったら、味見をして下さい」
 ユーニも手順をよく見ていただけで、実際に作るのは初めてだ。ただ切ってじっくり焼くだけのものだ、失敗はしていないはず、と思いながらクアスに勧める。
 低温でじっくり焼いたいちじくは、甘酸っぱく、うまみが凝縮されている。クアスは乾いた実を摘まみ噛み締めながら、感心したように頷く。
「……おいしい。すごいな、甘みが濃くなってる。端っこが硬いけど。果物なんて砂糖漬けかジャムくらいだと思ってた。……僕が住んでいたところにはなかった調理法だ」
 クアスは更にもうひとつ摘まみ、自分の口に運ぶついでに、天板の傍にころんと丸まっていたクーにも千切って与える。
「僕はこれ、食べた事なかったんです。でも、村でよく作ってたのを見てたし、たくさんあるいちじくをだめにしないようにと思って。見よう見まねだけど、ちゃんとできてよかった」
 甘い果物もそれを乾燥させたものも、村では贅沢品だった。ユーニの口に入る機会なんて、ない。今こうして、クアスに仕えるようになるまで、甘くておいしい果物なんて食べた事はなかった。
「……僕は労働の対価はしっかり払う。竜がけちくさい生き物だと思われたら、同族の恥になるし何より、そういうのは母さんがとても嫌うしね」
 クアスは天板の上のいちじくをひとつ摘まみ上げ、ユーニの掌に載せる。
「好きなだけ好きな物を食べて、骨が浮いて見えなくなるまで太れ。働いているんだからしっかり食べるんだ。厨房や食料庫にある物は何でも食べていいし、必要な物は遠慮なく言え。何度も言ってるが、働くには健康な身体がいる。だからまずはもっと太れ」
 ユーニは自分の枯れ枝のような痩せた掌のいちじくを見つめながら、頷く。
「この乾燥いちじくは父さんに教えたら喜びそうだ。……あとで詳しい作り方教えて」
 ユーニはぱっと笑顔になる。どんな小さな事でも、クアスに喜んでもらえて役に立てたなら、たまらなく幸せに思える。
「はい! ……そういえば、クアス様のお父さんやお母さんはどこに?」
 時折話題に出るが、思えば具体的に聞いた事がなかった。山吹との会話から、クアスの母親の名前はメレディアだと言う事くらいしか知らない。
「あー。……まあ、そのうち会うだろうから。多分押しかけてくる」
 そんな事を言いながら厨房の扉をクアスが開く。
 何かが廊下を足早に横切っていく姿が、開いた扉の隙間からユーニにもちらりと見えた。慌ててクアスは扉を閉める。
「……今の見た?」
 ちらっとだけれど、見えていた。なんだか見てはいけないものを見たような、ユーニはそんな気持ちになっていた。
「ええと……ちょっとだけ」
 けれど怖いとか気持ち悪いとか、そんな悪くは思えなかった。ユーニの様子を見ながら、クアスは少し考えるようにして再び扉を開ける。
「ちょっと不気味かもしれないけど、真面目で働き者なんだ。器用でこういう補修仕事なんかが得意。ちゃんと働いているんだ。人も人でないものも、見た目で判断するものじゃないのは同じかと思う。……多分ね」
 扉の隙間からちらっと見えたのは、毛むくじゃらの、見た事もない不思議な何者かが横切っていく姿だった。ユーニだって始めてクアスに出会った時はひどい姿で、亡者かと思われていたくらいだ。見た目で判断はしたくない。
 クアスもその何者かも、改装工事で忙しそうだ。邪魔にならないように、やっぱりユーニは見て見ぬ振りをする。


201/10/11 up

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