竜の棲み処 君が僕の永遠(とわ)なる希望

#22 夢見ていた幸せ

 何を聞かされたのか、ユーニは一瞬分からなかった。あまりに突然すぎて、言葉が出てこない。
 ララは見た事がないくらいものすごい勢いで小舟を漕いで、ユーニの立つ崖下まで辿り着いた。雪解け水のおかげで、湖の水位は高い。崖から湖上のララまでの距離は、ぐんと近くなっていた。大声で叫ばずともユーニに届くが、興奮したララの声はとても大きく、そして喜びに満ち溢れていた。
「昨日うちの宿に泊まった行商の人が教えてくれたの! いなくなった赤ちゃんと旦那さんを探してる人がいるって。その人は、人を雇って国中を探していて、最近行商さんが、この地方の他の村で、その雇われた人に会ったって!」
 ララは高揚のあまり早口でまくしたて、そして噎せて咳き込んだ。それでもララは息せき切って続ける。
「順番に村を回って探すって言ってたって! だから、うちの村にも来るはずだよ! 行商の人は国中を回ってるから、何度かその人に会った事があるんだって。『十五年前にいなくなった、黒髪に鳶色の瞳の、男の子の赤ちゃんを連れた、赤ちゃんと同じ髪色と目の若い男の人』を探してるんだって、言ってた。間違いなく、赤ちゃんのあんたを連れて村に来た男の人の事だよ。だって、私、見たもの! 忘れないよ! 十五年経っても、忘れない! 今のあんたと同じ、黒髪に鳶色の目で、よく似てたもの、あの人……!」
 最後の方は涙声だった。ララは堪えきれなかったのか、とうとう泣きだした。
「よかったね、ユーニ。……お母さん会えるよ! あたし、手伝うから。あんたが村の人に見つからないように、その人に会えるように、手伝うから……! 絶対、お母さんに会おう。ずっと探してくれてたお母さんに、会おう!」



 どうやって屋敷まで帰って来たのか、覚えていなかった。
 居間の暖炉の前に座って、暖炉の爆ぜる薪の炎を見つめながら、ユーニはぼんやりと膝を抱える。
 あまりにも動揺しすぎていて、あの場でどんな返事をララにしたのかすら、記憶がおぼろげだった。
 本当はどこの誰なのか。赤子を連れて深手を負っていた、恐らくはユーニの父親であろう男の素性。十五年前に何があったのか。今も夫と子供を探し続ける母親はどんな人なのか。
 知りたい事は山ほどあった。けれど、知るのが少し恐ろしくも思える。
 もしも、自分が本当は誰なのか知る事ができたなら、少しでも自分に自信が持てるようになるだろうか。それとも、知らないままの方がよかったと思うだろうか。
 あの村でひとりぼっちで冷たく暗い夜を過ごしていた時は、何度も幸せな家を夢見ていた。
 村の他の子供達のように、優しいお母さんと、頼りになるお父さんと、小さな兄弟たちと、貧しくとも暖かい、家族皆で暮らす家だ。
 それはどんなに望んでもユーニの手には入らないものだった。それが今、もしかしたらユーニの目の前に現れるかもしれないのに、ユーニは素直に喜べずにいる。
 それが何故なのかは分からない。本当の事を知るのが怖いだけなのかもしれない。
 ぼんやりとしたままのユーニを、ふかふかの絨毯の上から見上げるクーが、小さく鳴いて呼びかける。
 クーを拾い上げ、いつものように肩に乗せると、クーはすぐにユーニの黒髪に柔らなかな羽毛を擦り寄せる。
 本当は分かっている。
 行く当ても居場所もないユーニを憐れんで、クアスは自分の巣に雇い入れてくれた。
 この巣に、クアスの厚意に甘えて居続ける理由がなくなってしまうと、分かっている。ユーニをずっと探していた家族がいるなら、もうユーニは居場所のない孤児ではなくなる。
 ユーニの家族が見つかったなら、クアスはなんて言うだろうか。聞かずとも分かるような気がする。
 嬉しい事のはずなのに。行く当てもないひとりぼっちのユーニでなくなるのに、もう、ユーニは素直に喜べなくなっていた。



「母さんがわけ分からないくらい、ユーニに服を買ってたぞ。すごい量だからとりあえずポーチに箱詰めのまま積んでおいた。あとで運び入れるから。……あとこれは父さんから。レシピとお菓子。この間の果物の干し方のお礼だってさ」
 ガルビア半島から帰ってきたクアスは、まるでちょっと散歩に出掛けていた、とでもいうような素振りで、ずっしり重い大きなバスケットを差し出す。
 望まずとも必ず来る発情期に苛立っていたのが、嘘のようだ。留守にする前より、明らかに落ち着いていた。
 今はまた、少し斜に構えて見えるいつものクアスだ。若干やつれたような顔に見えるのは、発情期の間は食べ物をあまり受け付けないせいらしい。
「あ、ありがとうございます……。メレディア様にも、ルディ様にもそう伝えて下さい……」
 バスケットを受け取るユーニは、あまり明るく楽しそうにはみえない。クーはといえば、クアスが久し振りに帰って来て嬉しいのか、クアスの周りをはしゃいで飛び回っている。
「いつの間にか随分飛べるようになったんだな。あんなヨロヨロ飛んでたのに。……おいで、お前にもお土産があるよ。ちゃんとユーニと仲良く留守番できてたか」
 クーを肩に止まらせて、クアスは居間のいつもの椅子に座り、懐から小さな布包みを取り出し、開く。
「なんだかユーニは元気がないな。具合が悪いなら、無理せず休むといい。僕とクーなら勝手に食べて寝るし」
 包みから取り出した小さな実を、クーに食べさせながらユーニに声を掛ける。
「……あの、ララさんがこの間、来て」
 うまく言葉が出てこない上に、声が少し震えてしまう。ユーニは重たいバスケットの持ち手をぎゅっと握り締める。
「ぼくを、探している人がいると。……十五年前に、息子と夫が行方不明になって、探している女の人がいるって。……多分、それはぼくの事です。ララさんが、教えてくれました……」
 今までクアスに、ユーニがどんな経緯で村に居着いたのか話した事はなかった。不器用なユーニのたどたどしい説明を、クアスは黙って聞いていた。
 ユーニがララに聞いた全てを話し終えると、クアスは暫く考えるように、黙り込んでいた。木の実をねだるクーに時折摘まんでやりながら、ゆっくりと口を開く。
「……よかったじゃないか。やっと本当の母親に会えるんだろう? この巣の事は心配しなくていいから、会いに行くといい」
 ユーニが考えていた通りの返事だった。多分、この先に続く言葉もそうなのだろう。
「ユーニはまだ成人もしていない。家族と暮らせるならその方がいい。それから、学校に行けるなら行った方がいい。普通の家庭の子供なら、教育を受けるのは当たり前の事だよ。……この国に学校があるのか、そういえば。あったような気もするな。王都で見たかもしれない」
 泣き出しそうになりながら、ユーニは黙って頷く。クアスの言う通りだ。普通の子供達のような幸せを得られるなら、その方がいい。クアスはそう言うだろうと思っていた。
「人を雇って探せるようなら、それなりに豊かな生活をしてるだろうから。きっと学校に行かせてもらえる。……竜の巣なんかに引きこもってないで、外の世界で色んな事を知って、色んな人に出会う方が幸せだよ。僕とこの巣の事なら気にしないでいい、どうとでもなる。今までずっと働きづめで苦労してたんだ、自分の幸せを一番に考えたらいい」
 その通りだ。それはクアスに出会うまで、ユーニが叶わないと諦めて、それでも夢見ていた幸せだったはずだ。クアスはユーニの為を思って言ってくれている。分かっていても胸が苦しかった。
「……はい。ありがとうございます。……せっかくルディ様に頂いたこのお菓子とレシピ、しまってきますね! この部屋は暖かいから、痛んでしまったら大変です」
 このままでは声を上げて泣き出してしまいそうだった。ユーニは勤めて明るく振る舞って、居間を足早に出て行く。

 後に残ったクアスの頭の上によじ登ったクーは、むーむー鳴きながら、クアスの金色の髪を咥えてぐいぐい引っ張る。
「痛っ! クー、やめろ。痛い!」
 クーはまだむーむー言っている。髪を引っ張るのを止めて、今度はクアスの雪花石膏のように白くなめらかな額を、小さなくちばしでつつき始める。
「……分かった、お前の言い分は分かったから!」
 クーを引き剥がし両手で包むと、まだクーは文句があるのか、今度はクアスの指をくちばしで噛む真似をする。
「……仕方ないじゃないか」
 ぽつん、と呟く。
「ユーニを番人になんかできない」
 クーは囓る真似事を止めて、夜空のような蒼い瞳でクアスを見上げる。
「ユーニは……まだ子供なんだよ。……お前だってまだ小さいのに親から引き離されたんだ、分かるだろ」
 クーは小さくくぅ、と鳴く。まるで返事をしているように思える。
「僕に必要なのは、誰より綺麗な番人で、ユーニに必要なのは、今まで得られなかった普通の子供と同じように、普通の幸せな家庭と人生なんだよ」
 がぶっ! と音がしそうなくらいに、力いっぱい、クーはクアスの指に噛み付いた。噛み付いたというより、噛んで摘まんでひねるとでも言おうか。容赦ない。
「……痛っ! お前ほんっとうに遠慮なく噛んだな、今! 話聞いてるのかちゃんと? 分かってるのか?」
 クーは再びむーむー鳴きながら、クアスの両手からもがいで逃げ出す。出て行ったユーニを追うのだろう、ばたばたと派手に羽ばたきながら、ドアの隙間から飛んで出て行ってしまった。
「……仕方ないじゃないか」
 もう一度、同じ言葉を呟く。
 それは誰に言い聞かせているのか。


2017/12/10 up

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