竜の棲み処 君が僕の永遠(とわ)なる希望

番外編:#05 君が教えてくれた事・中編

 初めて見るファイヤドラゴンは、煌めく紅い鱗に覆われた美しい竜だった。
 茨の屋敷の中庭に降り立った焔の竜を、ユーニは言葉もなく見上げる。
 巨大な身体を覆い尽くす鱗は陽光を受け、燃えるように紅く輝く。いや、文字通り、燃えている。紅い鱗からゆらゆらと青白い焔が立ち上っていて、風を纏う風竜とはまた違った美しさと迫力があった。
 その背の鞍から降り立った少年は、またその火竜の迫力に勝るとも劣らない美しさだ。ユーニは以前読んだ本に出てきた、遠い昔に絶滅したというエルフを思い出していた。
 この世ならざるものの美しさだ。ユーニの貧困な語彙では、とてもではないが追いつかない。強いて言えば、瞳か。クアスと同じようにみどりの瞳をしているが、同じみどりとは思えない。何か不思議な魔力でも宿っているのかというくらいに、色鮮やかだ。ユーニは綺麗以外に、言葉が見つからない。
「……とっても綺麗ですね。こんな綺麗な人が、いるんだ……」
 ユーニは思わず、隣に立っていたクアスに小さな声で話しかけると、クアスは素直に頷いた。
「ルサカには古い竜の血が流れてる。……厳密に考えると『純粋な人間』とは言えないかもしれないな。まあ見た目は綺麗だけど、中身は結構あれなんだよな……」
 『中身は結構あれ』一体、どんな人なのか。どうあれなのか。
 ルサカを下ろしたファイアドラゴンは、一瞬で燃え上がる青白い火柱に包まれた。その焔が消えると、赤毛の長身の青年が中庭の石のタイルの上に降り立つ。
「タキア、ルサカ。久しぶりだ。……茨の屋敷へようこそ。ここが僕の終の棲家になる予定だ」
 来るまでは渋っていたが、いざ友達に会えばやはり嬉しいのだろう。クアスはそう声をかけながら彼らに歩み寄る。
「クアス、久しぶりだ。……それから、おめでとう!」
 タキアと呼ばれた赤毛の青年は、クアスの手を取り、握手を交わす。そういう交流の仕方も人間と変わらないのだな、とユーニは感心しながら見守っていた。
 タキアは人懐こい笑顔を見せ、ユーニにも右手を差し出した。クアスも美しいけれど、この青年もまた、とても端正な顔をしている。クアスの方が線の細い雰囲気があるが、同じくらい繊細に整った綺麗な面差しで、もしかしたら竜は皆、美貌なのかとユーニは考える。
「初めまして。僕はクアスの古い友人で、タキアというんだ。……こっちはルサカ。僕の番人」
 とても屈託のない笑顔だ。タキアはやはりクアスのように、笑うとどこか幼げにユーニの瞳に映った。
「は、初めまして、ユーニです……」
 差し出された右手と握手をすると、待ち構えたように、白くなめらかな手が差し出される。
「ルサカです。初めまして。今日は招待して下さって、ありがとうございます」
 この美しい人は、声も美しかった。こんなに綺麗なのに、気取っていない。親しみやすささえ感じられる可愛らしい笑顔に、ユーニは思わず見とれてしまう。
 クアスもタキアも美しいが、この人は次元が違う。クアスも湖の精霊かといくらいに美しかったが、それ以上に、ルサカはこの世ならざるもののように感じられた。
 本当に同じ人間なのかと問いたくなるくらいに、浮世離れしている。髪も肌も瞳も、立ち姿も。濃い焦げ茶色の髪に、みどりの瞳、白くきめの細かい肌。珍しい色味だというなら、タキアのすみれ色の瞳の方が珍しいはずだ。
 それでもルサカは妖しい生き物のように美しく、そしてどこか愛らしい。とても不思議な雰囲気をもっていて、クアスが『ルサカには古い竜の血が流れている』と言っていたが、それが関係しているのか。
 クアスがいつか言いかけていた『…………より…綺麗な番人なんか……』は、『ルサカより綺麗な番人なんかいない』だったのではないか。だとしたら、ユーニもそう思う。この人より美しい人なんて、想像がつかなかった。
「あの、庭に犬を放してもいいですか? ずっとバスケットに閉じ込めてて、窮屈な思いをさせちゃったから」
 ルサカは両手で持っていたバスケットをそっと石のタイルの上に置く。
「フクロウを飼っていると聞いて。……知らない犬を見せたら驚くかな」
「フクロウなら、ここに」
 ユーニは懐から、大人しく入り込んでいたクーを取り出す。
「わあ、可愛い……。ふわふわ真っ白だ」
 ルサカも動物好きなのだろう、ユーニの掌でころんと丸まっているクーを見て、目を輝かせている。
「クー、犬さんにご挨拶できる?」
 そうユーニが話しかけると、クーはいつものように、くぅ!と鳴いて返事をした。
「ヨルは大人しいから、クーちゃんに悪い事しないとは思うけれど、クーちゃんから見たら、黒くて大きい怖い犬に見えるかな……」
 ルサカは跪いてバスケットを開けるか逡巡しているようだった。
「犬よりうんと大きい竜を見慣れているから、大丈夫じゃないかと思うんです」
 ルサカはユーニを見上げて、ほんの少し黙り込んで、それから、ぷっと吹き出した。
「……そういえばそうだ。ヨルより大きくて迫力ある! ……じゃあ、ヨル。クーちゃんに挨拶しよう」
 ルサカはバスケットを開けて、中から真っ黒な子犬を取り出し、抱きかかえる。
「あれ、子犬なんですか?」
「あ。何も聞いてないのかな。……これでももう三十年生きてて……大人なんです」
「クー、犬さんだよ。ヨルさんって言うんだって。……仲良くできるかな」
 掌で包み込みながら、そっとクーに話しかける。クーはそのユーニの掌から身を乗り出し、真っ黒な子犬の存在に気付いたようだった。
「あれ、この子目が真っ赤で……」
 そうユーニが言いかけた瞬間、掌の中から、くぅうううう!! と、クーの怒りだした声が響いた。
「え、あれ、クー」
「あ、これは怒って」
 怒りだしたクーは、するりとユーニの掌から抜け出し、ユーニの頭の上に飛び乗り、威嚇の鋭い鳴き声をあげた。
 少し離れたところで話し込んでいた竜二頭も、騒ぎに気付いて慌てて駆け寄るが、時既に遅し、という奴だ。
 怒りだしたクーは、ユーニが止める隙もないくらい素早くヨルの頭に飛び乗って、ふさふさの黒い被毛をむしり始めた。駆け寄ったクアスが引き剥がそうとするが、ものすごい抵抗だ。
「あ、これは怒ってるな。クー、ほらやめろ。だめだ!」
「あああ、ヨルごめん! ちょっとだけ我慢して、あ、え、だめだってば! タキア、ちょっとヨルを押さえて!」
「ご、ごめんなさい……! クー、だめだよ、ヨルさんに何してるの、だめだってば……!」
「ルサカ、僕がヨルを捕まえておくか、あああ! ヨルだめだ、こら、なにして……! 子供相手にそんな、ああああ!!」



 なんとかヨルとクーを引き剥がせたが、大変な騒ぎだった。
 何故あんなにクーが怒りだしたのか分からないが、とにかくヨルとのお見合い(?)は失敗したのは間違いない。
「ほ、本当に、ごめんなさい……。クーはいつもはいい子なんです、こんな意地悪しないんです。ヨルさんにひどい事して、ごめんなさい……」
 クアスとタキアの竜二頭は、つもる話があるとかないとかで、二人そろってレダ王国を一周する空の旅に出てしまった。無責任なクアスの代わりに、ユーニはひたすらルサカに謝り倒していた。
 ルサカもタキアもクアスも、気にする事じゃないと言っているが、生真面目なユーニはそうはいかない。
 もうユーニは泣きそうだ。ヨルは毛をむしられて頭に小さなハゲが出来ている。せっかくクーの為にヨルを連れてきてくれたのに、申し訳なくてユーニは身の置き所がない。
「そ、そんなに気にしないで……。知らない犬を突然見せられて、クーちゃんもきっとびっくりしただけだと思うんだ」
 ルサカは必死でユーニを慰めてくれていて、余計にユーニは申し訳なく感じる。
「ルサカ様とタキア様がせっかく、ヨルさんを連れてきてくれたのに」
「あ、待って。ぼくの事は呼び捨てでお願いします。……ぼく、初めてなんだ、年の近い番人の友達が出来たの」
 見た目こそユーニとそれほど変わらなく見えるが、ルサカはもう五十年近く生きている。年が近いといえるか悩むところだが、ルドガーやフレデリカ達を考えれば、他の番人はものすごく長く生きている。ルサカも周りにいる番人が皆、それくらい離れているのだろう。
「他の知ってる番人は、皆それこそ数百年生きてるし、見た目も大人だし……。だからぼくは、君に会えるのをとても楽しみにしてたんだ」
 それはユーニもだ。同じ理由で、ユーニもルサカに会えるのをとても楽しみにしていた。
「ぼ、ぼくもです。……友達になれたら、嬉しいなって。クーに友達も欲しかったけど、ぼくにも……」
 自分の気持ちを、うまく言葉にできない。内気で地味なユーニからは、美しく聡明なルサカはあまりにもまばゆい存在だ。自分の不甲斐なさに泣きたくなる。
「じゃ、呼び捨てで敬語もだめだよ。……ぼくもユーニって呼ぶから、ルサカって呼んでくれなきゃね。……まずはそこから」
「は、はい、ルサカさ……ルサカ。ぼくも、仲良くなれたらとても嬉しいです」
「敬語もだめだからね。……急には難しいかもしれないけど、少しずつでいいから。……ぼくもとても嬉しいんだ。……よろしくね」
 そう笑うルサカは、とても人懐こく、可愛らしい。なんだかとても心が安らぐような、そんな気持ちにユーニは感じられていた。
 こんな綺麗で優しい人なら、クアスが忘れられないくらいに好きだったのも、納得だ。



 賑やかな一日が過ぎて、来客二人をゲストルームに案内し、ユーニは自分の部屋に戻り、叱られていじけたクーを励まそうとしていた。
 クーを膝において、撫で始めたちょうどその時に、クアスがひょっこりと顔を出した。
「ユーニ、気にしていないか?」
「クーの事なら、ルサカももう言いっこなしだって言ってました。怒っていないしって」
「いや、そうじゃなくて」
 クーを膝に乗せ寝台に腰掛けたユーニの隣に、クアスは腰を下ろす。
「……ルサカの事」
 なんとも歯切れの悪い口調だ。けれどユーニは全く気にしていなかった。
「すごく綺麗な人ですよね、びっくりしました! 前に絵本で見たエルフの王子様みたいです。クアス様もとっても綺麗だけど」
「……気にしないのか?」
 クアスの方がよほど気にしている。ユーニはやっとクアスの杞憂に気付いた。
「ええと……あんな綺麗な人なら、クアス様がずっと忘れられなかったのも分かるなって。綺麗だし優しいし、なんだかとっても癒やされるし」
 比べようがない。むしろ比べるのも恥ずかしいレベルだ。素直にユーニはそう思う。
「ぼくも、ルサカが好きです、とても。……今日一日、たくさん話したけど、すごく楽しかったです」
 ニコニコ上機嫌なユーニの話を聞きながら、クアスはふう、と深いため息をついた。
「ルサカより綺麗な人なんて、ちょっと想像がつかな」
「僕はユーニの方が綺麗だと思う」
 クアスはユーニの言葉を遮って、きっぱりと言い放つ。それはちょっと恥ずかしい。そう言ってもらえるのは嬉しいが、ユーニは返答に困ってしまう。
「タキアも、ユーニはとても綺麗で可愛いと言っていた。竜はお世辞なんか言わないからな。綺麗なものが大好きだから、評価はシビアだ」
 そうは言われても、地味で平凡なのは自覚がある。ユーニはますますなんて返せばいいのか考え込んでしまう。
「竜が好きな綺麗なものは、見た目だけじゃない。……綺麗な心、気高い魂もだ。……だからユーニは、とても綺麗なんだ」
 クアスはユーニを抱き寄せて、その黒髪に頬を押し当て、目を閉じる。
「そうやって、ルサカを……他人を認められるのも、心が綺麗だからだ。どんな逆境も、君の魂を穢せなかった」
 クアスの背中に両手を回しながら、ユーニは小さく頷く。
 でもそれは、クアス様がいるからなんです。
 あの夜明けの湖でクアス様がぼくを助けてくれたからなんです。
 クアス様がぼくをこんなに大事にしてくれるから、そう思えるんです。クアス様がいるから、ぼくは優しい気持ちでいられるんです。
 ぼくの心が綺麗だというなら、それはきっと、クアス様がいてくれたからです。
 そう伝えたいけれど、うまく言葉にできるだろうか。
 ユーニは金色の髪に口付けながら、ゆっくりと耳朶に唇を寄せ、囁く。


2018/01/21 up

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