王子様とぼく

#03 王子様と呼ばないで

「……ずいぶん疑り深い兄君ですね」
 バートラムは、壁にもたれながら腕を組んで睨み付けてくるリュカルドを振り返る。
「気にしないで、バートラム士爵。邪魔はしてこないし、納得すればしつこく監視はしないと思うから」
 頓着せずに、バートラムが持参した兵法の書を読みながら、要点をまとめてる。
「そうですか。……では、続きをご説明致しましょう」
 リュカルドは疑り深い上に、執念深い。
 ここ数日、隣町の下宿に帰らず、こうしてセニに張り付いて、王家から派遣されてくる軍人をいちいちチェックしている。
 バートラムももう二度はリュカルドに遭遇している。
 ジェイラスに至っては、昨日、派手にリュカルドと口げんかをしていた。
 子供相手にジェイラスさんも大人気ないし、リュカルドもわざわざ勉強を教えに来てくれてる人に失礼な事をするとか、本当に困ったものだ。
 セニはペンを止めて、小さくため息をつく。
 このバートラム士爵、年齢は30歳くらいだろうか。
 渋い銀色の髪に、落ち着いた喋り方。士爵という事は、武勲を立てて爵位を与えられた騎士本人か、その息子が爵位を継いだか。
 ジェイラスと同じように平民出身の庶民のはずだが、立ち居振る舞いは洗練されている。
 平民は平民でも、豪商か。
 庶民派の軍人を派遣してくれるのは、やっぱり親しみやすいようにと気を使ってくれているのか。
 授業を聞くかたわら、セニは人間観察を続ける。



「お疲れ様でした。……兵法は、軍事だけではなく、政治、経済、人間関係、全てに応用が利きます。こうして学んでおく事は、軍人にならなかったとしても、将軍になったとしても、退役後に商売をはじめるとしても、全てにおいて役に立つ事と思います。良く学ぶといいでしょう」
 バートラムはそう締めると、片づけを始める。
「ありがとうございました」
 バートラムは思い出したように口を開く。
「……そうでした。ルーヴ様が明後日、王都にお帰りになられます。その前に、あなたの勉強の成果をご覧になるそうですから、明日、お迎えにあがります」
「なんだって!」
 セニが返事をする前に、壁にもたれていたリュカルドが飛んでくる。
「行くのかい? あんな花を君に捧げるような王子だよ! あまりに危険する!!」
 ……まだ納得していないのか。
 セニもさすがに閉口する。
「あのね、リュカルド……。……それは王子様にとても失礼だよ。王子様は、ぼくのように貧しく身分も低いものに、教育を与えてくれている。……ぼくには過ぎるような期待もしてくれている」
 いいや、あんな花を贈るくらいだ、下心いっぱいに決まってる。
 リュカルドの顔は雄弁にそう語ってる。
 セニは少し首を傾げて考え込む。
 考えて、それからゆっくりと微笑む。
「ありがとう、リュカルド。いつもぼくの心配をしてくれるんだね。……でも大丈夫。心配するような事は何もないよ。本当にありがとう」



 機嫌よくリュカルドは下宿に帰る荷造りを始めた。
 少々閉口はしているが、リュカルドが心底心配してくれているのは、痛いほどよくわかっている。
 その気持ちを無下にはできない。嬉しく思うのも本心だ。
 けれどあまりに疑り深すぎる。
 実際何もないものを、ないと証明するのは難しい。悪魔の証明というやつだ。
 これで納得してくれればいいけれど。
 セニはため息をついて、今日までに習った礼法のおさらいを始める。
 教本で確認しながら、通り一遍、習った騎士の作法をやってみる。ついでに王宮での作法もおさらいしておく。

 当たり前だが、こんな作法なぞ、セニはやった事もない。
 平民階級でも下の中くらいの暮らしだ。こんな作法は今まで全く必要がなかった。
 知っていようがいまいが、出来ようが出来まいが、生きていく上で全く困るらない。
 こんな事を学ぶ事になるとは、人生は本当にわからない。
 給料を貰いながら勉強をさせて貰えるのだから、給料分は期待に副えるよう、真面目によく学んでおかなければ。
 何しろ礼法の先生が、あのいい加減なジェイラスだ。
 あれからたまにやって来るが、本を与えて雑談して帰るような先生だ。
 自習しておかなければ、まず王子の怒りを買うだろう。
 それにしてもなぜ礼法をバートラムにしなかったのか。ジェイラスが兵法を教えられるのかというとそれも微妙だ。
 通り一遍終えて、もう一度やり直す。

 いい話だと思う。

 教養もなければ人脈も、親もない自分が将来就ける仕事といえば、職業兵士くらいしかない。
 よほどの運がなければ、単なる末端の兵士で一生を終える。

 ニノンやリュカルドに苦労させたくなかった。
 他の年頃の女の子のように、綺麗な服を着て、好きな時に遊びに行けて、好きなものを買える生活をさせてあげたい。
 リュカルドだって、夢である建築家を目指しながら学費と下宿代、そして仕送りのために働きづめで、あまり丈夫でない体を相当痛めつけている。
 ニノンもリュカルドは何も望まない。ただ兄弟三人で仲良く暮らせればいい、それだけを望んでいる。
 だからこそ、その世間一般の幸せのために、頑張らなければと思う。

 王子からの話は、夢のような話ではないか。
 仮に王子が望むような将軍になれなかったとしても、身に付けた教養はこの先の人生で間違いなく役に立つ。
 正直にいえばピンとこない。
 急に将軍だなんだと言われても、遠すぎる世界の話で、まるでおとぎ話のように、実感が沸かない。

 作法のおさらいを終えて、寝台に寝転ぶ。
 色々と気がかりな事はある。
 寝転んで天井のシミを見つめながら、セニは小さくため息をつく。
 王都に行く事になったら、ニノンはどうするだろう?
 隣町ルーベルクのリュカルドの下宿で暮らすのを勧めたら、この家を誰が守るのかと泣くかもしれない。
 目を閉じる。
 考えてみれば、今の召抱えだって王子の気まぐれ。
 この気まぐれもいつまで続くかわからない。
 あまり期待しないでおこう。



 まずまずの出来ではないだろうか。
 バートラムの言っていた通り、セニは飲み込みが早いようだ。
 一通りの作法を見せた後、セニはルーヴの目の前に座って、今日まで習った兵法についてのまとめを書いている。
 何を考えているのか計り知れない、若干の不気味さがあるのが難点だが、まずまず言うとおりに学んでいるようだし、本人もやる気があるようだ。
 書き終えたセニのまとめを、ルーヴは手にとって読み始める。
「……もう帰ってもいい?」
 礼法の教師にジェイラスはやはり間違いだったか。
 ジェイラス本人の礼儀もアレなので、復習の意味も兼ねて教師に選んだのだがこれは大失敗か。
 相変わらずセニは言葉遣いを改める気配はない。
「そうだな。成果はまずまずだ。これに驕らず学んでおけ」
「はい」
 セニは短く返事をして、帰り支度を始めている。
 先月、バートラムが娘を連れて謁見に来たが、あの五歳児の方がマシな言葉遣いだったかもしれない。
 ルーヴはセニのまとめを斜め読みしながら考える。
「王子様が王都に帰った後は、貰った本で勉強しておけばいいの?」
「国境に配備している軍から、誰か適当に寄越す。そのうち俺も様子を見に来る。誰も来ない日も、自習しておけ。出来る事はしておけ、それは全てお前の知識になる」
 セニは素直に頷いている。
「王子様、ありがとうございます」
 どうでもいいが、この『王子様』という呼ばれ方が非常に心地悪い。
「その呼び方はやめろ」
 そもそも、そんなけったいな呼び方、誰もしていない。
 恐らく平民の間でそう呼ばれているのだろうが、面と向かってそう呼ばれるのは本当に居心地が悪いというか、違和感がある。
「……じゃあ、なんて呼べばいいの。ジェイラスさんとか、バートラム士爵みたいに、『ルーヴ様』って呼べばいい?」
 なんだかセニにルーヴ様と呼ばれるのは何かが違うような気がしないでもない。
 なぜかわからないが、微妙な違和感を感じる。
 セニを召し上げた理由は、その若さに不釣合いなほど高い素質だった。
 本人に会ってみれば、実に興味深い。
 この何を考えているのかわからない、得体の知れなさと、マイペースさ。まさにわが道を行く性格。
 子供なぞ持った事もないし、周りにもいなかったが、これが『子供』のスタンダードなタイプだとはまず思えない。
 面白い、この一言に尽きる。
 この奔放さが面白い。このまま育てたらどうなるのか、見てみたい気もする。

 ちょっとばかり、悪戯心が芽生えた。
 この風変わりな子供を少々困らせてみたい。
「……そうだな、好きに呼べ」
 王子様、を続行するのか、ルーヴ様、に変更するのか、はたまた新しい呼び名を考えるのか、それとも抗議してくるのか。
 わくわくと反応を待つ。
「……わかった。じゃあまた今度ね、ルーヴ」
 手を軽く振って、さっさとセニは出て行った。
「………………」
 言葉がでないほど、意表をつかれたルーヴだった。



「おかえり、セニ。何もされなかったかい? 嫌な目には合わされなかったかい?」
 執念深い兄は、セニが帰ってくるのを待ち構えていた。
「リュカルド。下宿に戻らなくていいの?」
「お尻を触られたり、ヘンに撫で回されたりしなかったかい? ……乱暴な事は?」
 ニノンもいるのに、なぜそうセクハラじみた発言をするんだろうか。
「……されないよ」
「おかえり、セニ! お茶用意して待ってたよ。疲れたでしょう? おなかは空いてない? 座って座って! 今お茶をいれてあげるね!」
 慌ててニノンが割ってはいって、セニの背中を押して椅子に座らせる。
「いい人だったよ。ちゃんと勉強しておきなさい、ってそれだけ言われて、おしまい。みんなが言うほど、乱暴者で怖い王子様じゃないよ」
「それならいいんだけれど……。勉強は面白い? つらくないかい?」
「楽しいよ。……軍人さんて思ったより怖くないし、優しいし、面白い人だよ」
 兄は自分のせいで、心労のあまり寿命を縮めているかもしれない。
 こんな心配してばかりしていては、体にも心にも悪そうだ。
 セニも内心ではこの病的に心配性の兄を心配しているのだ。
「それに、友達が出来たみたいで……なんだか嬉しいよ」
 訪ねる人もいない、このうらぶれて忘れられた家に、客人が来るのは確かに久しい事だ。
 ましてや、この街の人々にも好かれているとは言い難い。
 一部の人々は差別する事なく接してくれているけれど、確かに今まで、賑やかとは程遠い、寂しい生活だった。
「……そうだね。……セニが嬉しいなら、良かった」
 こんなに心配ばかりかけているのも申し訳ないし、でも心配してくれる気持ちも無下には出来ない。
 優しい兄で大好きだけれど、もうちょっとこう…大きく構えて欲しい。
 お茶を飲みながら、何か思い耽っているリュカルドを眺める。
「ねぇ、セニ。明日王子様は王都に帰るんでしょう? お見送りに行くの? セニも、王子様に雇われてる軍人扱いだから、やっぱり行くのかな」
 ふと思い出したように、ニノンが訊ねる。
「そうだね、ルーヴは何も言ってなかったけど、行った方がいいのかも」

 がしゃん。

 派手にティーカップが転がる音が響いて、慌ててセニは振り返ると、蒼白の兄がテーブルクロスを掴んでいる。
「ヤケドしなかった? ……服は汚れていない?」
 セニはこぼれたお茶を布巾で押さえながら、リュカルドを気遣う。
「…………呼び捨てにしてるのかい…? 王子様を……」
「うん。……そんなに変?」
 蒼白のままリュカルドが突然セニの両肩を掴む。
「今日、何があった? ……怒らないから、言ってごらんよ。この白い花の花言葉どおりじゃないよね? 何もなかったよね? そんな恋人のように呼び捨てにしてるのは、他の理由だよね?」
 ……どうしてこの兄はそこまで一足飛びに妄想するのか。
 時々この兄が、遠い星に住む別の世界の人間かなにかのように思える事がある。
 セニは困ったように天井を見上げて、ため息をついた。


2015/12/31 up

-- ムーンライトノベルズにも掲載中です --

clap.gif clapres.gif