王子様とぼく

#14 アレクシスの杞憂

 ルーヴは何故、この第四軍軍団長をセニの教育係に選んだのか。
 セニはぼんやりと、本のページをめくるアレクシスの伏せられた睫を見つめる。
 多分、名門出の貴族で、優秀で、王宮の儀礼にも精通していて、礼法の教師にぴったりのお堅い性格が適任だと言う理由だけで、この男を選んだのだろう。
 実際、アレクシスの授業は完璧だった。
 けれど、その人選が今、セニには疎ましく思える。
 この男は、似すぎている。
 容姿は全く似ていない。雰囲気もまるで違う。
  ルーヴとは全くタイプが違うように見えるのに、あまりに似すぎている。
 この、低い声と話し方。
 あまりにも似すぎていて、嫌がおうにもルーヴを思い出させる。
 もしもそれに気付いていながらアレクシスを選んだなら、ルーヴはとても意地悪だ。
 セニは小さくため息を漏らす。
「……上の空なようだな」
 鋭く突かれる。
「……ごめんなさい」
 アレクシスはそのまま開いていた本を閉じる。
「少し休憩をするか」
 アレクシス本人も、堅物なのは自覚がある。
 それをセニが気詰まりに感じているのでは、とも思っているようだ。
 子供の教育係など、経験がない。いつも通り、配下の者を教育するように接しているが、考えてみればこれは子供には気詰まりなのではないか。
 今も休憩、と言ったものの、二人揃って黙り込んで、余計に緊張させるような空気になってしまっている。
「……何か質問はあるか。礼法以外でも、分かる事なら教えよう」
 一応気を使ったのか話を振ったものの、世間話を振るような柔軟性も社交性も、アレクシスにはない。
 残念ながらこれもまたお堅いといえる話題だが、この性格で世間話は思いつかなそうだ。
 セニは少し考えて、それから口を開いた。
「最近、レンドハルト騎士団国からうちの指南所に来ている人がいるんだけれど、騎士団国ってどんな国なんだろう」
「……ほう。という事は、遥か東方の国の人間か。……近代史はまだ教えていなかったな」
 アレクシスはペンを取り、さらさらと紙の上に几帳面な文字を書く。
「我が国とは友好、とまではいかないが、特に諍いもない。東のマデリアも、かつては国境を激しく争ったが今は小康状態だ。この東西の二つの国は、南のイルトガ王国や、北の大国ラーンに比べれば、国交もそれなりにある。……レンドハルトは騎士団国とも騎士団領ともいうが、正式にはレンドハルト騎士団国。いわゆる軍事政権だ」
 分かりやすく丁寧に隣国同士の相関図を書いて、ざっくりと説明する。
 世間話というより授業だ。セニは真剣に覗き込んでいる。
「騎士団が支配権を持っている。レンドハルトでは、元首が騎士団国最高峰の権力者になる」
 簡単な組織図を書き、頂点に元首、と綴る。
「……正式に仕官した場合、この組織図と要人と関係を覚える事になる。首はすぐ挿げ替わるから、覚えるのは面倒だが仕方ない」
 組織図に幾つかの師団名を加えていく。
 アレクシスの文字は、その無骨な堅物さからは想像が付かないくらい、繊細で流れるような美しさで、これが貴族の嗜みか、とセニは密かに感心する。
「騎士団に所属したい場合、国籍さえ騎士団国に属していれば、農民だろうと商人だろうと、試験に受かりさえすれば可能だ。……試験は難関だがな。当然、豪農か豪商か、豊かな家庭に生まれ、教育に恵まれなければほぼ不可能だ」
 アレクシスはペンを置いて、セニに向き直る。
「我がノイマールも、身分は問わない。ノイマールに属しているものに限られるが、ベルラン王にしても、ルーヴ様にしても、出自や人種、家柄に拘らず、ノイマールに忠誠を誓う優秀な者は取り立てる。ジャコー・ジェイラス然り、お前然り、……ミステル・レトナ然りだ」
 突然養父の名前が出て、真剣に組織図を見ていたセニは思わず顔を上げる。
「お前の養父は、ベルラン王に重用されていた。遥か東方の国の傭兵たちは、白兵戦に長けた非常に優秀な戦士が多いが、その中でもミステル・レトナは英雄とまで言われていた」
 軍関係者から養父の話を聞くのは初めてだった。
 アレクシスは第四軍軍団長だ。まさに軍の中枢に属する。
「不幸が重なって失脚する事になったが……ルーヴ様はその事に関して何かお考えがあるようだ。……思えば数奇な運命だな。養父はベルラン王に、お前はルーヴ様に」
 これ以上アレクシスは語るつもりがないのか、再び礼法の本を開く。
「……近代史の教師を手配頂けるよう、ルーヴ様に進言しておこう。…………お前は……」
 言いかけて、アレクシスは言葉を飲み込む。
「……休憩は終わりだ。授業に戻る」



「来年で十八歳になるよ。レンドハルトでは十八歳から騎士団の入団試験を受けられるから、本当は弟にかまけてる場合じゃないんだけどね」
 ノイシュはレトナ家の庭先の木陰に座って、ニノンとティーオの手合わせを眺めている。
 もっと年上に見えていた。背も高く、顔立ちも大人っぽい。醸し出す雰囲気も、リュカルドと同い年とは思えないくらい、大人びて落ち着いて見える。
「金銭的に余裕がない場合は十六歳から入れる少年兵部隊からの人もいるな。もちろん入隊試験ありだけど、そっちは給料を貰いながら勉強できる」
 ティーオはかなり筋がいい。スタミナのないニノン相手ならば、持久戦に持ち込めればいい勝負が出来ている。
 今もニノンは持久戦に持ち込ませまいと必死だ。
「うちは成金だから、家庭教師つけて楽々コース」
 隣に座っているセニの目を覗き込む。この深い夜の海を思い出させる青い目に見つめられると、セニはなぜか落ち着かない気持ちになってくる。
「……俺の事が気になる?」
 レンドハルト騎士団国からやってきて指南所で学んでいた人は、それなりにいる。
 まだ小さかったため、よく遊んでもらったりしていたものだ。
 年頃になってからシアン兄弟がやってきたものだから、色々根掘り葉掘り聞きたいのだ。好奇心には勝てない。
「前にレンドハルトの人が来た時は、ぼくは小さかったから。……今は色々な国の話を聞きたいし、行ってみたいとも思うよ」
「俺のところに来る?部屋なら余ってるし、何日でも滞在していいよ……と。ああ、君は軍属してるからダメか。ルヴトー王子の直属だから、レンドハルトに入国しても自由には動けない。肩書き的に監視もつくかもね」
「……軍に属するってそういう事なのか……」
 色々政治は面倒な世界だ。
 自由になるお金が手に入るようになったかと思えば、今度はその代償に他国への自由な出入りが難しくなるとは。
 目に見えてがっかりと肩を落としているセニに、くすっとノイシュは笑う。
「ま、こっそり入国する方法もない事はないけどね。蛇の道は蛇さ。何でも抜け道はあるものだよ」
「……ノイシュは物知りだね」
「そりゃ君より少し長く生きてるからね」
 セニの手をとり、あの時のように甲に音を立てて口付ける。
「君が望むなら、いつでも連れて行くよ」
 本当に本気なのか冗談なのか、わからない。
 こうして週末にルシルの街にやってきて指南所でティーオの訓練を見ているが、退屈しのぎなのかこうしてしばしば、セニにちょっかいを出している。
 からかわれるのは居心地が悪いが、レンドハルトの珍しい話は聞きたい。
 おまけに空気を読んで、リュカルドがいない時にこうしてからかってくる。
 これで、あまりからかわないでくれたらいいんだけれど。
 セニはこっそりと小さなため息をつく。



「ブランドール卿」
 ノックの後、アレクシスの執務室の扉が開くと、幾つかの書類の束を持ったバートラムが入って来た。
「三回目の調査が終わりました。こちらの書類になります」
 マホガニーの大きめの執務机に座ったまま、書類の束を受け取る。
「……随分念入りにお調べになられますね」
「念には念を入れておく。セニ・レトナは子供であってもルーヴ様の直属だからな」
 ざっくりと書類をめくり始める。
「私から見ても、今のところ不審に思える要素はありません。トラッサの街の雑貨商シアン家に、間違いなくノイシュとティーオという兄弟がいます。どうも放蕩気味で、商材集めにかこつけてフラフラ出歩いているようですが」
 バートラムの話を聞きながら、アレクシスはページをめくる。
「トラッサでの調査はもうよかろう。……シアン兄弟に監視をつけろ。特にルシルの街と国境、トラッサへの往路を重点的に監視しておこう」
 本当に疑り深い。
 この用心深さと周到さが戦場での武勲を挙げる結果に繋がっているのだが、こんな子供相手に諜報を行う者はそうそういないのではないか。
 そう思いつつも頷く。
「分かりました。今日中に手配しておきます」
「最近、北のラーンが静かすぎる。何か企んでいる気がしてならん。……まあラーンがこんな子供同然の若造を諜報員に使うとも思えぬが、念には念をいれておく。何事もなければそれに越したことはないがな」
 セニに重要な情報はほとんど与えられていない。
 まだ子供で教育期間中、仕官もしていない。
 だが後々の情報収集のために、今のうちから懐柔しておこうとしている可能性は、確かに否定できない。
 だからこそあえて親しみやすいように、年齢も近く、かつ養父と同じ遥か東方の国の血を引く子供を差し向けたと思えなくもない。
 今のうちから用心しておくにこしたことはない。
「では、失礼致します」
 手配のために部屋を出たバートラムを見送ると、アレクシスは立ち上がり、窓辺に歩み寄る。
 光差す午後の中庭を見下ろし、誰に言うでもなく、呟く。
 その呟きはアレクシスの切なる祈りだったのかもしれない。


2016/01/09 up

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