王子様とぼく

ノイマール異聞録:リュカルド -石榴-

 無事に帰ってきた事だけでも、感謝しよう。
 どう考えても違う意味で無事じゃなかっただろうが、それはもうこの際仕方ない。
 仕方ないというより、知りたくない。
 知りたくない事は知らないままで、いい。目を瞑って耳を塞いで、無かった事にしてしまうのが一番だ。
 今、色々と考えなければならない事はたくさんあった。
 むしろ考えても結論が出ず、苦悩ばかりしていたが、それすらも吹き飛ぶ事件だった。
 今は何よりこよなく愛する弟の変化が恐ろしかった。
 リュカルドの視線に気付いていないのか、セニはせっせとお茶の用意をするニノンの手伝いをしている。
 今日の面会の場所は、アレクシスの王都の別邸。セニは勝手知ったる屋敷なものだから、先ほどからこまごまとニノンを手伝って歩き回っていた。
 あの日、突然消えたセニをバートラムが馬で追ったが、どうした事か追い付けなかった。
 リュカルドはバートラムが故意にセニを見失ったんじゃないかと疑っているが、証拠も根拠もないのでなんとも言えない。
 もっと言えば、そもそもバートラムが故意に『ルヴトー王子がバル峠に移動中』という情報をセニに洩らしたんじゃないのか。とも疑っている。
 リュカルドもセニを追ってバル峠に向かおうとしたが、あっさりジェイラスに取り押さえられて王都に強制連行されてしまった。
 結局、数日後にルーヴの率いる第一軍がバル峠から引き上げると、その日のうちにセニもひょっこり王都に帰ってきた訳だが、ここまできたらリュカルドも腹をくくるしかない。
 今日は月に一度の兄弟面会の日だが、こう心が冬の大海のように荒ぶっていると、お茶の後の稽古にも影響が出そうだ。
 リュカルドはキリキリと痛む胃を押さえる。
 明らかに、飛び出していった前のセニと、後のセニの様子が違う。
 ニノンが作った林檎のケーキを丁寧に綺麗に切り分けるセニを、じっと観察する。
 あの王子の元に行くようになってから、セニは明らかに変わった。
 最大の変化は『嘘をつく』ようになった事だ。
 あまり感情を表に出さず、口数も少ないセニが嘘をついても、正直に言えば、わかりにくい。
 だがリュカルドは本能で、何かよろしくない雰囲気を敏感に感じ取っていた。
 更に、バル峠から戻ってきたセニの様子が。
 いつも愛らしい事には変わりがないが(兄の欲目)、何だか穏やかな雰囲気を醸し出すようになっている。
 養父の死後、家族を守りたいと願うその気負いのせいか、セニは前にも増して笑わなくなっていた。
 いつも考え込むようになり、リュカルドがそれが心配で仕方なかった。
 そのセニが、ルヴトー王子の別荘に出入りするようになって、表情も柔らかくなるつつあったが、バル峠前と後では、あまりにも様子が違いすぎる。
 セニの表情の変化など、子供の頃から大事にしてきた弟だ、僅かな変化でもリュカルドは敏感に察知する。
 あからさまに頬を染めたりはしない。セニはそういう分かりやすいタイプではない。
 だがリュカルドには分かる。直感が囁いている。
 あれだ。
 言ってしまえば、つやつやっとぴちぴちっとしているのだ、セニが。
 峠に行く前はどんよりと沈んでいたのに、帰ってきてみれば、養父の死以来、初めてではないかというくらいの、ぴちぴちぶり。
 これは何かあった。絶対何かあった。明らかに何かあったのだろう。
 問い質したくとも、真実を知りたくない。
 もしリュカルドの仮定が正しいとしたら、その事実をセニの口から聞くのだけは、あまりにも酷で、精神的に耐えられる気がしなかった。
 悶々と悩むリュカルドの視線に気付いたのか、セニは顔を上げる。
 ケーキを切り分け並べる手を休めて、不思議そうに緩く首を傾げ、それから、微笑んでみせた。
 ……まるで天使のようじゃないか。(兄の欲目)
「どうしたの、リュカルド」
「いや、セニが元気そうで嬉しいだけだよ」
「……変なの」
 くすくす笑いながら、ケーキナイフを持ち直して並べる。

 こんなに可愛いセニが、ふしだらな真似をするはずがない。

 自分の不純異性交遊を完全に棚にあげて、リュカルドは強く思う。
 大人ぶっていてもまだまだ子供。僕が守ってあげなければならない事には変わりがない。
 幾らセニが子供じゃない、と言い張っても、幾つになっても弟は弟だ。
 見たくない、知りたくない事実から逃避するのは、父親(?)の悲しいさがだろう。
 リュカルドの現実逃避を責めるのは酷というものだ。
「今日のお茶はー、バートラムさんの奥さんに頂いた、すっごくお高くておいしいお茶でーす! なんと! マデリア産の高級茶葉ですっ!」
 ニノンが嬉しそうに綺麗な細工を施されたお茶の缶を持って、二人に見せる。
 久し振りに三人が和やかな雰囲気になっている。
 ルシルへの一時帰宅前は、本当にピリピリしていた。
 今この明るさを、幸せを大事にしたい。
 リュカルドはニノンの笑顔に釣られて、和やかな気持ちになっている。
「ああ……。そういえば、アレクシスさんが二人にってお土産をくれたんだ。痛まないように涼しい部屋においてきたから、ちょっと取ってくるね」
 思い出した用事を忘れないように、セニはさっさとお土産を取りに部屋を出て行ってしまった。
「……ねね、リュカルド。セニが元気になってよかったよね」
 ニノンがにこにこと嬉しそうに話しかけてくる。
「そうだね。……目が覚めてからずっとセニは沈んでたからね。元気になってくれて、本当に嬉しいよ」
「……やっぱり王子様の側にいられるからかなあ」
 一瞬でリュカルドの顔色は蒼白に変わった。
「……ニノン…?」
「……わっ?! リュカルドどうしたの、真っ白だよ、顔色……」
「ニノンは知っていたのかい?!」
 何の事か一瞬わからなかったのか、ニノンはぽかんとしていた。
 暫く考えてから、ああ、と納得したような顔をする。
「あ。なーんだ。王子様とセニの事?」
「なーんだ…て。え。どういう事?」
 リュカルドの方が混乱している。
「知ってるっていうか……セニは弟だもん。わかるよ。王子様がす」
「それ以上言わないでくれ!」
 がばっとニノンの口を塞ぐ。
「わかってる。だから言わないでくれ……」
 ニノンはリュカルドの手を引き剥がしながら憤慨している。
「もー、リュカルドも、いい加減現実見ないと……。セニももういつまでも、守ってあげなきゃいけない子供じゃないんだよ……。もう自分で考えて動くようになったんだよ」
 リュカルドもまさかニノンに諭されるとは思わなかった。
 むしろ、この大雑把で細かい事を気にしないニノンが、気付いている。
 そっちの方が衝撃だった。
「私たちもいつか誰かに恋をしたりするよ。……それが誰だっていいじゃない。相手が誰だって、好きな人と一緒にいられるなら、それでいいじゃない」
 こんな雑でも、ニノンもやっぱり女の子か。
 女の子のこの恋愛に関する野生の嗅覚の恐ろしさよ。
 リュカルドは違うところで感心している。
「リュカルドは……心配してるんだよね。セニが不幸になったり、辛い目にあったりしたら嫌だから、だから、どうしても心配しちゃうんだよね」
 ニノンはリュカルドの手をそっと両手でとって、包み込む。
「セニを元気にしたのが……笑顔にしたのが、私たちじゃなかったのが、つらいだけだよね……」
 その通りなのかもしれない。
 ニノンの柔らかな手を見つめながら、ぼんやりと考える。
 いつまでも子供でいて欲しい。僕たちのセニでいて欲しい。そう考えるのはエゴなんだ、とリュカルドも分かっているのだ。



「アレクシスさんから、これ」
 セニは籠いっぱいの石榴を持って戻ってきた。
「わあああ! 石榴……! ……すごい、こんなにたくさん!」
 子供の頃、養父を尋ねてくる来る遥か東方の国の人がたまにお土産に持って来る事があった。
 この赤い実は、ニノンの大好物でもあった。
「アレクシスさんが遥か東方の国から取り寄せたそうだよ。……ニノンとリュカルドにもって」
「わあああ、嬉しい……」
 石榴を手にとって、ニノンはニコニコしている。
「こないだ、市場にジェイラスさんと行った時に、ひとつ買ってもらったの。すごく高価だから、ジェイラスさんと半分こして食べたんだけど……」
「ちょっとまってニノン。……なんでジェイラスさんと市場に…?」
 今、ニノンはバートラムの屋敷に滞在している。ジェイラスは時々フラフラどこかに行くが、大抵リュカルドの警護をしている。それがなぜ。
 ニノンは露骨に『しまった!』という顔をしてリュカルドを見た。
「……え、えと……た、たまたまお使いに出た時に……」
 ニノンは嘘がヘタだ。腹芸というものが出来ない。
 この大雑把な性格で、そんな小芝居が出来るはずもない。
「……ああ、どこかで行き会ったの?」
「セニはちょっと黙っててくれるかな」
 セニがかろうじて出した助け舟はあっさりとリュカルドに阻止された。
「ニノン、正直に話してごらん?それはもしかしたら、世間一般でいう、デート、というものなんじゃないのかな」
「ち、違うよ……。だ、だって、私なんか……子供扱いされてるし……」
 頬を真っ赤にしてもじもじと口ごもる。
 これはどうみても恋する乙女の仕草です。
「……リュカルド、お茶が冷めるし」
「セニ、僕は今ニノンと話してるから。……ジェイラスさんとか思い切りタラシだよ? ろくな事してないよ? おまけにめちゃめちゃ年上だよ?」
 リュカルドがジェイラスの事をタラシとか言える立場なんだろうか。
 それは完全に自分の事を棚上げした発言だよね。
 口は挟まないが心の中でセニは呟く。
 この尋問の嵐。セニもかつて通った道だ。
 セニはふたりを眺めながらため息をつく。
 本当にこの兄は、いつか心労で死んでしまうかもしれない。
 他にも考える事がたくさんあるのに、なぜあえて更に自分を追いつめるのか。
 セニは冷めはじめたお茶を飲みながら、心の中でニノンの健闘を祈るしかなかった。


2016/01/29 up

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