てのひらにひとひらの花

#01 叶うなら、このまま眠るように

「もう売り物にはならんな。明日の朝、処分しよう」
 家畜用の小さな檻の中を覗き込んでいた男は、無慈悲にそう吐き捨てた。
 その檻の中で丸くなるように横たわり、ボロ切れに包まって震えていたミカの耳にも、それはかろうじて届いていた。
 身体中が痛くてとても寒くて、息苦しかった。この痛みと苦しみから解放されるなら『処分』されてもいいとミカは思っていた。
 生きていられたとしても、またどこかに売られ、同じ目に遭う。
「子供はやはり扱いが難しい商品だな。すぐに壊れて返品されちまう」
 この男たちが扱う品は主に『見栄えのいい若い娘』だが、稀にミカのような少年や子供も扱う。『需要』があるからだ。
 彼らは人間を売買する事を公に許された商人だ。
 言ってしまえば『奴隷商』だ。主に連行されてくる流民の売買を行う。
 流民は疫病や治安の悪化を招く、忌まわしい厄介者だと思われていた。それを口実に、国は流民狩りを行う。そこで狩られた流民や棄民を買い取り、売りさばく商売は、この国だけではなく周辺の国々でも行われていた。狩られた人々は、こうして『商品』として店に並び、売買される。
「うまいこと売り抜けたと思ったんだがなあ。やれやれ、手間かけさせやがって」
 男はミカが閉じ込められている檻に布を被せ、間仕切りのカーテンを引くと、繋がれたまま座り込んでいる娘たちに向き直った。
「おい、お前たち。もうすぐ客がくる。店に並べ」
 座り込んでいた娘たちは虚ろな目をしたまま、大人しく従う。ミカに同情の目を向ける娘もいるが、誰もが『明日は我が身』だと思っていた。
 買われた奴隷が大切に扱われる保証なんて、ない。おもちゃのように使い捨てられる事もある。飽きればまたどこかに売り飛ばされる事もある。ミカのように病気になるまで責め苛まれ、店に返されて『処分』される事もある。
 人として扱われる事は、まずない。
「今日の客は、サクロナ王国一の貿易商の息子だ。若くて金を持った男だぞ? せいぜい媚びを売るがいい。いい暮らしをさせてもらえるかもしれないぞ」
 男の嘲るような声が響く。
 客を迎え入れる為に焚かれた香の、甘く淫靡な薫りが漂う店の片隅で、ミカは静かに目を閉じる。
 死んでしまえば、父さんや母さんに会えるだろうか。
 高熱にうなされながら、ぼんやりと考える。
 ミカたちロサ族は定住しない。諸国を渡り歩きながら、鋳掛けや歌や踊りの芸事、薬草などを商って暮らしていた。先祖代々、自由に色々な国を移動しながら生活していたが、サクロナ王国への街道に差し掛かった時に、武装した兵士の集団に襲われた。
 ミカたち一族は、近年この周辺の国々が流民狩りに力を入れている事を知らずに、無防備に踏み込んでしまった。
 ロサ族のような流れ者は、捕らえられて売り飛ばされるだけではなかった。定住しない彼らは、財産の全てを常に身につけている。ロサ族は主にその財産が狙われていた。
 兵士たちに財産を差し出し、ミカだけは見逃してくれと請うた両親は、ミカの目の前で無慈悲に切り捨てられた。
 連行されながらミカが見たものは、血染めの亡骸の山だった。おびただしい数の遺体だった。乳飲み子まで殺されて、投げ捨てられていた。
 ミカは自分が生き残れた理由を知らなかった。生き残れたのは、まだ幼いものの『高く売れる』容姿をしていたからだった。
 高熱はミカの意識を泥沼へと引き摺り込んでいく。
 このまま生きていても、もう両親はどこにもいない。一緒に旅をしていた一族の者も、皆殺されてしまった。貧しいながらも幸せだったのに、もう戻れないと分かっていた。
 たったひとり生きて逃れたとしても、もう、どこにも行くところがない。ミカを待っている家族も、一族の者も、もうこの世にいない。もしかしたら自分の他にも生き延びた者がいるかもしれないと、そんな明るい希望を抱けなかった。
 生き残れたとしても、ミカのように死ぬまで酷使される奴隷だ。現に今、ミカは死にかけ、処分されようとしている。
 生きていてもいいことなんか、ない。
『処分』は痛くて、辛いだろうか。叶うなら、このまま眠るように、永遠に目が覚めなければいい。
『処分』が怖かった。殺されるのはどんなに恐ろしく、苦しい事なのか、不安でしかたなかった。



「これはこれは、ルベール様の坊ちゃま。お待ちしておりました」
 気味が悪いくらいに媚びた男の声が響く。
「今日は坊ちゃまの為に、選りすぐりの娘を用意致しました。さあ、どうぞこちらに」
 店の隅で忘れ去られたミカの耳にも、切れ切れに声は届いていた。聞こえてはいても、内容はまるで理解できていなかった。それくらいに熱は高く、意識は曖昧だった。
 切れ切れに話し声が聞こえる。どんな内容だとしても、明日『処分』されるミカには関係がない事だ。
 どれくらい時間が経ったのか。朦朧とするミカには分からないが、突然、檻にかけられていた布が引き剥がされた。
 滲む視界で見上げると、黒髪の若い男が檻の中を覗き込んでいる。今まで会った事も見た事もない、若い男だった。
 長く艶やかな黒髪に、切れ長の青い瞳を持ったその男は、驚いたような顔でミカを見下ろしていた。
 その男の唇が、ミカを見つめたまま、動く。
 ミカには何も聞こえなかった。何を問われているのか、何を言われているのか、分からなかった。何か答えなければ、また叩かれるかもしれない。そう思っても、言葉は声にならなかった。
 男は後ろを振り返り、何かを叫んでいるようだった。
 何故、この人は怒ったような顔をしているんだろう。
 意識は保てなかった。ミカは眠るように、暗闇の中に沈み込んでいく。


2020/12/16 up

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